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千葉からZ900RSとちょっとその辺 ブログトップ
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南石山 常楽寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

3月下旬、埼玉に行った際に立ち寄った所。

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駐車場へ。

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3月下旬なので桜が。

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南石山 常楽寺:
この札所は、江戸時代には観音堂、仁王門庫裡を備えた
立派な寺でしたが、明治十一年秩父大火で類焼し一切を
鳥有に帰しました。
本尊は、十一面観世音で、他に釈迦如来もまつってあり
ます。その昔、この寺の住持、門海上人は、仁王門建立
を志し、多年勧化に心をくだきましたが、普請なかばに
して重い病となり、本願の達しがたいことを憂い、本尊
に快気を祈りしところ、ある夜黄面の老僧、金剛神を従
いてあらわれ、「門海の病気吾能治すべし」といい、金
剛神に上人が肩を引立てられるところにて夢さめ、たち
まちに病全快し、仁王門建立の本願を遂げたという縁起
があります。
またこの寺は明治初年までは天台宗の寺でした。比叡山
中興の祖元三慈恵大師をおまつりし、曹洞宗になっても
一月三日には大勢の参拝で賑わっております。
また、四月二十日は本尊十一面観音の縁日と共に辰歳生
巳歳生守護本尊の普賢菩薩の縁日でこれまた賑わってお
ります。

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こちらが門海上人。

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ご本尊様。

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ご祈願を
「タイヤがパンクしませんように!」
約一ヶ月後にパンクしたけど・・・・

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このお寺さんはおみくじが充実。
門海上人ゆかりの金剛神もいらっしゃる〜。

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黄金の招き猫おみくじを購入。

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宇都宮に来て、本日開けてみる。

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だ、大吉っっっ。
今年3回目(三連続)っ。
ここまでくると、大吉の呪い・・・・・

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門海上人の様にタイヤに金剛神が取り憑いて
くれるかも(結局、取り憑いてくれなかった)。
と思いつつ見学完了。
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景清陣屋跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2月中旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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河川の土手に駐車っ。
早速、景清陣屋跡へ。

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モサモサ、木の囲いが見える場所に

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景清陣屋跡。

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景清陣屋跡:
平景清は平安時代末期の武将で、父は藤原秀郷の
子孫藤原忠清その七男といわれています。源平の
戦いでは「悪七兵衛」といわれるほど勇猛な武将
として知られた景清には『平家物語』巻十一「弓
流」に源氏の武将美尾屋十郎の兜の錣を素手で引
きちぎったという逸話があります。
菅生に陣屋を構えたといわれる景清伝説には「菅
生」「祇園」の地名の由来や井尻区の「景清の井
戸」と呼ばれる湧水などがあります。
景清陣屋跡は菅生字睦喜の小櫃川蛇行部にありま
したが小櫃川河川工事によりこの地に移転しました。


源平討魔伝 【PCエンジン】






景清と言えば、我々の世代だと
源平討魔伝。

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ご本尊様っ。

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OPの婆さんの叱咤激励を思い出したり・・・

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景清の代わりにラスボス退治っ。
と思いつつ見学完了。
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箭弓稲荷神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

たっちゃんもご祈願に来たのかな?

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駐車場へ。雨がすごいっ!

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早速、境内へ。

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絵馬掛け。

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WBC球かな?

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こちらはバットの絵馬。

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印鑑。

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なんと、ギネス認定書。

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世界一の印面。

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本殿。しかし、雨が。ヌ~~。

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世界一な場所でご祈願。
「追突されませんように!」

なんかWBCにまつわるお土産あるかな?
と社務所を見ていると
巫女さん若くてキレイ~。
(マスクしているけど)

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勢いで御朱印購入。300円。

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"泥だらけのストッパー"ならぬ
"水まみれのライダー"に・・・
と思いつつ見学完了。
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赤人塚 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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赤人塚。

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文化二年(1805)に建てられた碑なのでかなり古い。
赤人とは万葉の歌人、山部赤人のこと。
ここが出生地らしい。

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田児の浦ゆ
うち出て見れば真白にて
不盡の高嶺に雪はふりける

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富士山の方角を見るも・・・・見えない。

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でも、幼き頃の山部赤人の目には
こう写っていたはず。

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千葉から見る富士山は日本一イィィィ!!!
と赤人は思っていたはず。
と思いつつ見学完了。
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ぼけよけ地蔵 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2月中旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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ベンチもあるよ。
しかし、すごい置き方だ・・・

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早速、地蔵様の下へ。

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木のお地蔵様。
とっても柔和なお顔立ち。
ありがたや~。

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お供え物はなぜかビール。

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お賽銭はここから
「追突されませんように!」

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ビールをしこたま飲んでも、このお地蔵様は
きっとぼけないので、高齢者事故に対しての
願い・備えはバッチリ。
と思いつつ見学完了。
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宮谷懸廳碑 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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本国寺の駐車場へ。

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イノシシに注意しながら県庁碑へ。

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宮谷懸廳碑。

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明治~昭和初期の碑に良く記載されている
漢文カナカナ文字説明文。
これ非常に読みにくい・・・・

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今風の説明碑が。

宮谷県庁跡
明治2年(1869)、新政府により、本国寺を県庁とする宮谷県
が設置されました。宮谷県の範囲は、安房、上総をはじめ
常陸の一部も含んでいました。
明治4年、安房と上総の全域
が木更津県として統合され、宮谷県は廃止されました。
明治6年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に
近い千葉県が誕生しました。

「ちばらき」(千葉+茨城)と言われることが
あるけど、このことだったのかー。

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県庁のあった本国寺へ。

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春のはじめの御悦びは月のみつるがごとく
なんか縁起の良さそうなお言葉。

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本国寺にある指定文化財。

木造日蓮上人座像:
本像は、本國寺に伝わった裸形着装形式の日蓮聖人像
である。折雨の霊験あらたかなので「雨乞いのお祖師
さま」
と呼ばれていた。
平成修理の際に、像内から墨書銘が発見され、天文十五年
(一五四六)四月八日に造立され、「大檀那酒井小太郎」
「大願主板倉右衛門尉」ほか多くの酒井氏一族の名が
記されている。
本堂に向かって左側に、文政四年(一八二一)と昭和八年
(一九三三)の雨乞いの報恩碑が立っている。前者は結願
の日に大雨が降ったこと。後者は昭和八年の大干魃の時
の雨乞いの報恩の思いを伝えている。
なお、本像は通常非公開である。

くぅ、「雨乞いのお祖師さま」みたかった・・・・・

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この後ろにあるのが、雨乞い報恩の碑。

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本堂でご祈願を。
「追突されませんように!」

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1月4日だったけど蝋梅が。
マスク越しでもわかるいい香り。

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バイクなので雨乞いの効果は不要っ!
と思いつつ見学完了。
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空挺レンジャー発祥の地 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2月中旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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千葉と言えば第1空挺団っ。

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道の駅 保田小。
ここからちょっと歩く・・・・

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南国千葉なので2月だけど桜が咲いている~。

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保田神社に到着。

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何にでもご利益がありそうだ。

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ご本尊様にご祈願。
「追突されませんように!」

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ご祈願終了後、神社の奥へ行くと・・・・

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日露戦争記念碑、征清紀念碑が。
そして

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空挺レンジャー発祥の地。

この近くにある教育機関と言えば保田小。

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昔、保田小の勤勉な在校生は

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パラシュート降下訓練をしていたのかも。

記念碑の説明文を読んでみる。

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空挺レンジャー発祥の地:
昭和三十三年春、この地で空挺レンジャー教育が開始され
爾来現在まで自衛隊・警察・消防等のレンジャー約二千名
が育成され各界で活躍している。
この地で教育が開始された由縁は、本地が教育適地の中心
地であったこと及び当時の神社氏子が快く境内を提供した
ことによる。
昨秋、これら町民の協力や温かい支援に対し防衛庁長官か
ら鋸南町に感謝状が贈呈された。
このたび、教育開始以来三十五年間築き上げた鋸南町民と
自衛隊員との信頼協力関係のますますの発展を祈念して
本碑を建立した。

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保田小で訓練をしていたわけではなさそうだけど
保田小卒業生にきっとレンジャー部隊に入った
生徒は居そうな気が。と思いつつ見学完了。
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木葉下金山跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2022年12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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林道をちょっと歩いていく・・・

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あったー。

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木葉下金山跡。

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木葉下の金山跡:
木葉下の金山は、金山開発に熱心であった佐竹氏の時代に
開かれた金山の一つで、産出された金は豊臣政権下におい
て重要な資金源でした。佐竹領から豊臣政権へ納められた
金の量は、上杉・伊達領に次いで第三位を誇ったといわれ
全国屈指のものでした。その後、徳川時代に至っても採掘
は続きましたが、いつ頃まで金が産出されていたのかは明
らかではありません。現在も金山地区には坑口の跡が散在
しており、その数は30とも40ともいわれています。近くに
は、鉱石から金粒を選別した弁天池が残っています。

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こっちにも、もう少し詳しい説明が。

佐竹氏の時代に開かれ水戸藩の初期まで採掘した金山の跡
であってそのもとは豊臣秀吉の鉱山政策にあった。佐竹氏
は領内金山の産金額の十分の一を運上として秀吉に納めた
が、その額は全国でも上位にあったと言われる。水戸藩も
永田勘右衛門(円水)に採掘させたが採金量はしだいに減少
した。今もその坑口と鉱石を洗った弁天池が残っている。

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この穴の奥には・・・・・・

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今でも、もしかしたらこんな風に
金が眠っているのかも。

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一発当てたらZ900RSも金ぴかにできるのに。
と思いつつ見学完了。
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馬乗り馬頭観音 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

木更津市、小櫃川の土手にある馬頭観音。

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停められそうな場所へ。
早速、馬頭観音の下へ。

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馬頭観音:
馬の供養塔である。寛政八年(一七九六)に望陀村の
若者たちが造立しており、馬への愛情がうかがえる。
明治十九年、中郷地区の五三二戸で牛はゼロ、馬は
一八三頭も飼育されていた。
馬は農作業や荷物運搬
に働いた。
また、軍馬としても活躍した。この馬乗り馬頭観音
は、房総地方でも一、二を競う大きさである。

千葉は牛よりも馬だったと・・・・
だからバイク乗りも多いんだー。

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確かに、普通の観音様と違う雰囲気が。

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しっかりとニーグリップ。
バイク乗りの基本。

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観音様だけど顔が3つ。
こ、これは・・・・・

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アシュラマン。

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そういえば、前のバイクが大破してから
もうすぐで一年か・・・・
今のバイクと形変わらないけど。

心の中で供養しないと。
と思いつつ見学完了。
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岩見堂やぐら [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

富津市の山側。

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停められそうな場所へ。

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岩見堂やぐら:
岩見堂やぐらは、相川上流域右岸の丘陵の中腹に
南を向いて開口している。富津市域のやぐらの中
でもひときわ荘厳で規模の大きいものであり、横
幅五m、奥行四.三mを測る。当初の築造は中世と
見られるが、近世に大幅な増改築が行われており
墳墓というよりも仏堂としての性格が強い。
左側の壁には四基以上の五輪等が浮き彫りにされ
ているが、これらは江戸時代初期の作と見られる。
また、側壁から天井にかけては、漆喰の塗られて
いた痕が残る。
奥壁には龕(壁面を彫り込んで作った窪み)が造ら
れ、石仏群が並べられている。石仏には、寛文年
間(一六六一~一六七三)の地蔵菩薩立像があり、
仏堂としての改築・整備が江戸時代前期であるこ
とを示す。また厨子の中には、享保十九年(一七三
四)の紀年銘のある銅造十一面観音立像が安置され
ている。
岩見堂の麓の集落は古屋敷と呼ばれ、中世の屋敷
地であった可能性がある。また、戦国時代の土豪
鳥海氏の館跡も近距離にあり、その関係も窺われる。

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さっそく、やぐらへ。

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バイクブーツ殺し(滑る)の階段を登っていくと・・・

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岩見堂やぐら到着。

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厨子と江戸時代初期の石仏が。

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左奥側には石仏様が。

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御祈祷 ご祈願を
「追突されませんように!」

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ご本尊様のおかげか帰りは(苔た階段の)下り
だったけどバイクブーツでも全く滑らず。
もしかしたら、受験にもご利益があるかも。
と思いつつ見学完了。
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鋸山のヒカリモ発生地 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

富津館山道路近く。

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ベンチもあるよ。

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こんな穴が周辺に3つほど。
早速、ヒカリモへ。

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ヤス「もんすたあ さぷらいずど ゆう
と かいて あります ???
なダンジョンっぽい雰囲気。

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これか?なんか光っている気がする。

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さらに別のダンジョンへ。

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緑色なのはヒカリモじゃなくコケかな?

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下の金色っぽいのがヒカリモっぽい気も。

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そもそも、指定記念物の竹岡のヒカリモ
でもこんな感じだし・・・

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長野の岩村田は光っているけど
ヒカリゴケだし・・・

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微妙な光を感じ取れる鋭敏な感覚を
鍛えないとダメなのかも。
と思いつつ見学完了。
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元鹿島海軍航空基地隊の跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月下旬、茨城に行った際に立ち寄った所。

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記念碑の前に周辺に残っている施設へ。
稲フォルニアに行く手前・・・・

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基地隊の校舎っぽい建物。

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立入禁止。

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扉は開かれることはないんだろうな。

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屋上には草が。

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さらに奥には工場っぽい建物が。

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稲フォルニアをぐるっと回った所に・・・・・

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記念碑 元鹿島海軍航空基地隊の跡

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碑文:
この地は、元日本帝国海軍所属の水上機搭乗員養成基地
「鹿島海軍航空隊」があったその一角であり、当時義務
教育を終え又は旧制中学校中途で志願してきた飛行練習
生、
大学在学中に志望してきた飛行専修予備学生、海軍
兵学校出身の飛行学生等、隊内各兵科の支えを受けなが
ら優秀な「パイロット」を育成していたところである。
昭和十三年五月十一日開隊後、昭和二十年八月十五日の
終戦まで、特に大東亜戦争に突入後は逐次日本本土防衛
の体制に移行し、外部からの襲撃を未然に防御するため
哨戒飛行、索敵飛行、迎撃発進等果敢に防戦に傾注した
ものの我に利あらず、遂には未帰還機あり、空中戦での
戦死傷者あり、果ては特攻隊編成による沖縄周辺に群が
る敵艦船に突入戦死、又は地上においても作業中の隊員
が機銃掃射を浴び戦死する等、この鹿島空在隊者だけで
も数十名に及ぶ尊い犠牲者を出したのである。
遅ればせながら我々生存者一同浄財を集め、救国の精神
に燃え散華していった英霊に黙祷を捧げ、ご冥福を祈る
と共にこの事実は後世に伝承すべく、ここに記念碑を建
立するものである。

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碑文の前にも基地隊の関連施設が。

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碑文の隣にあるこれは、掩体壕っぽい
戦闘機の格納庫なのかも。

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この扉の向こうには・・・・太平洋戦争
当時の水上機とか眠っていそう。

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義務教育を終え又は旧制中学校中途者が
多かったみたいな感じなのでお酒は飲めた
のかな?と思いつつ見学完了。
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大黒石 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2022年12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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行く手には石が!

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かなり大きな石。

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大黒石:
鎌倉時代の初め、佐白山の僧兵と、七会の徳蔵寺の僧兵が
その勢力を争って戦った。佐白山の僧兵は戦いに敗れて佐
白山頂近くまで逃げのび、山上にあった大黒石をころがし
た。徳蔵寺の僧兵は、ころげ落ちる大黒石の下じきになり
多くの死者が出たため、佐白山の僧兵は、あやうく難をの
がれることができた。大黒石は、そのときここまでころげ
落ちて止まったといわれています。この大黒石の中ほどに
小穴があり大黒のおへそといわれ、このへそに小石を三度
つづけて投げそのうち一つでも入れば、幸せがあると伝え
られています。

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この石の下には徳蔵寺の僧兵達の多数の亡骸が・・・
ある意味墓標。

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この赤丸の部分がきっと大黒のおへそ。

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小石が!きっと、ここに投げ入れた
人は幸せになっているのかも・・・・ちっ。

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こんな石が山上から突然転がってきたら
Z900RSでも避けられない・・・
と思いつつ見学完了。
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崎浜横穴群 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

かすみがうら市指定史跡。

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看板の前の駐車。

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カキ化石床の歴史遺産。
崎浜から川尻にかけては、約13万~12万年前にこの地域が
海(古東京湾)であった時代の干潟に生息していたカキ化石
の密集層が見られます。こられのカキ化石床を含む地層を
掘り抜いて作られた崎浜横穴墓は貴重な歴史遺産となって
います。また、約7000年~6000年前の縄文海進後の海面
低下で形成された湖岸低地帯は見渡す限りのハス田となっ
ており、レンコンの一大産地となっています。

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お地蔵様の周りは・・・・

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カキ(牡蠣殻)。

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昔、この辺りにカキ小屋があった
と言うわけではないっ!

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この横穴には

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お地蔵様と塔婆が。

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牡蠣殻層はところどころよく見ると
カキ以外の貝の化石も。

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さらに別の穴。これは

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亡くなった人を安置したところ。

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カキの食べ過ぎで死んだ人とかを安置していたのかも。
でも、死後も大好きなカキに囲まれてある意味幸せ
なのかもしれない。

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約12万年前のようにここが海で牡蠣の
産地だったら、伊勢志摩まで200km/h
で行かなくても新鮮な牡蠣が・・・・
と思いつつ見学完了。
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北須賀山 満願寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

霞南ゴルフ倶楽部、近く。

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停められそうな場所へ。

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ここの目玉。

釈迦如来像 壱躯:
満願寺の起立は、天平一二年(七四〇)四月八日
行墓菩薩の開基と伝えられる。
本仏像は今から約一三〇〇年前のもので、当寺
創建当初より奉安されたものと推定され、茨城
県下最古の仏像である。
黒色金銅、総高一八、七七センチメートル、飛鳥
時代の典型的特長を歴然と残している。
惜しいかな、天正一八年(一五九〇)兵火に罹りて
尊像も焼け全身鍍金を失い古代の微笑を損傷し
ている。

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山門をくぐり本堂へ。

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仁王様がちょっと安っぽい かわいい。

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本堂到着。

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釈迦如来像 壱躯。
おおー、これはなかなか。

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ご祈願を
「追突されませんように!」

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さらに境内には延命地蔵尊が。

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延命地蔵尊:
当山延命地蔵尊は、承久二年七月二四日鎌倉尼将軍政子
(頼朝公室)鹿島神宮参詣の砌り当山に立寄り三浦義村を
奉行として仏師運慶に尊像彫刻せしめ旨ありて当山に
安置す、故に仏供料百貫文の土地を寄付す是即ち頼朝
公薨去後冥福のためなりと云へり其の後、芦名、佐竹
土岐、の管轄を経て東照公、家康の時慶長七年当山に
弐捨石の御朱印を賜りしも、鎌倉の故事を継ぎしもの
なりと当山の地蔵尊縁起録に記載せり、因て安産、
子育、延命、地蔵尊は霊験最も能く人の知る処なれば
信心の善男、善女、共に利益昔からん事を欲す。

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運慶の彫刻のためか、ここには無い状態(ぽい)。
博物館とかに別途保存されているのかも。

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ここでお参りしてから18ホール回れば
(ライザップ並みに)スコアアップ。
と思いつつ見学完了。
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青いコチョウラン [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

筑波実験植物園にて。
1/29までなので終わり・・・・

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植物園内の駐車場は満車状態。
だけど、バイクなのですぐに停められると言う。

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入場料320円を払い中へ。

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入場するとすぐに青いコチョウラン。

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青いコチョウランができるまで
コチョウランには青い花を咲かせる種類がありませんでした。
青い花の色素デルフィニジンを作る遺伝子を、コチョウラン
が持たないためです。少しでも青に近づけようと交配を繰り
返しても努力は報われません。こうした場合、他の青い花を
咲かせる植物からデルフィニジンを作る遺伝子を単離り、
遺伝子組換え技術を使って遺伝子を細胞内に入れることによ
り、青い花を咲かせることのできる可能性があります。
千葉大学の研究チームは石原産業が単離したツユクサの青を
発現させる遺伝子を導入し、青いコチョウランを作ることに
成功しました。

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無惨様の求めている青い彼岸花も
この技術を使えば量産化も・・・

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外の温室でもラン展が。

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ランに見えないけどこれらもラン。

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ランは南極大陸以外どこにでもいるとの事。

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デンドロビウム。


機動戦士ガンダム ユニバーサルユニット ガンダム試作3号機 デンドロビウム(キャンディオンラインショップ限定)







まさか、本物のデンドロビウムが見られるとは・・・・

ランの他にも

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とってもいい匂いなバニラ。

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臭いかぎたかったラフレシア。

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食中植物もいて

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梅もボチボチ咲いている~。

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でも14時なのに池には氷が・・・・・

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館内から外に出たときの気温差に
青ざめそうな真冬の昼間っ!
と思いつつ見学完了。
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真忠組志士の碑 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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停められそうな場所へ。

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竹久夢二の歌が。

待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな

独身だったのかも・・・・・

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そして、その近くにある真忠組の碑。

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真忠組志士鎮魂碑:
志士の辞世

三浦帯刀有国

国のために民のためとて捨てる身は
これぞ日本の人のたましひ

~~漢文の方は省略~~

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そして、この碑の近くには志士の墓が。
辞世の句の漢文の方が首領。

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首領 楠音次郎と副首領 三浦帯刀の墓。

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明治の黎明に魁て、全国の愛国義勇の志士と同調し
救国済民倒幕攘夷の為め決起し、犠牲になった天朝
の赤心同盟「真忠組」志士諸英霊の冥福を祈念し奉る。
伏惟、首領楠音次郎、本名「樋山民部」は烏山城主
大久保候(譜代・三万石)に仕官せしが、藩論と意見
合わず脱藩、妻子を残して江戸表へ出て「尊攘派」
と連携実践活動を画策すること数年、当地に来住、
旅籠「大村屋」に止宿、千葉源治郎並に三浦帯刀
(副首領)と共に、攘夷世直しと窮民救済を大義名分
に「真忠組房総支配所」を設置し、農漁民紺屋等
各層の者を糾合「真忠組」を結成し、大村屋を本陣
とし、茂原・八日市場等を拠点として、武具・米穀
資金等を拠出させ「借用書」を与えて、攘夷戦力の
実践行動に移った。
かくて、当時の「幕藩体制」の世状の下、志士等の
決起趣意心情が一般領民へ理解浸透せず、遂に元治
元年(西紀一八六四)一月十七日、佐倉・福島・一ノ宮
等の各藩千六百余の藩兵により本陣大村屋が急襲され
首領楠音次郎以下六名討死、副首領三浦帯刀等六名は
救援の途上捕えられ各々当所にて打首獄門となる。
その他残余四十一人の者は離散するに至った。
楠音次郎の法名は「徹箭院勇心良義居士」と称し菩提寺
の過去帳に記載されている。
顧るに志士等の行動たるや憂国純真勇義心に基づくと
言えども、時に適わず、不逞不良の輩と称せらる。
茲に志士等逝いて百三十年、歴史観の進歩展開は、
志士等が行動の評価初めて正鵠を得たるものとなる
志士等の英霊以って冥す可きものか。よって今般
楠音次郎の子孫の一員として、此処に墓碑を建立し
先祖の偉業を顕彰し之を後昏に傳えんとす。

子孫いるんだ。

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さらに近くには陸軍歩兵上等兵
川野万蔵さんのお墓が。

書が林銑十郎と言う・・・・すげー。

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千葉って、結構、明治維新の激戦地だったんだなー
(近藤勇のお墓もあるし)と思いつつ見学完了。
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うなぎ地蔵と竜潭渕 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2022年12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

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ちょっと離れた停められそうな場所へ。
後ろのカーブに向かって歩く・・・・

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あったー。

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うなぎ地蔵。

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うなぎ地蔵と竜潭渕:
清音寺にひときわ目立って美しく、まじめな小僧
がいました。毎日どこからか赤飯を持ってきてご
本尊にお供えしていました。
水戸義公(黄門)が清音寺詣での帰りにこの辺りで
鮎つりをされたとき、藤井川の水清く、竜がひそ
んでいるような深みに感動し、この渕を「竜潭渕」
と名づけられました。
その日大きなうなぎがつり上げられ、腹を裂くと
赤飯がでてきました。

この日から美男小僧は姿を消し、本尊の前に赤飯
も見られなくなりました。
あの小僧はうなぎの化身ではなかったかと言われ
村人はその供養のため地蔵を建てました。
「うなぎ地蔵」とよばれ、今日に至っています。

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向かいにあるこの渕が多分、竜潭渕かな。

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釣りあげられた小僧はさばかれ

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うな重に。

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この2体のうちの

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こっち側がうなぎ地蔵。
ご祈願を。「追突されませんように!」

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うな重のごはん部分が赤飯って意外とあうかも。
と思いつつ見学完了。
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山武市指定文化財 石仏 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

杉林の中にある石仏。

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停められそうな場所へ。

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ここから約260mぐらい歩くと・・・・

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真行寺廃寺跡の看板が。

本廃寺跡は、昭和56年~58年に発掘調査が実施され
南北2基の基壇をはじめいくつかの遺跡が確認され
ました。2基の基壇は、南側基壇が金堂跡、北側を
講堂跡と想定されています。
発見された出土土器には墨で書かれた土器が確認され
寺院関係の墨書銘には「武射寺」「大寺」「仏工舎」
があります。「武射寺」の墨書銘が出土したことに
より、本寺跡が武射郡の郡名寺院であったことが判断
されます。創建年代は、出土瓦から7世紀末から8世紀
前半代には創建されたものと推定されています。

お目当ての石仏はここにはなく、さらに奥へ。

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矢印の方向へ進んでいく

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分岐が現れたら右のほうへ。

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しばらくするとこの看板が右手に
見えるのでそのまま道なり。

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ちょっと行くと、この分岐が。
最初、分岐とは思わず先に進んでしまった・・・
分岐には見えないけど。

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右側にはこんなのが。
倒木が鳥居っぽく見えなくもないっ!

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この看板が見えたらすぐ。
なんかちょっと怖いけど。

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山武市指定文化財 石仏、到着。

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石仏:
この石仏は、真行寺廃寺から北東へ300mほど離れた
真行寺古墳群が所在する台地で、方墳の中腹に位置
しています。
石仏の高さは1mほどで、材質は金剛地層が固結し砂
岩層となったものです。浪切不動尊及び柴原地区等
に見られる岩石と同種です。岩石は加工しやすく、
石仏の表情は素朴で仏的な顔が彫られています。
作者や造立年代は不明で、方墳築造後の後世に立て
られたことは間違いなく、真行寺廃寺との関連性が
指摘されていますが、判然としません。

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横から見るとこんな感じ。
意外に厚みがある~。

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石仏様にご祈願を
「追突されませんように!」

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モアイっぽく見えるので、もしかしたら
イースター島と何か関連ありそう・・・
と思いつつ見学完了。
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血不動尊 和光院 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

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↘←↙↓↘→↙→+BD
ブラッディフラッシュ!と叫んでみたくなったり。

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駐車場へ。

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ぎゃあああああああああ。血まみれの看板。
ではなく、只の錆びた看板。

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おっ、なんか良い樹があるぞ。

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和光院の大椎(樹齢約五〇〇年)
和光院は、かつて江戸氏の祈願時として水戸城内にあったが
天正十八年(一五九〇)佐竹氏との戦いに敗れたため田島村へ
退いた。
「和漢合運」によれば、和光院が田島へ移る以前に、この場
所に長松寺という真言道場があったことが記されている。
この寺の開基等については詳ではないが、真言宗が水戸地方
に進展した室町時代の早期に創建されたと考えられる。
天文年間(一五三二~一五五四)には笠間岩谷寺や水戸和光院
などと頻繁に交流があり、和光院第二世宥胤法印は岩谷寺で
灌頂執行のあとここ長松寺においても灌頂(伝法等の儀式)を
行っている。また、和光院第四世となった慶岳上人も上方
修学のあと一時この寺に住んだことがあり、当時かなりの寺
であったことがうかがわれる。
大椎は、これらの寺の歴史からみても樹齢五〇〇年は経てい
るものと思われ、天然記念物として大切に保存すべきもので
ある。

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おおー。すごい大椎。

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根が張り巡らされている様にも見える幹。

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大きさは30mなのでジャイアントロボと同じぐらい。

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手水が。

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ドラゴーンと思って近づいたら
びっくり、水が出てきた。
人感センサー内臓なのね。

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本堂を過ぎると・・・・・・

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真っ赤な建物が!

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和光院不動堂:
一 由緒
当時は、真言宗智山派に属し、傳燈山和光院明楽寺といい
康安元年(一三六一)鹿島神主に創建された。その後、江戸氏
の外護を受けて、大永二年(一五二二)に水戸城郭内船戸山に
移建、江戸氏の祈願時となる。天正十八年(一五九〇)江戸氏
没落のあと、寺は文禄四年(一五九五)この地に再建された。
二 建築概要
桁行三間(二五.九尺) 梁間三間(二五.九尺) の本体に回縁を
まわし、正面に唐破風一間(一一.一尺) の向拝を設ける。
屋根は昭和四十九年に桟瓦寄棟造りに改める前は茅葺であった。
組物は、三手先の唐様詰組で隅部及び柱上では二重尾垂木を
用いている。内陣天井は格天井、外陣が化粧屋根裏である。
平面構成は、梁間前面一間を外陣、背面二間を内陣とする
密教本堂特有のもので、間に格子の結界を設ける。
三 建築年代及び大工
寺蔵記録によると、第二十七世通寛の代の宝暦五年(一七五五)
に着手し、同九年上棟とある。また、大工名は屋根替えの際
発見された小屋裏墨書によると、上総国(千葉県)武射郡在住
戸井又右衛門とあったという。
規模も大きく構造様式ともに優れており、虹梁の唐草文様や
拳鼻の刳形等建築細部は、この銘のように江戸時代中期の特
色を示しながら、大工の流派的特徴をよく残しており建築技
法伝播の一事例として文化的価値が高い建物である。

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横から見ても、血の様に真っ赤。

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ご本尊様。血の色のようなダルマが!

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御祈願を
「追突されませんように!」

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ここのご加護で、きっと血まみれに
なるような追突は避けられる。
と思いつつ見学完了。
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義士顕彰碑及び大石邸址 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

先週の12月14日は赤穂浪士討ち入りから丁度320年。
※旧暦だろ、というツッコミは却下っ。

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笠間稲荷外苑駐車場へ。

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駐車場を出て坂を登っていくと・・・・

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史蹟 笠間常主下屋敷跡。

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お城に見えるけど、これは時鐘。

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さらに旧笠間町立美術館。
明治天皇の行在所の一部を移築して
美術館としたらしい。

そして美術館の先に・・・・

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義士顕彰碑。

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由来は・・・長いし読みにくいので割愛っ。

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内閣総理大臣 池田勇人。
なんか「誠」だと新選組に間違えられそう。

続いて、坂を下りて大石邸址へ。

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大石邸址到着っ。

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大石邸跡:
ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の
知られた大石内蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住ん
でいた屋敷跡である。浅野氏は、元和八年(一六二二)に笠間
五万三千五百石の藩主になったが、その頃の笠間城は左白山
頂近くの本丸で政務を執っていた。浅野氏はよりよい政治を
するため、城下町に近い台地(今の山麓公園)に笠間城の下屋
敷として御殿を建て、また笠間城下町を整え現在の笠間市街
地の基を作った。笠間藩主浅野長直の家老である大石氏は、
御殿の直ぐ下にあたるこの地に屋敷を与えられていた。
長直は、正保二年(一六四五)に赤穂へ国替えとなったが、
その後の代々の笠間藩主もこの地を家老屋敷として与えて
いた。

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大石内蔵助の銅像が。

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大石内蔵助良雄を統領とする赤穂浪士の義挙は天下に
喧伝されて知らない人はない。その主浅野公が父子二
代に亘って笠間城を領し、良雄の祖父良欽が家老とし
て此の地に住したことを知る人は寡ない。而してこの
銅像建立の地こを浅野藩邸を経営した由縁の地である。
義挙の精神の源流は関東に尚武の氣風をもつて鳴つた
当地に発することを信じ
浅野家が笠間より赤穂に移つ
て三百三十年の記念すべき年にこの銅像を建てるもの
である。

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山鹿流陣太鼓も再現。

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友部で乗り換えれば、品川泉岳寺まで直通。
と思いつつ見学完了。
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吉田神社(水戸市) [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

日本一の角松 門松があると言う。

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駐車場に到着。
早速、本殿へ・・・・と思ったら

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ん!?
もしかして、ここはバイク神社?

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バイク神社だー。

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CB400 Four。かっけー。

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バイクお守りも。
朝、早すぎで社務所がやっていなかった・・・・

道楽御守:
ツーリング等道を安全に楽しめる「交通安全御守り」
趣味の二輪車道を日々楽しめる「身体安全御守り」
道楽御守りにはこの二つの安全をご祈願致しております。
ライダーの皆様に良い風が吹きます様に。

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色々な参拝方法に対応。
オンラインでも参拝可。

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手水・・・は使えなかった。

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お目当ての角松 門松。

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日本一大きい角松 門松。高さ7m。

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ダンバインと大体同じ高さ。

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本殿。

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バイク神社の御本尊様にお参り。
「追突されませんように!」

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冬なのであんまり風が吹かない方が
良いな。と思いつつ見学完了。
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大甕神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

日立市にある神社。

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駐車場へ。

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一応、砂利が大きいので隼用のスタンド置きを・・・

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大甕神社。

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これが意外にあったかい。
風情があるし・・・・・

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本殿参道はこちら。

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途中、鎖場が!

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と言っても距離は短い。
無くても登ることは可能。

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本殿で御祈願。
「追突されませんように!」

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帰りは裏道から。
途中・・・・・・

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境界石(別名 縁切石):
「縁結び」を祈願される方は多勢(私は含まない)
おられますが、中には悪しき縁により辛苦困難
に陥り、やがて身を滅ぼす事もあります。
そのような現世の悪しき縁を断ち切り、開運
招福を記念してお潜り下さい。

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なにこれ?やべー、こえー。

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本殿じゃないけど、多分本殿。

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大甕神社の由緒:
當社の創祀は、悠遠往古にして詳らかならずと雖も
社傳には皇紀元年と言へり、御祭神武葉槌命、地主
神甕星香々背男の霊力を封じ国土開発と邦家静謐に
御稜威灼然なり。
爾来、此の地の住民大甕神社を鎮守と仰ぎ奉り各々
家業に励み、天下泰平を祈念しつつ現今に及べり、
斯かる創祀の古き當社なれば、大甕山上古宮の地に
在りても、祭祀の厳修怠ることなし。
時移りて、江戸期藩命を蒙り、甕星香々背男の磐座
上に、社殿を造営遷座せり、維時元禄八年旧暦四月
九日なり、幾多の星霜を経たる今日に至るも御神徳
著しく赫々たり。
是れ偏に氏子崇敬者の丹誠に據るものなり。

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御本尊様。御祈願を
「追突されませんように!」

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さらに境内には天然記念物
東天紅鶏が。

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そう言えば、来週クリスマスだっけ。

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結婚後、もしかしたら境界石に
拝みに来る人がいるかもしれない・・・・
と思いつつ見学完了。
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源義賢の墓 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

5月中旬、埼玉に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場。

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早速、向かい側にある源義賢の墓へ。

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源義賢の墓、到着。

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源義賢の墓:
義賢は、源為義の次子(長子は義朝)で、近衛天皇が
東宮の時に仕え、帯刀の長となったので、帯刀先生
と称され、その後東国に下り、上野国多胡館(群馬県
多野郡吉井町)を本拠地としたので、多胡先生とも称
される。
更にその後、この地(大蔵館)に移住、武蔵国や上野国
に勢力を振るったが、久壽二年(一一五五年八月十六日)
大蔵館で義朝の長子である甥の悪源太(源義平)と合戦
して討たれた。
なお、木曽義仲は、義賢の次子である。
源義賢の墓とつたえられるこの五輪塔は、数度の火災
にあったためか、やや赤く変色している。県内では、
最古の部類に属するものである。
大正十三年三月三十一日に県指定史跡に指定される。

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源義賢公の墓と伝えられる五輪塔。

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賽銭箱は無いけど多数のお供え物が。
もちろんご祈祷。
「追突されませんように!」

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駐車場側にも関連史跡。

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ん!

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こ、こ・・・これは

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ゼーレの会議体。

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碇 ゲンドウな気分に。

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さらに、政治家の揮毫。

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埼玉ゆかりの政治家は、実は源氏の血筋
だったのかも。と思いつつ見学完了。
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上里菅原神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

上里町にある神社。

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駐車場へ。

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早速、境内へ。

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菅原神社:
菅原神社縁起によると、治承年間(一一七七~一一八一)
に伊東祐親が改築したが、度重なる戦火に焼失し、建武
二年(一三三五)村民による再建されたと伝えられている
ので、かなり古い時代に創立されたものと思われる。
江戸時代に至り地頭伊東刑部左衛門により修繕されたと
いわれている。
古くは、天満宮と称されていたが、明治時代の初めに
菅原神社と改称された。
祭神は、武夷鳥神、火雷神、菅原道真公である。
また、境内には、厳島神社、秋葉神社、稲荷神社、八坂
神社、八幡皇太春日神社がまつられている。

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車祓所もあるよ。
でも、この神社が最近注目を浴びる様になったのは・・・・

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ウクライナ。
宮司さんの奥さんがウクライナの方。
しかし、神仏関係の奥さんって美人多いな。いいな~

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本殿へ。

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ウクライナ語の御朱印。

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本殿前の廻廊はウクライナカラー。

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ご祈祷を。
「追突されませんように!」

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社務所でお守り購入。

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ウクライナ。

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ウクライナの神がきっと追突から護って
くれるかも。と思いつつ見学完了。
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はしか橋 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

小川町にある橋。

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(バイクなら)停められそうな所へ。

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目の前には庚申塚が。
でも、目的はこっちではなく・・・・

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こっち。

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はしか橋。

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はしか橋:(見にくいので一部漢字に)
五ノ坪に大きな石でできた橋があります。
むかし村の子供がはしかにかかり、体中に赤い
ポツポツができ、顔を真っ赤にし高い熱を出して
苦しんでいました。子供のお母さんは、可哀想で
たまりませんでした。日が経って子供の病気は治
るどころか重くなるばかりでした。

ある日お母さんは、五ノ坪にある橋を潜ればはしか
が、治ると言う話を聞きました。お母さんは、早速
子供をおぶい五ノ坪にやってきました。大きな平石
でできた橋に手を合わせ「はしかを治してください」
と祈りながら潜りました。すると、どうでしょう。
とちまち子供のはしかは良くなりました。
お母さんは、子供を抱いて「良かったね良かったね」
と喜びました。
この話が村中に広まり潜れば治るはしか橋となり、
はしかにかかった人は遠く竹沢、小川、東秩父から
も多くの人がきました。

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はしか橋の坂。

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はしか橋、渡ってみた。

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潜るのははしかにかかった時の為に
とっておくことに。

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橋を潜らなくても、渡るだけで予防接種の
効果はありそう。と思いつつ見学完了。
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どんぐり山 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

ときがわ町の山。

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トレッキングコースの駐車場へ。

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郵便局となりのうどん屋さんまでトレッキング。
100-200mぐらい。

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うどん屋さんの裏手のどんぐり山。

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トトロ。

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どこかで見たことがある部品で構成。

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基本は杉の葉。

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昔、石川で見たトトロと同じ構成。

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こっちは木組みされている
ぐらい巨大だったけど。

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トトロさんの見る景色は・・・・・

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奥武蔵グリーンライン方面の山々。
雨なので水墨画の様な景色。

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記念撮影用のスマホ台もあるよ~。

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雨に濡れても傘をささないイギリス紳士な
トトロっ!。と思いつつ見学完了。
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月讀神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

長南町、トーヨーカントリークラブの近くにある神社。

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停められそうな場所へ。

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鳥居と本殿と御神木。

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鳥居から参拝。
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欄間の彫刻すごい。

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作者は、武志伊八郎信秘。
(3代目 波の伊八)

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場所がいすみ市ではないため、いつもの
こじつけ説明文は無しっ!

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御本尊。御祈願。
「追突されませんように!」

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月の神なので、深夜の追突事故防止には
絶大な効果が期待できるかも。
と思いつつ見学完了。
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小谷松駅 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

いすみ鉄道の駅。

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貯水槽の近くに駐車っ!

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・・・・・ではなく駅前。
前に見える白い建物は物置ではなく駅。

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早速、駅舎へ。
もちろん改札など無い。

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電車は時間帯によっては1本/時間。

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隣の駅まで190円。安い。

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上り 大原方面 下り 上総中野方面

上り、下りどちらも樹!

電車で行くなら上りの方が東京に早く着く。
バイクなら下りの方が東京に早く着く。

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駅舎内には黒板が。

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さらに、いすみくじ。

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引いてみた。

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プチハッピー。
良いのか、微妙なのか・・・・

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ガチャの為にここで途中下車したら大多喜まで
歩いて高速バスで東京まで帰った方が早い・・・
と思いつつ見学完了。
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岩谷観音堂 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

富津市にある史跡。

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駐車場へ。

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岩谷堂:
奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられて
いる岩谷堂は、岩山に幾つもの石洞が掘られ、その洞
壁に数多くの仏像が浮き彫りにされています。
古くは、横穴式の古墳と思われますが鎌倉時代の「や
ぐら」形式の岩洞もあります。
明治時代の石碑には、数馬村大悲山岩谷堂清蔵寺と記
され、本尊は十一面観世音菩薩のお寺です。
線刻や浮彫の五輪塔、大黒様に不動様庚申塔に弘法大
師、縄文時代の石棒と首だけのお地蔵様など、永い間
村人の祈りや集いの場所として在り続けた村の博物館
です。

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階段を登って岩谷堂へ。

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到着。

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こんな感じの洞窟がいくつもあったり。

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洞くつの中には浮彫の石仏様。

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水がしたたる入口から奥へ。

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まさにダンジョンな雰囲気。

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おおー。なんかすげー。

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一部、陽の光が入らない場所も。

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おおー。神秘的~。

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さらに上にも洞くつが。

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先ほどの洞くつないより綺麗な状態。
こっちが鎌倉時代の物かな?

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御堂へ。

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御祈願を
「追突されませんように!」

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岩谷堂の石仏様達がZ900RSを追突から
守ってくださる。と思いつつ見学完了。
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