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岩松院 [千葉からZ900RSと300km超]

7月中旬、長野に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場へ。
ちょっと歩く・・・・

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岩松院が見える場所に歌碑が。

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ガンダム乃テレビに見入る児は六才
戦死とは何ぞ我に問いたり

リュウさん、マチルダさん、スレッガーさん
・・・・そしてララァ。別れと・・・・

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山門に到着っ!。中へ。

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進んで行くと・・・・

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見たかったけど、朝06:20。
さすがにやっていない。

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今回の目的、福島正則公の霊廟へ。

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賤ヶ岳の七本槍の一人、福島正則公霊廟。

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さすがに御本尊様は見えない。

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お賽銭投入。正則公にあやかりご祈祷。
「ヘルメットを落としませんように!」

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福島正則公霊廟:
福島正則は尾張国二ツ寺村(愛知県美和町)に生まれ
加藤清正とともに豊臣秀吉子飼いの武将として活躍。
関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方し、安芸・備後二
国で四九万八〇〇〇余石を領する大大名となった。

元和五年(一六一九)、広島城の石垣修築が武家諸法度
にふれたとして、信州川中島の内二万石、越後魚沼郡
二万五〇〇〇石、計四万五〇〇〇石に減封となった。
このときの城明け渡しは、後世に伝えられるほど見事
であった。

高井野村(高山村堀之内)に屋敷を構えた正則は松川の
治水事業などに取り組んだが、寛永元年(一六二四)七
月十三日、六十四歳でこの世を去った。その際幕府
検死役を待たずに遺体を火葬したとして領地は没収
された。

正則は仏教を深く信仰し、岩松院を菩提寺と定めて
海福寺の寺号をつけた。
墓は高さ二.五メートルの五輪塔、台石に「清福寺
殿前三品相公月翁正印大居士」と刻まれている。

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関ヶ原の戦い前、徳川家康に
「石田三成(実は豊臣家)を倒す鬼にならないか正則。」
と誘われ鬼になり・・・・

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減封の際は城明け渡しに
「俺の責務を全うする」
とみごとな明け渡しに成功。

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そして最後は、焔灯して検死役を待たずに・・・・

福島正則公=煉獄さんだったのかも。

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「強くなりたいと願い泣いた」決意をはなむけに
前だけを向いて進みたいな。と思いつつ見学完了。
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