彦助堤 [千葉からZ900RSと600km超]
11月中旬、静岡に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ無理矢理・・・
浜北ゴルフガーデンの入口近く。
史蹟 彦助堤。
彦助堤:
江戸時代の初め頃、天竜川は大天竜、小天竜の
二つに分かれて流れていました。浜北を貫いて
流れる小天竜はしばしば氾濫し人びとを苦しめ
ました。そこで、延宝三年(一六七五年)ここに
堤防をつくり、小天竜の流れを締め切って本流
に合流させる工事が行われました。川の流れが
強く工事が進みませんでした。
それを見た庄屋の松野彦助は、自分が人柱にな
るから工事を完成してほしいと頼み川に身を投
げました。その熱意にうたれた農民の努力によ
って堤防は完成し、この堤防を彦助堤と呼ぶよ
うになったとの伝説がよく知られています。
ちょっと周りが見えるように引いて見ると
確かに堤があったっぽい。
そしてこの下には
人柱となった彦助さんが・・・・・・
彦助さんの堤は、今でもゴルフ場内の
バンカーの土手でコースを面白くする
ために役に立っているのかも。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ無理矢理・・・
浜北ゴルフガーデンの入口近く。
史蹟 彦助堤。
彦助堤:
江戸時代の初め頃、天竜川は大天竜、小天竜の
二つに分かれて流れていました。浜北を貫いて
流れる小天竜はしばしば氾濫し人びとを苦しめ
ました。そこで、延宝三年(一六七五年)ここに
堤防をつくり、小天竜の流れを締め切って本流
に合流させる工事が行われました。川の流れが
強く工事が進みませんでした。
それを見た庄屋の松野彦助は、自分が人柱にな
るから工事を完成してほしいと頼み川に身を投
げました。その熱意にうたれた農民の努力によ
って堤防は完成し、この堤防を彦助堤と呼ぶよ
うになったとの伝説がよく知られています。
ちょっと周りが見えるように引いて見ると
確かに堤があったっぽい。
そしてこの下には
人柱となった彦助さんが・・・・・・
彦助さんの堤は、今でもゴルフ場内の
バンカーの土手でコースを面白くする
ために役に立っているのかも。
と思いつつ見学完了。