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2023年フィライング初日の出 [千葉からZ900RSと600km超]

元旦イブイブ。

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磐田市の鮫島海岸にて。

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結構、車がいるのでこの辺に。
すぐ、帰る条件で・・・・

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この海岸は緑十字機が不時着した場所。

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緑十字機不時着の碑:
■緑十字機の不時着
一九四五(昭和二〇)年八月二〇日二三時五五分
終戦処理のためマッカーサー連合国最高司令官
の指示を受け、降伏文書等の重要書類を運ぶ緑
十字機(一式陸上輸送機、搭乗員六名・軍使九名)
が沖縄・伊江島から千葉・木更津へ向かう途中
原因不明の燃料不足で鮫島海岸に不時着した。
■日本の危機
戦況下、軍使の東京到着の遅れは連合国に遅延工作
とみなされ、本土総攻撃が予想された。ソ連軍も北
方四島に侵攻し、北海道は一部が占領される危機的
状況にあり、列島は一刻を争う緊迫状態に陥っていた。
■鮫島住民の支援。
不時着。そこに偶然居合わせたのが鮫島住民だった。
軍使一行の道案内、リヤカーによる降伏文書の運搬
茶の接待、濡れた衣服の乾燥、電話の案内など迅速
かつ的確な支援により、日本は事なきを得た。
もし、この救援が無かったら本土決戦、日本分断統
治の可能性もあり、人々の命や財産がどれほど失わ
れた計り知れない。今日に続く永き平和は、この地
の支援から始まっている。

静岡なのでお茶重要。

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時刻は6時50分ぐらい。
もう、昇っていてもおかしくないけど
なんか見えない・・・・

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これは曇っているからか?とさらに10分ぐらい待つと

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おおー、見えた。

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グングン昇っていく。

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明けましておめでとうございます。

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今の時代なら、付近の住民に加えて釣り人が
お魚を軍使に提供してくれるかも。
と思いつつ見学完了。
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2022年走り納めは静岡 [ルート記録、小ネタ]

ちょっと早いけど2022年ラスト。

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今回のルート。最後は静岡っ。

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今回の距離と燃費。
まぁ、西行きなので燃費は・・・・

そして・・・・


ガンダムコレクションDX3 パーフェクト・ジオング 《ブラインドボックス》







パーフェクト下道。

2022年は、
パーフェクト下道で始まり
パーフェクト下道で終り。

=====寒さ対策=====
今冬はどうも寒さに負けている感じ・・・

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寒さ対策としてモンベル製品を取り入れてみた。

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雪山でピッケルを自在に使える
様にするための防寒対策済みグローブ。
GORE-TEX(スキーグローブおなじみ)。

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メリノウールのソックス。
2点で約2万円。

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12/30 (ほぼ)00:00出発。気温3℃。

グローブは最初、ガッカリだったけど
インナー1枚足したら凄い効果。
-2℃でもなんとか行ける~。
でも、夜間の連続走行は2時間が限界っ!
(気温が1桁で上下しても)

ソックスは凄い。ユニクロソックスで
この間の茨城は4時間しかもたなかった(痒い、痛い)けど
これは15時間持つ~。でも、それ以降はやはり・・・・

冬のツーリングは15時間以内で終わらせるよう頑張ろう。

=====国道473号線 通行止め=====
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ん!、これは・・・・なんだ?
自分の行くところに関係あるのか?と進めると

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通行止め。

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あと12kmちょっとで目的地なのに

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結局、大回りして目的地へ。

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時間間に合ったけど、うーん不便だ。
来年の桜の季節までに直るかな?

=====帰省で渋滞は少な目=====
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駒門PA。富士山は・・・・見えないっ。
ここを14:40に出発。

秦野市外、伊勢原市街、大和橋、下鶴間トンネル
江田駅辺りはいつも通りの渋滞だったけど
それ以外はスイスイ。
(神奈川以外はスイスイ)

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おかでで、19:30に到着。
(下道オンリーで約5時間)

帰省しない人は「出かけるなら今でしょう」
冬のツーリングも気持ちいいですよ。
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中山隧道 [千葉からZ900RSと600km超]

11月下旬、新潟に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場へ。
左側は現在の車道のトンネル。

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中山隧道:
この隧道は、中山隧道という。長岡市山古志(小松倉)から魚沼市
(水沢新田)を結ぶ延長877mの隧道である。人を通す手掘りの隧道
としては、日本一の長さといわれている。
この中山隧道は、小松倉から旧広神村、旧小出町への重要な生活
道路として集落を支えてきたが、平成10年12月、国道291号道路
改築工事による新しい中山トンネルの開通により、約50年間に
及ぶ隧道としての役割を終えた。
ここ小松倉集落は、旧山古志村の東側最深部に位置し、周囲を山
塊に囲まれ、当時村人はどこへ行くにも峠越えを強いられていた。
米や木炭など多くの荷物を運ぶ交通は苦難を伴い不便を極めた。
特に冬期間、4mを超える積雪のため峠越えもままならず急病人な
どいく人かの犠牲者も出ていた。
それから逆境に立ち向かい、地域住民の生命と生活を守るため、
先人たちが隧道堀削を思い立ち、昭和8年から16年の歳月を費やし
手掘りで掘り抜いた隧道がこの中山隧道である。昭和24年の開通
当時は922mであったが、水沢口付近での崩壊などにより現在の長
さに至っている。いまでもツルハシの跡が当寺のまま残り、先人
たちの偉大なエネルギーと苦労と感動を伝えてくれる。
このように、この中山隧道は歴史的にも文化的にも優れた価値が
認められ、また、地域住民自ら隧道堀削を決意し堀り抜いた有様
が公共事業の原点にあたることから、近代土木遺産として、トン
ネル技術者・地質関係者など多くの技術者の注目を集めている。

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早速、隧道内へ。

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隧道内の気温は10℃。
当然、外より(確か5-7℃ぐらい)暖かい。

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掘るまいか
し、しぶい映画タイトル。

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土木遺産の認定書とプレート。
さらにVRの紹介。

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QRコードを読み込むと自宅で隧道探索の体験が!
スマホを動かすと、ちゃんと横・後ろを向くと言う。

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ここから手掘り。

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進んで行くと・・・・・

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途中で終点っ!

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終点の隣には積み出し用のトロッコが。

提灯ぐらいの明るさなら雰囲気でるのに・・・
と思ったけど、このトンネルはそもそも
昭和のトンネル。照明灯でも問題なし。

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車の通れる幅ではないけど、もしかしたら
バイクや自転車は通っていたかも。
と思いつつ見学完了。
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血不動尊 和光院 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

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↘←↙↓↘→↙→+BD
ブラッディフラッシュ!と叫んでみたくなったり。

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駐車場へ。

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ぎゃあああああああああ。血まみれの看板。
ではなく、只の錆びた看板。

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おっ、なんか良い樹があるぞ。

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和光院の大椎(樹齢約五〇〇年)
和光院は、かつて江戸氏の祈願時として水戸城内にあったが
天正十八年(一五九〇)佐竹氏との戦いに敗れたため田島村へ
退いた。
「和漢合運」によれば、和光院が田島へ移る以前に、この場
所に長松寺という真言道場があったことが記されている。
この寺の開基等については詳ではないが、真言宗が水戸地方
に進展した室町時代の早期に創建されたと考えられる。
天文年間(一五三二~一五五四)には笠間岩谷寺や水戸和光院
などと頻繁に交流があり、和光院第二世宥胤法印は岩谷寺で
灌頂執行のあとここ長松寺においても灌頂(伝法等の儀式)を
行っている。また、和光院第四世となった慶岳上人も上方
修学のあと一時この寺に住んだことがあり、当時かなりの寺
であったことがうかがわれる。
大椎は、これらの寺の歴史からみても樹齢五〇〇年は経てい
るものと思われ、天然記念物として大切に保存すべきもので
ある。

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おおー。すごい大椎。

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根が張り巡らされている様にも見える幹。

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大きさは30mなのでジャイアントロボと同じぐらい。

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手水が。

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ドラゴーンと思って近づいたら
びっくり、水が出てきた。
人感センサー内臓なのね。

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本堂を過ぎると・・・・・・

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真っ赤な建物が!

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和光院不動堂:
一 由緒
当時は、真言宗智山派に属し、傳燈山和光院明楽寺といい
康安元年(一三六一)鹿島神主に創建された。その後、江戸氏
の外護を受けて、大永二年(一五二二)に水戸城郭内船戸山に
移建、江戸氏の祈願時となる。天正十八年(一五九〇)江戸氏
没落のあと、寺は文禄四年(一五九五)この地に再建された。
二 建築概要
桁行三間(二五.九尺) 梁間三間(二五.九尺) の本体に回縁を
まわし、正面に唐破風一間(一一.一尺) の向拝を設ける。
屋根は昭和四十九年に桟瓦寄棟造りに改める前は茅葺であった。
組物は、三手先の唐様詰組で隅部及び柱上では二重尾垂木を
用いている。内陣天井は格天井、外陣が化粧屋根裏である。
平面構成は、梁間前面一間を外陣、背面二間を内陣とする
密教本堂特有のもので、間に格子の結界を設ける。
三 建築年代及び大工
寺蔵記録によると、第二十七世通寛の代の宝暦五年(一七五五)
に着手し、同九年上棟とある。また、大工名は屋根替えの際
発見された小屋裏墨書によると、上総国(千葉県)武射郡在住
戸井又右衛門とあったという。
規模も大きく構造様式ともに優れており、虹梁の唐草文様や
拳鼻の刳形等建築細部は、この銘のように江戸時代中期の特
色を示しながら、大工の流派的特徴をよく残しており建築技
法伝播の一事例として文化的価値が高い建物である。

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横から見ても、血の様に真っ赤。

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ご本尊様。血の色のようなダルマが!

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御祈願を
「追突されませんように!」

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ここのご加護で、きっと血まみれに
なるような追突は避けられる。
と思いつつ見学完了。
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清納の滝 [千葉からZ900RSと1000km超]

10月上旬、奈良に行った際に立ち寄った場所。

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近くの停められそうな場所へ。
ん!車の裏に吊橋が。

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通行止め。

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渡りたかったー。
すごい吊橋効果が期待できそう。

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清納の滝へ。
ちっ。出合とか書いてある。

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出合には丁度良い静かな滝なんだろうな~。

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入口から200m歩いて・・・・・

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清納の滝到着。
ん!ドドドドドドドドドド・・・・・

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すごい勢いで流れている。
入口の写真のイメージが~。

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滝の隣の丸い部分が、大野出合のビーナス。
ヴィーナスに見えなくもないか。

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凄い迫力のある滝。
荒々しくていいなー。

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滝つぼに落ちたら浮かんでこないかも。
と思いつつ見学完了。
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桃川のおたきさま [千葉からZ900RSと600km超]

9月下旬、新潟に行った際に立ち寄った場所。

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停められそうな場所へ。

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おたき さま
関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め根小屋沢
を流れ下った川が、ここで「男滝」と「女滝」の二段の大きな滝
となって流れ落ちています。
見えている滝は二段目の滝で、一段目の滝はこの少し上流にあります。
滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎神社
です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命」と伝わっています。
古代の人たちは、稲作の命である水が轟々と流れ落ちるこの二段
の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社という
かたちに整えられたと考えられています。
桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、こ
の場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。
右側の崖には、横が約二.五m、縦と奥行が共に約二mもある大
きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があっ
たという言い伝えもありますが、中世時代に流行した山岳修験道
に関係した遺跡である可能性もあります。
今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っ
ていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるよう
に、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治二年
(一八六九)作の立派な「多伎神社額」が現存しています。
江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤
辰左衛門家に伝わった文章には、「(桃川神社と多伎神社は)二神
共二延喜式之霊跡也」、「桃川神社多伎神社、延喜式内旧社」な
どと記されています。
このことは平安時代の延長五年(九二七)に編纂された「延喜式神
名帳」に記載される「磐船郡八座」の「多伎神社」は、この
「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから
桃川にあったことを物語っています。

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看板の横からおたきさま。
でも、やっぱり近づきたい・・・・
おたきさまの下へ。

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階段を降り川岸へ。

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8月の豪雨の影響だろうな・・・・

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堰を渡って

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おたきさま到着。

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たぶん説明文にあった岩屋。
これは手掘りっ!

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小さいけど、迫力のある滝。
これは拝みたくなるかも。
「追突されませんように!」

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説明板には書いてなかったけど、入り口に
書いてある新潟の銘水の由来は?
と思いつつ見学完了。
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梶取崎 [千葉からZ900RSと1000km超]

11月上旬、和歌山に行った際に立ち寄った場所。
落合博満野球記念館の近く。

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駐車場へ。

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早速、歩いて梶取崎の方へ。

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ん!?これは?

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くじら供養碑。

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わが町の先人あちは古くから捕鯨業を営み更にこれを継承して
今日に至っている。為に町は栄わが国捕鯨発祥の地として観光
的にも広くその名を博している。
鯨はまた国民生活をも支え国家の発展にも貢献している。その
恩恵は誠に大きい。ここにくじらの供養碑を建立して鯨魂の永
く鎮りますことを祈るものである。
建設にあたり町出身の捕鯨
関係者有志のご協力に深く感謝し鯨と共に生きる太地町の発展
を切に祈念するものである。

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鯨は生の方が良いな・・・・

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供養碑の台座は船。しゃれてる~。
更に進むと

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夫婦いぶき(イブキビャクシン):
木の幹周りが、一本は3.3メートル、もう一本も3.2メートル
である。とても古い木なので、江戸自体に海を見張っていた
遠見番所の人が植えたものかもしれない。今も熊野灘の強い
潮風に負けず生き続けるこの夫婦いぶきは、梶取崎の象徴と
して大切にされている。

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チッ!。カップルか。

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ベンチも2つありやがる・・・・・

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続いて梶取埼灯台。

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梶取埼(かんとりさき)灯台:
梶取埼は、昔、沖の船がこの岬が見えると梶を取って転針した
ことから名付けられたといわれています。
この岬の北端に小さく突き出た灯明崎には、寛永13年にあんど
ん式の灯明台が紀州藩によって設置され、我国捕鯨産業の発祥
の地大地村を基地とする捕鯨船に取って欠かせない存在であっ
たといわれています。
熊野灘の豪快な男性的な海岸美を一望するこの梶取埼に、沿岸
標識としての重責を担って近代的洋式灯台が建設あれたのは明
治32年11月でした。

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今でも現役っ。

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灯台からさらに先に進んで・・・・

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木をくぐると

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梶取崎の最先端に到着っ!

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男性的な海岸美を見て、駐車場へ。

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男性的な熊野灘には漢一人が良く似合うっ!
と思いつつ見学完了。
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ぷれすた [お土産]

茨城なお土産。

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道の駅 笠間にて購入。

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62g、870円(軽)。

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ぷれすたとは:
プレスして焼く製法に由来します。
プレミアムな「ほし(スター)いも」を
使用したお菓子。煎餅、けんぴ、チップス
に属さない新たなスターをめざします。

要するに、ほしいものプレス焼き。

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とってもパリパリ。
だけど、さつまいも。
芋けんぴの様に歯が折れる危険も少ないっ!

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完食っ!

=====昼飯=====
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道の駅 笠間にて。

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な、なんだこりゃー。
お値段にびっクリ。
見た目にびっクリ。

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純モンブラン贅沢タンタン麺。
1400円(重)。

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お味にびっクリ。
担々麺だけど・・・・

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まろやかー。

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完食っ!
もう一丁行ける味。
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クリスマスな銀ブラ [給油記録、その他]

茨城場所、給油記録。

2022年度
給油回数:64
平均単価:175円/ℓ
給油量:822.12ℓ
総計:143,352円
給油量 ℓあたり 総計 場所 都道府県
10,80L 165円 1760円 茨城町 茨城県

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神奈川より茨城の方が安いっ!
でも、1月からは補助金も減額・・・(参照)。

=====平日の銀座を散歩=====
もちろんプレゼントを買いに来た訳ではないっ!

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松屋が岡本太郎風になっていたり・・・

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銀座であいましょう。
GINZA ART WALK 開催中。

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銀座3丁目もこの通り。

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なんじゃこりゃー。

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このベンチも凄い。

さらに近くのCHANELではお店に入ろうと
したお客さんを受付が呼び止めて
「予約していますか?」
すげー。流石、銀座。
でも、予約入れていなくても入れるッぽい。

=====道の駅 笠間=====
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冬なので二輪駐車場はガラガラ。

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ここもクリスマス・・・・・
と思いきや

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出初め式。

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南京玉すだれ。
お正月イベントの告知も。

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えびにゃんフィギュア売切れ中。

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笠間焼ガチャ。し、しぶい。

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きっとこのポストも笠間焼なのかも。
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義士顕彰碑及び大石邸址 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

先週の12月14日は赤穂浪士討ち入りから丁度320年。
※旧暦だろ、というツッコミは却下っ。

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笠間稲荷外苑駐車場へ。

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駐車場を出て坂を登っていくと・・・・

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史蹟 笠間常主下屋敷跡。

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お城に見えるけど、これは時鐘。

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さらに旧笠間町立美術館。
明治天皇の行在所の一部を移築して
美術館としたらしい。

そして美術館の先に・・・・

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義士顕彰碑。

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由来は・・・長いし読みにくいので割愛っ。

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内閣総理大臣 池田勇人。
なんか「誠」だと新選組に間違えられそう。

続いて、坂を下りて大石邸址へ。

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大石邸址到着っ。

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大石邸跡:
ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の
知られた大石内蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住ん
でいた屋敷跡である。浅野氏は、元和八年(一六二二)に笠間
五万三千五百石の藩主になったが、その頃の笠間城は左白山
頂近くの本丸で政務を執っていた。浅野氏はよりよい政治を
するため、城下町に近い台地(今の山麓公園)に笠間城の下屋
敷として御殿を建て、また笠間城下町を整え現在の笠間市街
地の基を作った。笠間藩主浅野長直の家老である大石氏は、
御殿の直ぐ下にあたるこの地に屋敷を与えられていた。
長直は、正保二年(一六四五)に赤穂へ国替えとなったが、
その後の代々の笠間藩主もこの地を家老屋敷として与えて
いた。

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大石内蔵助の銅像が。

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大石内蔵助良雄を統領とする赤穂浪士の義挙は天下に
喧伝されて知らない人はない。その主浅野公が父子二
代に亘って笠間城を領し、良雄の祖父良欽が家老とし
て此の地に住したことを知る人は寡ない。而してこの
銅像建立の地こを浅野藩邸を経営した由縁の地である。
義挙の精神の源流は関東に尚武の氣風をもつて鳴つた
当地に発することを信じ
浅野家が笠間より赤穂に移つ
て三百三十年の記念すべき年にこの銅像を建てるもの
である。

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山鹿流陣太鼓も再現。

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友部で乗り換えれば、品川泉岳寺まで直通。
と思いつつ見学完了。
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