遠堂の岩観音 [千葉からZ900RSと300km超]
2020年11月下旬、群馬に行った際に立ち寄った場所。
駐車場に到着。
岩観音へ。
ちなみに、岩観音からはこんな景色。
まさにグンマー。
遠堂の岩観音:
この摩崖仏群は、通称岩観音と呼んでいる。
高さ25mに及ぶ、凝灰岩の表面に立像・坐像の観音33体と
弁財天一体が刻まれている。造立当初の彩色された緑や赤
の色が残り、洗練された技法と高い精神性の表現が、量感
あふれる観音群となっている。
南北朝の戦乱のころ、北朝方の大友氏と南朝方の新田氏と
で合戦が行われ、多数の戦殁者がでた。新田氏の末裔新田
郡脇屋村正法寺の僧「良圓」が、菩提を弔うために建立し
たと記録が残っている。中央上部の龕の中には、秩父三拾
四͡箇所と彫られ、札所としての信仰をみることが出来る。
宝永八年(1711)信州石工源七と刻まれ、信州石工の彫刻
技術を巧みに駆使し、慈悲に満ちた目、やすらぎと潤い
を与えてくれる摩崖佛である。
御堂の中にも観音様。
「立ちごけしませんように!」
上の方に行って見ようと思ったけど
電気柵。立入禁止!
下手に触れると感電してしまうため
上に行けず・・・・・
そんな電気柵沿いを入口の左側に行くと
こんなカルタが。
カルタに書かれている通り、ちょっと色が
残っている。これが南北朝時代の色か。
人間同士の合戦は終わったけど、電気柵を見ると
今でも猪との合戦は続いている・・・・・
と思いつつ見学完了。
駐車場に到着。
岩観音へ。
ちなみに、岩観音からはこんな景色。
まさにグンマー。
遠堂の岩観音:
この摩崖仏群は、通称岩観音と呼んでいる。
高さ25mに及ぶ、凝灰岩の表面に立像・坐像の観音33体と
弁財天一体が刻まれている。造立当初の彩色された緑や赤
の色が残り、洗練された技法と高い精神性の表現が、量感
あふれる観音群となっている。
南北朝の戦乱のころ、北朝方の大友氏と南朝方の新田氏と
で合戦が行われ、多数の戦殁者がでた。新田氏の末裔新田
郡脇屋村正法寺の僧「良圓」が、菩提を弔うために建立し
たと記録が残っている。中央上部の龕の中には、秩父三拾
四͡箇所と彫られ、札所としての信仰をみることが出来る。
宝永八年(1711)信州石工源七と刻まれ、信州石工の彫刻
技術を巧みに駆使し、慈悲に満ちた目、やすらぎと潤い
を与えてくれる摩崖佛である。
御堂の中にも観音様。
「立ちごけしませんように!」
上の方に行って見ようと思ったけど
電気柵。立入禁止!
下手に触れると感電してしまうため
上に行けず・・・・・
そんな電気柵沿いを入口の左側に行くと
こんなカルタが。
岩に彫られし観世音
カルタに書かれている通り、ちょっと色が
残っている。これが南北朝時代の色か。
人間同士の合戦は終わったけど、電気柵を見ると
今でも猪との合戦は続いている・・・・・
と思いつつ見学完了。