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善光寺楼門 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

国指定重要文化財。

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この先は道祖神峠と呼ばれる
バイク通行禁止な場所。

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楼門に到着。

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おおーすげー。

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茅葺の屋根と梁がキレイ。

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善光寺楼門:  
小田城主第十二代・小田左衛門尉成治公の母堂は
小田家の菩提寺である山之荘村小野の「新善光寺」
を深く信仰され、出家の身となり「雪主比丘尼
と号した。

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これは比丘尼と読みは似ているけどビキニ

成治公は、母堂の願いから善光寺再興を図り、新治郡
井白郷舘荘太田月光山麓を安穏の地と選び、文亀元年
(一五〇一)「月光山無量寿院善光寺」を建立し、新善
光寺を此処に移した。
元禄十四年(一七〇一)十一月、善光寺は現在地の堂山
に移されたが、当時を偲ぶ建造物は楼門のみとなって
しまった。
楼門とは二階造りの門を意味するが、当楼門は二階
部分を造りながらも、何らかの原因により完成を断念
した「三間一戸楼門」の形態である。戦国時代の世相
の反映と思われるが、室町後期の建築細部様式を持ち
地方的特色を表わした建造物である。
二階は、録と内部が一連となる厚板を切目状に並べ、
この上に土居を置き円柱を立てている。側柱は上部
粽付とし、合輪をまわし手先肘木の組物を乗せながら
その上部は未完成であるが「楼門」の名称で重要文化
財の指定を受けた。
平成五年度から七年度にかけて、楼門の解体修理が
施工されたが、建築に関する記録は一切発見されな
かった。

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楼門を後にし

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階段を登り本堂へ。

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ん!?これは・・・・・・・

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倒壊中。

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扁額の所だけ辛うじてセーフ。

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本堂も重要文化財だったら直されて
いたのかも。と思いつつ見学完了。
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