丹下左膳の碑 [千葉からZ900RSと600km超]
2020年12月中旬、福島に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ。
松川浦の顔にふさわしい立派な碑。
字が良い味を出している。しぶい。
碑の裏側も手抜かりなし。
丹下左膳(林不忘作)の碑:
奥州相馬中村藩(六万石)、相馬大膳亮の家臣
丹下左膳は、主君の密命を受け、関の孫六作
夜泣の名刀「乾雲丸、坤竜丸」をねらい、
不浄門を出て江戸に向かった。
時は、徳川八代将軍吉宗公の御治世。
当時宇田川の清流は、この地を経て松川浦の
葦を洗い、古湊から太平洋に注いだ。
江戸にいた左膳を援けた兵糧も又この地を経た。
乾坤の二刀を手にした時、左膳の脳裡に浮かん
だのは、一路松川浦へ、そして中村城へ堂々と
帰る日の晴姿であった。
不忘が描いたこの型やぶりの相馬武士のロマン
を偲び、このゆかりの地に碑を建て永く記念する。
丹下左膳と言うとこれが決定版なのかも。
美空ひばりさんまで出ていたとは。
漁師さんも毎日碑を見て、丹下左膳になった
気持ちで漁に出ているかも。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
松川浦の顔にふさわしい立派な碑。
字が良い味を出している。しぶい。
碑の裏側も手抜かりなし。
丹下左膳(林不忘作)の碑:
奥州相馬中村藩(六万石)、相馬大膳亮の家臣
丹下左膳は、主君の密命を受け、関の孫六作
夜泣の名刀「乾雲丸、坤竜丸」をねらい、
不浄門を出て江戸に向かった。
時は、徳川八代将軍吉宗公の御治世。
当時宇田川の清流は、この地を経て松川浦の
葦を洗い、古湊から太平洋に注いだ。
江戸にいた左膳を援けた兵糧も又この地を経た。
乾坤の二刀を手にした時、左膳の脳裡に浮かん
だのは、一路松川浦へ、そして中村城へ堂々と
帰る日の晴姿であった。
不忘が描いたこの型やぶりの相馬武士のロマン
を偲び、このゆかりの地に碑を建て永く記念する。
丹下左膳と言うとこれが決定版なのかも。
美空ひばりさんまで出ていたとは。
漁師さんも毎日碑を見て、丹下左膳になった
気持ちで漁に出ているかも。
と思いつつ見学完了。