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手接神社 [千葉からZ900RSと300km超]

2020年12月下旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

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神社の名は手接神社。

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停められそうな場所へ。

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御神体の河童様。

手接大明神縁起:
此処に奉安し玉う手接大明神は水の精霊罔象女命
と申し奉り疫病田畑水早の厄除その他諸々の守護
にあずかり参拝祈願者の絶えることがない。

その昔芹沢隠岐守俊幹が梶無川の岸を愛馬で逍遥
していると馬が足をふんばって進まなくなった。
俊幹怪しみて振り向くとつる草のような髪をふり
乱した河童が馬の尻尾を引っぱっていた。俊幹は
剣を抜いて河童の手を一刀のもとに切り落とし
その手を持って館に帰った。


その夜俊幹の枕辺に竜形の物が現れて涙をはらはら
流しながら言うには「私はこの梶無川に棲む七郎
河童です。いたずらに殿様のお馬を驚かしこのように
手を失ってしまいました。まことに悔いるに甲斐なし。
ただ心配なのは老いたる母のことです。手が無くては
ままになりません。どうかお慈悲をもって手をお返し
玉え。さすればその手を接にで孝養ができます。
お礼には毎日魚を献じましょう。それに先祖様から
伝わる続断愈創の秘法もお授けいたします
」と
請い願った。

俊幹は河童の親を思う心根に免じて「これから悪戯を
してはならぬ」と諭し手を返してやった。

河童は約束どおり壁土のようなものを携い来て手接ぎ
万能の秘法やきりすね等を伝えていき翌日からは館の
庭の梅の枝に二匹の魚を届けつづけた。人々はこの庭
木を魚掛梅と呼んでいたが数年経ったある日から魚の
届けものは絶えた


次の日俊幹が川に行ってふと水面をみると河童が泡を
吹き出して死んでいた。
哀れに思った俊幹は汝霊あら
ば川上に流れよと祈念したという。

河童の屍は梶無川に逆流して与沢地内神橋のところで
芹沢氏家臣の孫衛門に見つけられた。
知らせを受けた俊幹は深く憐れみ川のほとりに小祠を
建て『手接明神』と稱したという。時に文明十三年
(1481)辛丒九月九日と伝えている。

その後七郎河童の手接秘法の恩顧に報いて永正四年
(1507)卯九月九日篠原明神の社地に移し相殿として
手接神社と稱し奉り今日に至っている。

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令和元年の植樹もあり。
永正四年の時も植樹があったのかな?

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本殿。

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目には見えないけど七郎河童様が居るのかも。
「立ちごけしませんように!」

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奉納画や奉納された扁額とかも綺麗。

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ん、これは・・・・

財産処分に関する広告(要約)
一、 処分の種類 売却・代伐
一、 処分する財産の表示及び数量
境外(3.96m2)と境内の(236m2)。
杉(八本)、檜(七本)、榎(三本)、桑(二本)、槿(一本)、
鼠黐(一本)、山茶花(一本)。
一、 処分理由 市道30125号線道路拡張に必要となるため。
一、 処分の方法 道路改良工事に伴う土地で公共として売却、
立木は補填金代伐処分。

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近くに空港も自衛隊の基地もあるし、七郎河童様は
俊幹様との約束を守って、近隣の発展の為に513年
経った今でも役に立っているんだな。
と思いつつ見学完了。
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