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伊能忠敬上陸の地 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年8月中旬、北海道に行った際に立ち寄った場所。

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像の付近にはこんな幟も。

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駐車場に到着。

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千葉県の英雄、伊能忠敬様の像。

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伊能忠敬の北海道測量開始地点は福島町吉岡:
五十五歳の伊能忠敬は寛政十二年(1800)閏四月十九日
新暦(六月十一日)江戸深川の富岡八幡宮に参詣後、師匠の
幕府天文方高橋至時に挨拶し、蝦夷地と言われた北海道に
向かって測量の旅に出発した。年内に調査が終わり、地図
を作成提出する計画だったので、大急ぎで奥州街道を北上
し五月十日に津軽の三厩(青森県外ヶ浜町)に到着する。
津軽藩の役船で函館に渡ろうとしたが、風が悪く八泊も
風待ちし、五月十九日漸く出航。しかし、途中で風が変わり
やむなく福島町吉岡に着船。一泊して風を待ったが変わらな
かった。
幕府折衝に手間取った為であるが、北海道まで往復して
地図を作るのに、新暦六月十一日の出発では大変遅すぎた。
時間が限られていたので、決断して吉岡から函館に向かって
測量をはじめる。一日一日が非常に貴重だったから、測量
しながらあるいたに違いない。
吉岡は伊能測量隊の北海道測量開始地点となった。
函館でも諸手続きのため七泊しているが、函館山に登って
本州の目標との方位を計ることができた。六月一日北斗市
市ノ渡に先輩村上島之丞を訪問、従者だった間宮林蔵
出会いご縁が結ばれた。
北海道東南岸を厚岸の近くまで歩測し、さらに別海で天測
したあと引き返す。福島で天測し、吉岡を経て、松前まで
測って役船で三厩に戻る。江戸帰着後は内妻お栄も動員して
データ整理と地図の制作にあたった。提出は十二月二十一日
年内ぎりぎりだった。

樺太を測量した間宮林蔵と会っていたとは。
(間宮林蔵は、お隣茨城県人)

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平成三十年にできた新しい像。

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作者さん。

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腰をかがめて測量している伊能忠敬様。

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ちょっとエッチな角度。

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まいっちんぐ ♥

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伊能忠敬様も地図作成の締め切りに追われていたとは・・・
(歩いて測量を半年で実現するとは)

資料提出の期日は、日程に余裕を持たせて
決めないと。と思いつつ見学完了。
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