SSブログ

大藁草履 [千葉からZ900RSと300km超]

2020年11月下旬、群馬に行った際に立ち寄った場所。

DSC02986.jpg
藁草履前に駐車。

DSC02985.jpg
草鞋見て 鬼も悪魔も よりつかず。

中野地区の入り口辺りに、大きな「藁草履」が祀られています。
悪人や、はやり病などが村に入ってこないように願って掲げた
もので、昔の厳しい自然環境から生まれた信仰と知恵です。

DSC02991.jpg
鼻緒が鈴緒っぽくなっている。

DSC02988.jpg DSC02989.jpg

大きいけど、大味な感じではなく
精巧につくられている~。

DSC02992.jpg
草鞋様にお参り。
「立ちごけしませんように!」

DSC02994.jpg DSC02996.jpg

草鞋様後ろの楓も綺麗。

DSC02998.jpg
晩秋な草鞋様。

DSC03000.jpg
藁草履は草鞋なのか草履なのか?
と思いつつ見学完了。
nice!(22)  コメント(7) 
共通テーマ:バイク

手接神社 [千葉からZ900RSと300km超]

2020年12月下旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

DSC03382.jpg
DSC03394.jpg
神社の名は手接神社。

DSC03387.jpg
停められそうな場所へ。

DSC03381.jpg
御神体の河童様。

手接大明神縁起:
此処に奉安し玉う手接大明神は水の精霊罔象女命
と申し奉り疫病田畑水早の厄除その他諸々の守護
にあずかり参拝祈願者の絶えることがない。

その昔芹沢隠岐守俊幹が梶無川の岸を愛馬で逍遥
していると馬が足をふんばって進まなくなった。
俊幹怪しみて振り向くとつる草のような髪をふり
乱した河童が馬の尻尾を引っぱっていた。俊幹は
剣を抜いて河童の手を一刀のもとに切り落とし
その手を持って館に帰った。


その夜俊幹の枕辺に竜形の物が現れて涙をはらはら
流しながら言うには「私はこの梶無川に棲む七郎
河童です。いたずらに殿様のお馬を驚かしこのように
手を失ってしまいました。まことに悔いるに甲斐なし。
ただ心配なのは老いたる母のことです。手が無くては
ままになりません。どうかお慈悲をもって手をお返し
玉え。さすればその手を接にで孝養ができます。
お礼には毎日魚を献じましょう。それに先祖様から
伝わる続断愈創の秘法もお授けいたします
」と
請い願った。

俊幹は河童の親を思う心根に免じて「これから悪戯を
してはならぬ」と諭し手を返してやった。

河童は約束どおり壁土のようなものを携い来て手接ぎ
万能の秘法やきりすね等を伝えていき翌日からは館の
庭の梅の枝に二匹の魚を届けつづけた。人々はこの庭
木を魚掛梅と呼んでいたが数年経ったある日から魚の
届けものは絶えた


次の日俊幹が川に行ってふと水面をみると河童が泡を
吹き出して死んでいた。
哀れに思った俊幹は汝霊あら
ば川上に流れよと祈念したという。

河童の屍は梶無川に逆流して与沢地内神橋のところで
芹沢氏家臣の孫衛門に見つけられた。
知らせを受けた俊幹は深く憐れみ川のほとりに小祠を
建て『手接明神』と稱したという。時に文明十三年
(1481)辛丒九月九日と伝えている。

その後七郎河童の手接秘法の恩顧に報いて永正四年
(1507)卯九月九日篠原明神の社地に移し相殿として
手接神社と稱し奉り今日に至っている。

DSC03393.jpg
令和元年の植樹もあり。
永正四年の時も植樹があったのかな?

DSC03398.jpg
本殿。

DSC03395.jpg
目には見えないけど七郎河童様が居るのかも。
「立ちごけしませんように!」

DSC03397.jpg
奉納画や奉納された扁額とかも綺麗。

DSC03396.jpg
ん、これは・・・・

財産処分に関する広告(要約)
一、 処分の種類 売却・代伐
一、 処分する財産の表示及び数量
境外(3.96m2)と境内の(236m2)。
杉(八本)、檜(七本)、榎(三本)、桑(二本)、槿(一本)、
鼠黐(一本)、山茶花(一本)。
一、 処分理由 市道30125号線道路拡張に必要となるため。
一、 処分の方法 道路改良工事に伴う土地で公共として売却、
立木は補填金代伐処分。

DSC03400.jpg
近くに空港も自衛隊の基地もあるし、七郎河童様は
俊幹様との約束を守って、近隣の発展の為に513年
経った今でも役に立っているんだな。
と思いつつ見学完了。
nice!(22)  コメント(9) 
共通テーマ:バイク

丹下左膳の碑 [千葉からZ900RSと600km超]

2020年12月中旬、福島に行った際に立ち寄った場所。

DSC03169.jpg
DSC03177.jpg
停められそうな場所へ。

DSC03176.jpg DSC03175.jpg

松川浦の顔にふさわしい立派な碑。
字が良い味を出している。しぶい。

DSC03173.jpg
碑の裏側も手抜かりなし。

DSC03172.jpg
丹下左膳(林不忘作)の碑:
奥州相馬中村藩(六万石)、相馬大膳亮の家臣
丹下左膳は、主君の密命を受け、関の孫六作
夜泣の名刀「乾雲丸、坤竜丸」をねらい、
不浄門を出て江戸に向かった。
時は、徳川八代将軍吉宗公の御治世。
当時宇田川の清流は、この地を経て松川浦の
葦を洗い、古湊から太平洋に注いだ。
江戸にいた左膳を援けた兵糧も又この地を経た。
乾坤の二刀を手にした時、左膳の脳裡に浮かん
だのは、一路松川浦へ、そして中村城へ堂々と
帰る日の晴姿であった。
不忘が描いたこの型やぶりの相馬武士のロマン
を偲び、このゆかりの地に碑を建て永く記念する。


丹下左膳 決定版 [DVD]







丹下左膳と言うとこれが決定版なのかも。
美空ひばりさんまで出ていたとは。

DSC03178.jpg
漁師さんも毎日碑を見て、丹下左膳になった
気持ちで漁に出ているかも。
と思いつつ見学完了。
nice!(22)  コメント(7) 
共通テーマ:バイク

伊能忠敬上陸の地 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年8月中旬、北海道に行った際に立ち寄った場所。

DSC01595.jpg
DSC01599.jpg
像の付近にはこんな幟も。

DSC01600.jpg
駐車場に到着。

DSC01597.jpg
千葉県の英雄、伊能忠敬様の像。

DSC01590.jpg
伊能忠敬の北海道測量開始地点は福島町吉岡:
五十五歳の伊能忠敬は寛政十二年(1800)閏四月十九日
新暦(六月十一日)江戸深川の富岡八幡宮に参詣後、師匠の
幕府天文方高橋至時に挨拶し、蝦夷地と言われた北海道に
向かって測量の旅に出発した。年内に調査が終わり、地図
を作成提出する計画だったので、大急ぎで奥州街道を北上
し五月十日に津軽の三厩(青森県外ヶ浜町)に到着する。
津軽藩の役船で函館に渡ろうとしたが、風が悪く八泊も
風待ちし、五月十九日漸く出航。しかし、途中で風が変わり
やむなく福島町吉岡に着船。一泊して風を待ったが変わらな
かった。
幕府折衝に手間取った為であるが、北海道まで往復して
地図を作るのに、新暦六月十一日の出発では大変遅すぎた。
時間が限られていたので、決断して吉岡から函館に向かって
測量をはじめる。一日一日が非常に貴重だったから、測量
しながらあるいたに違いない。
吉岡は伊能測量隊の北海道測量開始地点となった。
函館でも諸手続きのため七泊しているが、函館山に登って
本州の目標との方位を計ることができた。六月一日北斗市
市ノ渡に先輩村上島之丞を訪問、従者だった間宮林蔵
出会いご縁が結ばれた。
北海道東南岸を厚岸の近くまで歩測し、さらに別海で天測
したあと引き返す。福島で天測し、吉岡を経て、松前まで
測って役船で三厩に戻る。江戸帰着後は内妻お栄も動員して
データ整理と地図の制作にあたった。提出は十二月二十一日
年内ぎりぎりだった。

樺太を測量した間宮林蔵と会っていたとは。
(間宮林蔵は、お隣茨城県人)

DSC01592.jpg
平成三十年にできた新しい像。

DSC01593.jpg
作者さん。

DSC01591.jpg
腰をかがめて測量している伊能忠敬様。

DSC01594.jpg
ちょっとエッチな角度。

maicching.jpg
まいっちんぐ ♥

DSC01598.jpg
伊能忠敬様も地図作成の締め切りに追われていたとは・・・
(歩いて測量を半年で実現するとは)

資料提出の期日は、日程に余裕を持たせて
決めないと。と思いつつ見学完了。
nice!(26)  コメント(7) 
共通テーマ:バイク

八幡神社の大杉 [Z900RSと名木]

2020年11月上旬、宮城に行った際に立ち寄った場所。

DSC02464.jpg
DSC02459.jpg
角田市の中心地、台山公園に駐車。

DSC02462.jpg
ロケットの脇を通り抜け・・・・・

DSC02483.jpg
マンホールもロケット。

DSC02463.jpg
八幡神社に到着。

八幡神社の由来:(最初の写真に記載されたもの)
八幡宮の起源は大分八幡宮とされ、そこから宇佐神宮や
筥崎八幡宮が分霊されたと言われている。平安時代に
源頼義・義家が、一族である源頼遠等を従え、奥州厩川
柵主である安倍氏を征する際に、しばしば石清水八幡宮
にて祈願したことに起因し、源氏の氏神として武神、
必勝の神として永く崇敬されてきた。安倍氏平定後には
奥州諸処に石清水八幡宮の分霊を勧請したとされる。
石川有光(頼遠の子)もその時の功績により、石川郡(福島
県石川町)に領地を賜った際に八幡宮を領内に勧請した。
慶長三年(1598)に角田初代館主石川昭光が角田に移った
際に、旧領石川町より城内に移した。その際に神主の
吉田家も同行させ、以来八幡宮での神事を司らせた。

DSC02465.jpg DSC02480.jpg

高さ30m、樹齢400年の大杉。


特撮リボルテック009 ジャイアントロボ ノンスケール ABS&PVC製 塗装済み アクションフィギュア







高さはジャイアントロボと同じ高さ。
ちなみにH-2ロケットよりは低い。

DSC02468.jpg DSC02478.jpg

八幡宮の立派な楼門。

DSC02472.jpg
八幡神社「楼門」:
八幡神社は、仙台藩祖伊達政宗の叔父にあたる、角田石川氏
初代石川昭光公(伊達氏16世輝宗の弟)が、旧領石川郡(福島県)
の八幡宮から、慶長3年(1598)に遷座した石川氏の守護神で、
現本殿は安政2年(1855)の建造とされ、建築様式は一間社流造
りで、組物や彫刻は江戸時代末期の特徴をよく示している。
市の指定文化財である楼門は、慶応2年(1866)に造営された
彫刻の豊富な2階建ての門で、その彫刻は特に虹梁や蟇股に
力が注がれている。

DSC02474.jpg
力が入っている蟇股。

DSC02473.jpg
仁王様ではなく彫像が。初代、石川昭光公かな?
そして近くにあるのは敵国降伏の扁額。

敵国降伏の扁額:(最初の画像の説明から)
縦約二メートル、横約一メートル。明治三十八年に博多の筥崎八幡宮の
「敵国降伏」の額の大きさ、書体と同じものを博多で作り、当神社に
掲げたもの。筥崎八幡宮によると、この意味は「武力によって敵を
降伏させるのではなく、徳の力をもって、相手が自ら降伏する」
というものである。しかし、終戦により、当時の状況を考え掲げて
あったものを降ろした。

DSC02475.jpg
本殿へ。

DSC02476.jpg
御神体様。
「立ちごけしませんように!」

DSC02486.jpg
八幡様の御加護により、H-2ロケットのように
バイクの発進(ロケットスタート)もスムーズに
なるかも。と思いつつ見学完了。
nice!(26)  コメント(9) 
共通テーマ:バイク

筒香嘉智君 横浜ベイスターズ入団記念植樹 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年11月中旬、和歌山に行った際に立ち寄った場所。

DSC02709.jpg
DSC02714.jpg
停められそうな場所へ。

DSC02708.jpg
道路の反対側にある記念碑。
筒香選手の写真入り。

DSC02711.jpg
「笑門」ってあるけど何だろう?
筒香選手の座右の銘とかなのかな。

DSC02712.jpg DSC02713.jpg

こちらが記念に植樹された木。
神社の御神木になりそうなくらい
大きな木・・・・・・・・・・・・・

DSC02715-1.jpg
ではなかった。
平成二十二年(2010)に植えられた
木なので、(この時点で)まだ10歳。

DSC02715.jpg
メジャーから帰ってきて、関西の球団(阪神)
に入団したら、もう一本植えられるかも。
と思いつつ見学完了。
nice!(21)  コメント(9) 
共通テーマ:バイク

うつぶしの森 新田義宗討死の地 [千葉からZ900RSと300km超]

2020年7月中旬、群馬に行った際に立ち寄った場所。

DSC01081.jpg
DSC01078.jpg
森の向かい側の広い場所へ。

DSC01080.jpg
うつぶしの森 新田義宗討死の地:
吉野時代、南朝の柱石新田義貞の嗣子新田義宗は
父義貞、兄義顕、義興ら討死の後、新田の總師と
して従兄脇屋義治と各地に転戦し当地及び越後に
在ったが正平二十三年(1368)鎌倉の足利氏満らを
討たんと七千の兵を率い沼田へ進出した。
これを知った足利の將上杉憲將、能憲兄弟は千葉
結城宇都宮の諸勢六万の大軍を寄せ一隊は利根川
沿いに、一隊は赤城山を越して新田勢を挟撃、
沼田から当地まで東西三里の滝棚の原は激戦の
修羅場と化した。義宗は本陣鐘撞堂反町の砦を出
て当地の丘上に駒を進め決戦中敵の一矢に右目を
射抜かれ、うつぶしに落馬し壮烈な最後を遂げた。
時に、七月二十一日 年三十七副將義治は軍を収め
追貝に退いた。

義宗の骸は船田長門守経政によって近くの雲谷寺
に葬られ、墓塔が現存してある。
村民は義宗の霊を祀り「うつぶし明神」と称しこの
地を「うつぶしの森」と言い伝ふ。

DSC01090.jpg
道路側からちょっと回って鳥居の方へ。

DSC01086.jpg
水神様。

DSC01088.jpg
「バッテリーあがりませんように!」
「パンクしませんように!」

DSC01085.jpg
うつぶし明神へ。

DSC01082.jpg
本殿到着。

DSC01083.jpg
うつぶし明神様に祈願。
「バッテリーあがりませんように!」
「パンクしませんように!」

DSC01084.jpg
ご本尊様。
ん!あれっ!何か見えるような・・・・・

DSC01096.jpg
kakouton.jpg
実際、目を射抜かれたら夏候惇みたいに
助かるのは奇跡なのかも。と思いつつ
見学完了。
nice!(24)  コメント(6) 
共通テーマ:バイク

河は眠らない [千葉からZ900RSと600km超]

2020年8月上旬、新潟に行った際に立ち寄った場所。

DSC01381.jpg
DSC01375.jpg
停められそうな場所へ。
国道352号線、銀山平近辺。

DSC01376.jpg
銀の道:
「銀の道」は平安末期、長寛元年(1163)尾瀬三郎房利卿が
京を追われ、尾瀬へ逃げ延びた道として伝説を持っている。
それから約五百年後、銀山が発見され、銀を運ぶ唯一の道
であった。銀山最盛期には、一万数千人が行き来し、人馬
の絶えることがなかったという。

人の汗、馬の汗、そして遊女の涙・・・様々な人間模様が
刻まれ、どれほどの汗や涙を吸ったことだろうか。

登り口は、口留番所のあった駒ヶ岳山麓の駒ノ湯近くの、坂本
から始まる。坂本~枝折大明神は標高差九百mで、延長約八km
眺望の良い所、水場など、自然と一服場が生まれ、人々の語らい
の場となっていた。また、問屋場には季節遊女までいたという。

血と汗と涙で踏み固められ、銀鉱町と共に栄枯盛衰の歴史を
刻んだ道である。


DSC01377.jpg
そんな、古のいわくつきの道沿いに
開高健の碑はあった。

DSC01378.jpg
DSC01380.jpg
碑によせて:
今は大き 亡き作家開高健氏は銀山平に逗留され作品
「夏の闇」の構想を練りながら竿を片手によく
散策を楽しまれた。

銀山湖畔の水は水の味がし
木は木であり
雨は雨であった

と著書「白いページ」に謳い、また奥只見の魚を
育てる会の会長をして自然にさからわず、その
保全を強く訴え続けられた。

開高会長が悠久の自然を願う口癖の言葉で
”河は眠らない”を日にとどめ・・・(読めない)
北の岐・・(読めない)の故人ゆかりの地に
建立してその意思を後世に伝えたい。

開高健と言うと「裸の王様」かな?
バカには見えない服の方ではない

DSC01384.jpg
DSC01385.jpg
近くの河。


不夜城 [VHS]






この河こそ、新潟県の不夜城。

DSC01386.jpg
「下道ライダーも夜は眠らない」
と開高健っぽく思いつつ見学完了。
nice!(25)  コメント(8) 
共通テーマ:バイク

日本中央標準時子午線塔 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年9月上旬、京都に行った際に立ち寄った場所。

DSC01941.jpg
DSC01940.jpg
駐車場へ。

DSC01945.jpg
子午線塔。

DSC01943.jpg
日本中央標準時子午線塔:
東経135度
北緯35度39分21秒
寄贈 京都銀行

DSC01948.jpg
かぼちゃ?とおもったけど薄い鉄の板が。
子午線となんか関連があるのかな?

DSC01947.jpg
今、日本の中央に立つ!
日本の中央に立つ=日本を支配した気分に。

DSC01951.jpg
DSC_1100.jpg
支配者として調子に乗っていたら
本能寺の変を起こされるかも。
と思いつつ見学完了。
nice!(25)  コメント(8) 
共通テーマ:バイク

夷王山 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年8月上旬、北海道に行った際に立ち寄った場所。

DSC01694.jpg
蠣崎と言えば

kakizaki.jpg
この方。

本当は最初の写真の幟を見て来たのだけど
資料館は閉鎖中だった。

DSC01676.jpg
山頂を目指すことに。

DSC01689.jpg
北海道なのでヒグマ注意。

zakutoha_chigaunndayo.jpg
「ツキノワとは違うんだよ。ツキノワとは。」

DSC01677.jpg
はぁはぁはぁ・・・・頂上へ登って行く。

DSC01680.jpg
鳥居に到着。

DSC01681.jpg DSC01682.jpg

山頂の夷王山神社に到着。
「バッテリーあがりませんように!」
「パンクしませんように!」

DSC01685.jpg
DSC01684.jpg
夷王山山頂からの景色。
開けた視界、広がる海。これぞ北海道。

DSC01687.jpg
駐車場からちょっと行った場所には夷王山墳墓群。
アイヌの流儀で葬られたお墓もあるとの事。

P2060001.JPG ainu.jpg

アイヌ流と言うとこんな感じかな?

DSC01690.jpg
うーむ。ネスカフェ並みに分からん。

DSC01695.jpg
ヒグマと蠣崎氏の歴史には触れられなかった
けど北海道の山を満喫っ!。と思いつつ
見学完了。
nice!(28)  コメント(11) 
共通テーマ:バイク