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千葉からZ900RSとちょっとその辺 ブログトップ
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瑞岩寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2月中旬、埼玉に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場へ。

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御不動様が。

つみとかもやきほろぼさんちかいにて
ほのおのなかにたちませるみを

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階段を登り本堂へ。

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本堂到着。

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この狛犬、良いケツしている。

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こちらが本堂。

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奉納画色褪せているけど良い感じ。

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世界平和。

しかし、この5日後にウクライナ侵攻・・・・・

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秩父なので、We love Mt.Buko.

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御本尊様に御祈願。
「タイヤがパンクしませんように!」

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後ろに見える、真っ白い武甲山かっこいい~
と思いつつ見学完了。
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ぐちきき観音 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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大多喜街道から見える看板。
でも、観音様はこの看板の向かい側にあると言う。

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駐車場に到着。

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千葉県警の犬が!

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ぐちきき観音のある光福禅寺の全体図。

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ぐちきき観音到着。

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どうみても不審者じゃない自分に向かって
吠えるとは・・・・このくそ犬。
愚痴を聞いてもらった。

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観音様の裏は開けた景色。
ここで、愚痴を叫んでも良いかも。
千葉県警の犬、うるせー。

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羅漢様の石像が。

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ありがたや。ありがたや。

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こちらは本堂。ご祈祷を
「タイヤがパンクしませんように!」

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敷地内にある前方後円墳。

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なんかあるかな?と思ったけど
何もなかった。

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どうも、犬に好かれないようだ。
どこ行っても吠えられる。困ったもんだ。
と思いつつ見学完了。
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国常神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2月上旬、茨城に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場に到着。

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こちらが本堂。

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御利益は
・家内安全
・商売繁盛

交通安全もあれば良かったのに・・・・

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不動明王様。ご祈祷を
「タイヤがパンクしませんように!」

実はこの神社に来たのはシブイ橋が
敷地内にあってその下を水郡線が
通るのを見たく・・・・

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神社裏手の方へ

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あったー。これ。この橋、シブイ。

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水郡線。
でも、電車は来ず。
まぁ、本数少ないし仕方ないか。

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コロナ禍で自宅勤務な人が多いので
家内安全の需要は高そう・・・・
と思いつつ見学完了。
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安善寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

諸行無常が響いているお寺。

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平家ゆかりの寺。

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駐車場へ。

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早速、本堂の方へ。

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安善寺本堂:
平家一族、平貞能によって建立された鶏足山
松林院安善寺は浄土宗の寺である。
平貞能は平家物語巻七「一門都落」の主人公
のひとり。
本堂右脇から前にかけて浄土庭園の一部を見
ることができ、本堂正面内陣は一段高く一間
の須弥壇に本尊を安置、廊下は県内唯一のウ
グイス張りで、堂宇の斗拱、欄間、須弥壇は
江戸時代中期の特徴を表している。現在の本
堂は、享保一五年(一七三〇)に再建されたも
のである。

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こちらが本堂。

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御本尊様。

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天井絵もすごーい。

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地蔵堂。平貞能公の遺骨が埋められた
場所の上に建っているらしい。

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この中に平貞能公が居るかも。

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シダレ桜やカヤ、ヒイラギも指定記念物。

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樹齢300年のシダレ桜。
さすが桜は咲いていなかった・・・・・

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樹高は17m。
ゴッドガンダムと大体同じ大きさ。

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入口にあった、この樹。
実は、町指定天然記念物のカヤ。

安善寺を再建した時、門を立てる予定だった
けど財力がなくこのカヤを植えたとの事。

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門の代わりをしていただけあって
幹は結構ボロボロだけど

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葉っぱの方はフサフサ。
まだまだ若いっ!

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ここでお墓を作ったら平家一門に
なるのかな?と思いつつ見学完了。
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木戸不動尊 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

茂木町と那須烏山市の境にある不動尊。

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茂木町側に駐車。

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ちょっと歩くと那須烏山市。

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その手前の参道へ。

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舗装路を道なりに行くと人の家
なので、そのまま真っすぐ進む。

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木戸不動尊到着。

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清水寺っぽい舞台。

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意外とたかーい。
飛び降り危険。

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格子戸を覗くと・・・・

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御本尊様。

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ご祈願。
「タイヤがパンクしませんように!」

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清水の舞台から飛び降りる気持ちで
500円玉 100円玉を投入した
のでタイヤにご利益ありそう。
と思いつつ見学完了。
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寿命院 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

市貝町、観音山梅の里にあるお寺。

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村上城跡とか永徳寺とか寿命院とか
3つの名前が・・・・

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駐車場へ。

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早速、寿命院へ。
梅はまだ咲いていなかった。

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栃木県指定指摘 村上城跡:
所有者永徳寺。
独立丘陵状に張り出した観音山を中止につくられた山城
であり、山頂から山腹にまで郭が配置されている。
山頂部に土塁を三角形状にめぐらして本丸をつくり、
以下、同心円状に山腹に郭を配し、帯状腰部、武者走、
掘底道など各種の施設が構築されている。
永和四年(1378)益子政宗の二男村上新助良藤が築城し、
その子則光、光義と三代(約50年間)にわたり居城したと
いわれている。

寿命院の説明は無かった。

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この地にある3つの指定史跡。
・村上城跡
・千手観音立像
徳一国師作と言われていたが御前立は鎌倉時代
・千手観音堂
現在の堂宇は元禄時代の造作

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千手観音堂。

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おっ、なんか凄いぞ。

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欄間の彫刻も精巧。

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奉納画が凄い。
色褪せているのも時代を感じたり。

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千手観音像の写真。
中を覗くと・・・・

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千手観音立像。
徳一国師作
それでも鎌倉時代の作品。

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千手観音様に御祈願。
「タイヤがパンクしませんように!」

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千の手でタイヤをお守りしてくれるかも。
と思いつつ見学完了。
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平重衡卿首塚 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

祇園精舎の鐘の音が聞こえるかもしれない。

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神社内にあった公民館の前に駐車。

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併設されている駒形神社。

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御縁起(歴史):
当地は、児玉党蛭川氏の本貫地とされ「児玉党系図」では摂津
一ノ谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重が蛭河太郎を称
している。当地の中央やや北東寄りの小名東廓で、蛭川氏の館
の周囲を巡っていたと伝わる堀跡が確認されている。応永二十
五年(一四一八)の「足利持氏御判御教書」には「児玉郡蛭河郷」
と見える。
当社の創建については「児玉郡誌」に「当社は延喜年中(九〇一
-九二三)有道宿祢氏道、牧宰惟継、旧宇宮田(現在鳥居)の地に勧
進する所にして延久年間たるを以て良馬蕃殖を本社に祈り、社
殿を修理し神田若干を寄附す。(中略)天文(一五三二-五五)の末、
北条氏康平井上杉氏と合戦の時兵火に罹り 烏有に帰したるに依
り、現今の地即ち宇坊畑に仮営を営む。(後略)」と載せられて
いる。
蛭川氏の館跡から見て北東にかつて金鑚神社があり、南西には
当社が鎮座することから、あるいは蛭川氏によって館の鬼門に
祀られたのが金鑚神社で、裏鬼門に祀られたのが当社であった
とも推測される。
「風土記稿」蛭川村の項には「駒形権現社 村の鎮守、能淵寺持」
とある。別当の能淵寺は真言宗の寺院で、開山等は不明である。
当社は、明治初年の神仏分離により能淵寺から離れ、後に村社
となった。明治四十年には、金鑚神社をはじめ地内の六社を合祀
した。

御祭神と御神徳
・駒形神・・・馬を保護し、その病を癒す

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奉納画はお米豊作。いい絵だ~。

神社となりには神社だけど墓地が。
その墓地の一角に

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平重衡卿首塚。

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為本三位中将 平重衡卿



定重が、曝されていた首をここに持ってきたとかなんとか

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平重衡卿のパワーをヘルメットに。

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馬(鉄馬=バイク)に縁起の良い、駒形神社にもお参り。
「タイヤがパンクしませんように!」

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ひとへに風の前の塵に同じ にならない
よう安全運転をしていかないと。
と思いつつ見学完了。
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百体観音堂さざえ堂 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

旧児玉町(現本庄市)にある史跡。

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駐車場へ。

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お魚くわえたどらネコを追っかけて
辿り着いた訳ではない・・・

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管理事務所で300円払い

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さざえ堂へ。

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到着っ!

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百体観音堂:
百体観音堂は、外から見ると二階建てですが、内部は三階に
なっていて、一階に秩父三十四観音、二階に坂東三十三観音
三階に西国三十三観音、合わせて百体の観音さまをお祀りし
ています。順路を進むと、中央本尊に聖観音さまの周りを三
巡りする仏教でも最も丁寧な礼拝ができ、同時に三霊場のお
参りができるようになっています。造りが巻貝に似ているの
で「さざえ堂」とも呼ばれています。
百体観音は、天明三年(一七八三)夏におきた、浅間山大噴火
の犠牲者供養のために建てられました。
大噴火による火砕流と岩屑なだれは、麓の村を一呑みにし、
吾妻川に流れこむと大泥流となって吾妻川・利根川沿いの
村々を襲いました。死者千五百人といいます。
成身院隠居の元真は、死者の供養のために利根川の岸辺に壇
を建て、近くの寺の僧侶と「法華経一万部真読」を始めまし
た。しかし天明五年、元真は弟子の元映に真読成就と百体観
音造立を遺言して亡くなりました。
元映は、真読を達成すると、江戸に上って護摩修行や法要・
伝授を行いました。元映の加持祈祷は江戸中の評判になり、
百体観音造立のことが知られると次々に寄進する人があらわ
れて、その数は六十体にもなりました。
寛政四年(一七九二)には百体の観音像が揃い、三年後に観音
堂が完成しました。しかし、この観音堂は、明治二十一年
(一八八八)に焼失してしまいました。
現在のお堂は、明治四十三年(一九一〇)に再建されたものです。

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銅鑼みたいな鈴緒。
すごい音がする。

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側面にある扉から中へ。

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監視カメラ付き。

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螺旋な廊下の壁際にそって仏像様が。

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階段はかなり急。

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天井絵キレイ~。

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立派な仏像様をゼロ距離で見学可能。
これはすごい。

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電気を消して、退出。

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サザエ、みさえ、早苗なら
みさえが一番良いな~
と思いつつ見学完了。
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和銅遺跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

聖神社からちょっと山の中へ。

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駐車場。

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50m下って和銅遺跡へ。

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和銅遺跡入口。

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和銅遺跡:
秩父が有名になったのは奈良時代に和銅奉献の記事が
続日本紀にあらわれてからであります。
元明天皇の慶雲五年正月十二日、武蔵国秩父郡内より
差出された自然銅は、郡司から朝廷に献上されたもの
です。発見者は新羅から帰化した「金上无」と云われ
ております。
発見地や産出地などは諸説がありますが、この地(秩父
市黒谷地内・・・・旧原谷村大字黒谷)祝山が発掘の地
と思われます。この山は秩父古生層と第三紀層のあわ
さり目で、たまたま自然銅が地上に露出したものを里
人が見つけたものですが、帰化人も多く住んでいたこ
とからこれが銅とわかったもののようです。この山や
附近には露天掘跡や銅洗堀とか、殿池・和銅山と云う
地名がのこされております。
又、近くに自然銅を神体とする聖神社や、和銅宝物館
などがあります。和銅山の南方山続きに金山と呼ばれ
る一連の山塊がありますが、江戸期に採掘されたと思
われる銅の選鉱場・製錬所跡・散財するタガネ掘りに
よる横穴抗などがありますが、和銅沢・蔵人屋敷の地
名もこのあたりにのこされております。
和銅奉献によって朝廷は年号を和銅と改め、更に大赦
や課税の免除などを行いました。この後我が国最初の
貨銭「和同開珎」が鋳造されたのも歴史上非常に意義
深い出来事であります。

銅の字はなぜ同になったんだろう?

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ライディングブーツにはキツイ雪道を超えると・・・

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和銅遺跡到着。

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露天掘り跡地。

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露天掘りで産出された和銅(自然銅)
と和銅製蜈蚣(雌雄一体)。

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和同開珎オブジェクトはちゃんと裏も
作りこまれている~。

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さらに近づいてよく見ると

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お賽銭が!

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奈良時代ですら、新貨幣製造で恩赦や課税免除
があったのだから、令和も新一万円札製造で
課税免除になれば良いのに・・・・・・
と思いつつ見学完了。
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御城展望台 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

山方氏の居城。

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駐車場へ。

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歎願 嘆願橋:
皆沢川に掛かるこの橋は、昔は農民が御城の領主に
願い事をするときここまでしか入れず、ここで願い
ごとを言上したのでこの名がつきました。

昔なら、私も渡ることができなかった
この橋を渡り御城へ。

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入口到着。

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入場料 100円。

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おっ、天守閣かっこいい~。
100円払い中へ。

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御城について:
この御城は東北は久慈川の断崖に臨み、南は皆沢川を
自然の壕とし西に険相な高館山を控え防備の上からは
無双の要塞であります。
域は本城、中城、外城からなり周囲をすべて土塁と空
壕を巡らし、城主は本城や中城、外城に重臣達、下級
武士は南崖下の根古屋に住まわせたと思われます。
根古屋下に歎願 嘆願橋があり一般人はこの橋より中には入
れず歎願 嘆願等はこの橋の手前で役人に取り次いで貰うこ
とになっていました。
さらに高館山頂にも土塁を構築し城砦を形成した跡が
歴然としていますが、この古城は芳賀左衛門尉経高が
築いたといわれています。
御城については誰がいつ築いたか文献の上で定かにす
ることは出来ませんが、応永中山方氏が入城したとい
うことになっています。

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縄張りはこんな感じ。

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屋根の上にあった、しゃちほこ。
名古屋城みたいだ・・・・

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甲冑。でも、山方氏とは関係ないみたい。

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SL久慈号のヘッドマーク。

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SL久慈号はD51だったのかも。

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2階へ。

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2階からの景色。
お殿様もきっとこの景色を眺めたのかも。

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カラフルな地蔵菩薩立像が。

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地蔵菩薩様に御祈願。
「タイヤがパンクしませんように!」

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御城から退却っ!

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難攻不落の御城パワーでタイヤも
難攻不落でカチカイになったかも。
と思いつつ見学完了。
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一矢神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

一矢報いる神社。

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停められそうな場所へ。

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早速、本殿へ・・・と思ったら

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ん!?これは

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ロールスロイス。
看板だと呂王蘢洲路偉主。

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「この風、この肌触りこそB級よ!」

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一矢神社:
安永二年(一七七三年)つくば市一ノ矢
八坂神社より御分霊を奉斎する。
文化二年(一八〇五年)社殿を造営する。
文政二年(一八一九年)みこし完成する。

以降村内みこしの神幸をするに、流行性伝染病が
なくなった。一矢(いちのや)とは、昔九州方面よ
り忌鳥が飛来し田畑を荒すに、退治するため矢を
射たところ、第一の矢で射落した慶事にちなんだ
尊称。

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階段を登り社殿の方へ。

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こういう奉納画を見るとB級とは
思えない歴史のある神社。

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ご本尊様。

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お参りを
「タイヤがパンクしませんように!」

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社殿の裏手の方にこんな標語が。

時期尚早と言う人はたとえ100年経とうが
尚早で、やる気のない人。
前例が無いと言う人はたとえ200年経とう
と例は無く、アイデアの無い人。


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「検討します」が大好きな現総理大臣に
贈りたい言葉。と思いつつ見学完了。
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和大不動尊 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

常陸大宮市山方にある不動尊。

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停められそうな場所へ。
早速、お不動様の元へ。

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こちらが正面。

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不動尊の由来。
この書き下し分を記載するのは骨が折れるので

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こっち。

亀城不動明王:
亀城の水の流と共に和田川魚とる人の足下に
光輝く御尊像。拾い上げる者が驚いて自製造
りの岩穴掘って奉納される。不動明王世の為
人のため祈願叶いて福徳授け厄を除いて身替
致し和大照して茲に鎮座するなり。

亀城不動明王は此常にあらたかなるるは近代
稀なる由来であります。

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不動明王様のイメージ画。

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実物。・・・・・うーむ、見えない。

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なんか近くにあったやつ。

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それっぽく加工すると中々の迫力。こえー。

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不動明王様に御祈願。
「タイヤがパンクしませんように!」

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夜中行くとさらに迫力が増しそうな気が。
と思いつつ見学完了。
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廣榮山 妙覚寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

勝浦市のお寺。

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境内の駐車場へ。

松の内だし、初詣にもなるので
折角だから表門から入り直し。

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表門。

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山門との間にJR外房線。

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表門前踏切。

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人と二輪車は通行可。
とは言え、125ccでも辛い気が・・・

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列車が来るとこんな感じ。

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妙覚寺山門:
江戸末期地方作の代表的建物の一つである。
天保七年(一八三六)建造にかかり、同十年完成の記録
がある。大工棟梁の名は判明しないが、おそらく伝統
ある夷隅大工の流れをくむものであると思われる。
入母屋造り、桟瓦葺きであり、懸魚に孔雀の彫刻があ
るところなど、いかにも地方作らしい。斗栱間の蟇股
にも、牡丹に獅子、松に鶴など固定した図柄が用いら
れ、時代色をよく表している。
構造は大きく、三間二面一戸の楼門、構造柱は径三十
センチに渡り、地方色と時代色がまことに鮮やかに浮
きでている。
しかし、歳月が経過するにつれて老朽化が進み平成八
年に大改修が施された。中央の太い柱の礎石、側柱十
本の八角礎石は特に劣化が激しかったため、現在は様
式が異なっている。

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仁王様も居るよ。

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角度を変えて見ると改修された
楼門だなーと言う気もしたり。

本堂の方へ。

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廣榮山妙覚寺:
日蓮宗最初の開山寺で同宗四本山の一つ廣榮山妙覚寺は
文永十一(一二七四)年八月奥津(興津)城主佐久間重貞の
長子長寿丸が後、日保上人となり日蓮を開祖して建立
しました。境内は一万三千坪、金箔で書かれた法華経
八巻、日蓮上人お手植えの楠で作ったと伝えられる
木三体の御尊像が安置されています。
また境内には、仙台船をつないだ石柱があるが、江戸
時代の興津は東北と江戸間を結ぶ重要湊で、同寺には
仙台藩役所が置かれ入港船は必ず津料を納めました。


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これが石柱。ここまで海だったのか・・・・

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本堂お参り。賽銭箱なし。
「タイヤがパンクしませんように!」

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仙台藩は千葉で入船料の小遣い稼ぎをして
いたとは驚きっ!と思いつつ見学完了。
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萩原公園 無限列車編 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

茂原市にある公園。

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駐車場へ。
交通公園なのでガキんちょが
多いけど気にせず中へ。

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あったー。SL!

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8620形テンダー蒸気機関車(愛称名ハチロク)について:

8620形テンダー蒸気機関車は、大正3年から製造が開始
され、当初の国内SL規格に比べて軽量で牽引力が強く、
特に曲線走行の性能もよく、燃料消費も少なく極めて経
済性に優れており、以降17年間にわたり普及活躍した。
千葉には新小岩機関区をはじめ千葉・佐倉・成田・館山
・勝浦の各機関区に合計70両が配備され、管内機関車数
110両の約70%を占めた。


大正時代を代表する旅客用蒸気機関車であり、最初は
東海道線で急行列車を牽引し、全盛期には日本全国で
活躍しました。

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おおー、これはまさに

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無限列車。

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この日の自分のイメージ。

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mugen_train.jpg

横からの迫力も、まさに無限列車。

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後ろから見てもかっこいい~。
線路がカーブしているがポイント。

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oreta.jpg
振り返らずに進むから~♪(バイクだし)
前だけ向いて叫ぶから~♪(バイクだし)
と思いつつ見学完了。

「鬼滅の刃」無限列車編の舞台は千葉だったのかも。
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百体磨崖仏 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

茨城県指定文化財。

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森林総合研究所の敷地奥。

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尚、森林総合研究所の敷地内に
入ると「しかられる

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停められそうな場所へ。

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百体磨崖仏の下へ。
大体、ここから0.4km。

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途中、仏像様登場。
さらに進む・・・・

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金堀穴(奥行15m)に到着。

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塞がれている!と思ったら

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右側が空いていた。

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「狭いよ~、暗いよ~、暑いよ~」

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一番奥に到着。
ここに着いた時、蝙蝠さん(1匹)の襲撃に・・・
蝙蝠さんに謝りつつ撮影。



ビリケン商会 ブリキ玩具 ビリケン 黄金バット ゼンマイ歩行式 骸骨 ドクロ 人形 フィギュア ゴールドカラー







金堀穴の蝙蝠だけなあって、この蝙蝠さんは
黄金バットなのかもしれない。
「こうもり だけー が知っている!」

穴から出て、百体磨崖仏へ。

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百体磨崖仏到着。

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百体磨崖仏:
この磨崖仏は、俗に百体観音と呼ばれ、その昔
山麓に弘法大師草創と伝えられる志筑山惣持院
願成寺(願成寺跡は農林水産省林業試験場跡地の
中にあり、一部堀跡が残っている。)があり、
寺中興の僧乗海が手掘りした鎌倉時代の作とい
われている。山の中腹に突出した四メートル四
方の花崗岩の表面に百個余りの仏像を線刻薄肉
彫で刻んでいる。県下でも珍しいものとされて
おり、昭和三十八年八月茨城県の文化財に指定
されている。
またこの山は、古くは志筑山と称して古歌によ
く詠まれたところで、眺望もよいので茨城百景
の一つに数えられている町の名所である。

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鎌倉時代の磨崖仏。

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実は、鎌倉時代以外に彫られたまがい物
の仏もあるのでは。と思いつつ見学完了。
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善光寺楼門 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

国指定重要文化財。

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この先は道祖神峠と呼ばれる
バイク通行禁止な場所。

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楼門に到着。

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おおーすげー。

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茅葺の屋根と梁がキレイ。

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善光寺楼門:  
小田城主第十二代・小田左衛門尉成治公の母堂は
小田家の菩提寺である山之荘村小野の「新善光寺」
を深く信仰され、出家の身となり「雪主比丘尼
と号した。

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これは比丘尼と読みは似ているけどビキニ

成治公は、母堂の願いから善光寺再興を図り、新治郡
井白郷舘荘太田月光山麓を安穏の地と選び、文亀元年
(一五〇一)「月光山無量寿院善光寺」を建立し、新善
光寺を此処に移した。
元禄十四年(一七〇一)十一月、善光寺は現在地の堂山
に移されたが、当時を偲ぶ建造物は楼門のみとなって
しまった。
楼門とは二階造りの門を意味するが、当楼門は二階
部分を造りながらも、何らかの原因により完成を断念
した「三間一戸楼門」の形態である。戦国時代の世相
の反映と思われるが、室町後期の建築細部様式を持ち
地方的特色を表わした建造物である。
二階は、録と内部が一連となる厚板を切目状に並べ、
この上に土居を置き円柱を立てている。側柱は上部
粽付とし、合輪をまわし手先肘木の組物を乗せながら
その上部は未完成であるが「楼門」の名称で重要文化
財の指定を受けた。
平成五年度から七年度にかけて、楼門の解体修理が
施工されたが、建築に関する記録は一切発見されな
かった。

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楼門を後にし

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階段を登り本堂へ。

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ん!?これは・・・・・・・

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倒壊中。

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扁額の所だけ辛うじてセーフ。

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本堂も重要文化財だったら直されて
いたのかも。と思いつつ見学完了。
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ほしいも神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

阿字ヶ浦駅、すぐ近く。

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駐車場へ。早速、境内へ。

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ほしいも神社由来:
さつまいもは、人類の集団生活が始まった紀元前三千年に
熱帯アメリカのメキシコ・コロンビア・ベネズエラの熱帯
低地のサバンナ気候で誕生した。
十六世紀に南米から、ルソン島・中国・琉球・薩摩を経て
江戸時代中期に静岡県の御前崎で栽培方法が普及する。
御前崎はカツオ節の産地、カツオ節の加工法と道具がサツ
マイモにも応用され、江戸後期に現在のほしいもづくりの
製法が確立されたという。
ひたちなか市では明治四十一年に製造が始まったとされて
おり、水戸徳川・静岡徳川と歴史的にも繋がりのある先進
地静岡から伝えられた。
南米から生まれた芋が、那珂川と久慈川に挟まれた那珂台
地の肥沃な関東ローム層の土壌で育ち、群馬からの乾燥し
た西風により干された。雨量が少ない、ひたちなかの太陽
と風の恵みを受け、先人の功労者たちの努力を基に多くの
人々が研鑽や品種改良などを重ね、昭和三十年頃に「ほし
いもづくり日本一」を獲得した。
ほしいもは、時代の変遷とともに、主食としての食糧・郷
土食・伝統食、日露戦争時は携帯食としての「軍人いも」
昭和・平成期には間食・嗜好性の高いデザート菓子・観光
土産としての進化を続けてきた。
当地のほしいも生産高は全国一、約八割を占めるものの、
地球温暖化の影響や品種改良による生産地の広域化から地
元生産者に危機感が広がり、ひたちなか商工会議所に
「ほしいも魅力発信プロジェクト」が発足した。
ほしいもの聖地として、国営ひたち海浜公園に訪れる年間
三百万人の観光客や、インバウンド観光の新たな拠点に相
応しい神社創建の機運が高まり、ほしいも生産農家・商業
者・堀出神社総代の協力により、構想から僅か一年足らず
で令和初となる神社が創建された。
こうした活動により、令和二年二月に金沢市で開催された
全国商工会議所観光振興大会において、「ほしいも魅力
発信プロジェクト」は、日本一の「きらり輝き観光大賞」
を受賞することができた。
ほしいも神社は、ほしいも関連産業の発展にとどまらず
観光客誘致に寄与し観光産業の振興をもたらした。
その背景として、佐藤卓氏によるデザインが御神威を高
めブランド力を高めたことは、衆目の一致するところで
ある。ここに、食文化のほしいも神社となり、地域社会
づくりの核になったことを記す。

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「干し芋」だけでなく「ほしいもの」にも。
来週はサンタクロースの週だし・・・・

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サンタさん。
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。

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「ほしいも」をイメージした黄金の鳥居。

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干し芋創始者の一人 小池吉兵衛氏。

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樹齢三百蜂十年の御神木。

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そして、ご本尊。
ほしいものをしっかり念じ心をこめてご参拝。

Z900RS/CAFE YOSHIMURA Heritage KIT AMA Edition (参照)
ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト% 2 EKIDEN (参照)
大原優乃写真集 (参照)

物欲が無いわけではないけどここはやはり
「タイヤがパンクしませんように!」

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クリスマスの朝、枕元に「干し芋」のみが
あったら子供心にはガッカリするだろうな。
と思いつつ見学完了。
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宝来島 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬(緊急事態宣言前)、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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(野島埼から近い) 原港近く。
早速、バイクの先に見える島へ。

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この辺はキャンプ禁止っ!

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宝来島。
島と言うよりは釣りスポットかな。

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真四角に浸食されている。
もしかしたら人造的に彫った物の可能性も。

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はしごを渡り、宝来島へ上陸。

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ポットホール。なかなかまん丸。

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島、最南端に到着。

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ザザーン。油断すると波に・・・・
でも、ここで一日中竿を垂らしたら気持ち良いだろうな。
釣れるかどうかは別として。

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この辺りならボウズ(釣果0)としても魚を売っている
場所はたくさんあるので大丈夫っ!と思いつつ
見学完了。
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石堂寺 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2021年1月、緊急事態宣言前のツーリングの際
立ち寄った場所。

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駐車場へ。

停めた後、上から参拝客の人が
「上の駐車場あいていますよ」

さすが、千葉県人。
ライダーに優しい。
でも、動かすのも面倒だったのでそのまま。

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山の中にあるお寺なので意外に広い。

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石堂寺 薬師堂。天正3年建立。
重要文化財。

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趣のあるシブイ薬師堂。
茅葺の屋根がいい。

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石堂寺 多宝塔。室町時代(1545)建立。
重要文化財。

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千葉にこんな凄い多宝塔があったとは。

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根来寺多宝塔(大塔)に匹敵するのでは。
昨年、和歌山に行ったときに根来寺に行きたかったけど・・・・
べ、別に行けなかったひがみで行っている訳じゃないんだから。


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御本尊観世音菩薩
厨子室町時代永正10年建立
本堂室町時代永正10年頃建立
重要文化財。

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御開帳のお知らせ。再来年に延期。
来年ならワクチンも接種進んでいるのに延期とは。
オリンピックも同様に余裕を見て延期すれば良かったのに。

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お参り。
「立ちごけしませんように!」

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石堂寺縁起:
当寺は神亀三年(726)聖武天皇の勅願により行基上人の創始と
伝えられ、天竺阿育王塔を安置する南総屈指の天台宗の名刹
である。その後、仁寿元年(851)天台座主円仁(慈覚大師)が
当寺に投錫・七堂伽藍を造営、鎮護国家の道場として完成した。
更に嘉禄元年(1225)には定辨法印が境内の再興をはかり、
文安三年(1446)には比叡山の学頭宗覚法印が住職となって
全山を再興、内寺中に生善院他五寺二院、外寺中に西之坊
外五坊、中寺に妙法坊外五房、門徒二十七ヶ寺、妻帯寺
六ヶ寺等、隆昌を極めるに至った。
ところが、文明十九年(1487)妙法房より夜盗の災火が起り
猛勢全山に及び、堂宇僧房悉く灰燼に帰したのであった。

宗覚の弟子宗海は、領主丸氏の生まれでもあり、丸氏の
強力な援助と十方信者の助力をえ二十余年の歳月を経て
永正十年(1513)漸く再建に成功した。
北条氏と足利・里見連合軍が戦った国府台の戦(1579)以後
は、足利氏(鎌倉公方の後胤)の子弟を当山で養育、ために
里見氏より一千石の寄進を受け、寺域の整備がはかられた。
この間元亀二年(1571)、織田信長が比叡山を焼き討ちした
時には、退山の僧が伝教大師将来の天台大師御真永影を
護持して当山に来錫、長く恭敬供養、寛政二年(1790)墾望
されて比叡山に還座、その功により、総本山直末本山格に
班列されて今日に至っている。


帰り際・・・・

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\コンニチワ/ 松ぼっくり。

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根来寺+比叡山延暦寺がくっついたお寺なのに
バイクツーリングの人は立ち寄らず通り過ぎて
行くという・・・・もったいない!
と思いつつ見学完了。
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安房白浜港灯台 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2020年6月上旬、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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比較的近い白間津花のパーキングへ。
灯台まで歩いて行くことに・・・・

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はぁはぁはぁはぁ・・・み、見えた。

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干潮じゃないと近づけない。

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安房白浜港灯台到着っ!

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海にそびえたつ白い巨塔。

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海上から見たら、こんな感じに見えたり。

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水準点かな?

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「境」の文字が!
境から南側はアメリカだったり。

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千葉は国境の県なので、国際色豊か
(ディズニーとかドイツとかアンデルセンとか)
と思いつつ見学完了。
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駆逐艦沖風殉難平和観音像 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

2020年6月中旬、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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比較的近くの官軍塚の駐車場から
歩いて行く。

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「入口に着いた」と思ったらさらに階段。

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平和観音像の下に到着。

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駆逐艦沖風を偲ぶ:
封潜掃討任に就き 指して航くは鹿島灘
時しも昭和十八の年 一月十日の真晝問に
敵潜魚雷を身に受けて マストは倒れ警笛悲し
黒潮渦巻く唯中に 都の方を付し拝み
君万歳の聲かれん 嗚呼駆逐艦沖風の
艦長諸々五十余霊 月明冴ゆる海原の
勝浦沖の底深く 眠りし上官吾が友よ
櫻と散って幾星霜 功は永遠に雄叫ぶそ
散るべき時を失った 大和櫻の枝折れて
新生日本の傷痍の身 昔をしのんで慰めん

助かった人が書いたのかな?

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鹿島灘に向かう途中、敵潜水艦のオールレンジ
魚雷攻撃により勝浦沖で沈没・・・・

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このような対潜魚雷があったら
潜水艦を退けることができたかも。

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沖風と共にした五十余名の名前が。
観音様は沖風の沈没した方向を
向いているのかも。

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東京湾や房総半島周辺の海底には太平洋戦争時の
色々な船(潜水艦や戦闘機も)が沈んでいるんだろうな。
と思いつつ見学完了。
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洲崎神社 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

千葉の端っこ。

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車の邪魔にならない様、端っこへ。

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本殿まで、なかなかの段数。

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子宝蘇鉄。
写真を撮っていると、近くで休んでいるおじさんが
「後ろもすごいよ」

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おおーすごい。ジャングルだ。

千葉の人はライダーに優しい!

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大漁の門をくぐり

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隋神門。

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全部揃えると、結構なお値段だけど
一つ一つはリーズナブルかも。
釣りをする人はここのお守り買っといた方が良いかも。

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ゼーゼー、はぁはぁはぁ・・・・・・本殿へ。

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本殿到着。

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ご本尊様は鏡。
「立ちごけしませんように!」

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霊峰富士遥拝所。

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鳥居に到着。

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一富士。
冬の空の様に、心が澄んでいる人は見えるっ!

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二鷹。

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三・・・・幸せの鐘。

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茄子は無かったけど、きっと初夢は
縁起が良かったはず。と思いつつ
見学完了。
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波の伊八屋敷・工房跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

6月上旬(緊急事態宣言解除直後)、千葉に行った際に
立ち寄った場所。

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号 武志伊八朗。

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波の伊八とも。

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波の伊八の説明。
要約すると

DSC07812.jpg (影響)→ sharaku.jpg

写楽は波の伊八の影響を受けている。

sharaku.jpg (影響)→ DSC_1543.jpg

ゴッホは写楽の影響を受けている。

DSC07812.jpg (影響)→ DSC_1543.jpg

印象派(ゴッホ)は波の伊八の影響を受けている。
印象派の祖は波の伊八である。

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停められそうな場所へ。
早速、ヨーロッパ美術誕生の地へ。

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ヨーロッパ美術誕生の地に到着。

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武志伊八朗(波の伊八)旧居跡:
江戸中期の建築様式の欄間等を彫る。
ことに(関東に行ったら波は彫るな)と恐れられて
いたと伝えられている。
鴨川市貝清水泉寺の檀家で、寺の過去帳によると
了安道全居士を祖とし、代々名主を務めていた。
大東亜戦争を境とし、彫刻家五代目、髙石武一郎
を以って絶える。
一時、墓所を鏡忍寺に移したが、子孫も遠方に移住
したため、末代の供養を念じ、四代目仙蔵二女越雲
マサの意志により、旧居住跡の旧墓地に戻す。

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(多分)初代~三代目までのお墓。

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四代目のお墓。

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ここに来ればヨーロッパ美術史の歴史・空気
を感じられる。と思いつつ見学完了。
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官軍塚 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

6月中旬、千葉に行った際に立ち寄った場所。

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勝浦の先っぽな場所に駐車。

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トイレの隣を抜けると・・・・

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官軍塚。

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官軍塚之碑:
明治の初め、幕臣榎本武揚は、新政府に反抗して
北海道五稜郭に立てこもった。
朝廷は弘前藩主津軽承昭に命じ討伐させたが、
容易に鎮圧できなかった。

これを知った弘前藩主の実兄熊本藩主細川韶邦は
進んで援軍を決意し、明治二年一月二日藩兵
三百数十名を品川沖から出航させた。しかるに
翌夜暴風雨に逢い、不幸この地根中岩礁に難破した。

この時、川津村民は村をあげて決死的救助に努めたが
ついに二百余名の溺死者を出すに至った。
村民深くこれを哀れみ、ここ花立台に葬り、官軍塚と
称し香花を絶やすことなかった。



津軽藩主が細川家だったとか、榎本武揚を討伐するための
軍艦が沈没したものとか色々勉強になったり。

維新での沈没と言うと、どうしても函館側の
船を思い浮かべてしまうと言う・・・・

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展望台へ。

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天気は悪いけど、見晴らしいい~。

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さらに、三日月寄贈の桜っ!

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ホテル三日月が、進んで武漢からの帰国者を二週間
隔離してくれたのは、この救助で活躍した川津村の
系譜なのかも。と思いつつ見学完了。
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天狗党の墓 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

鹿島市指定文化財。

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鬱蒼として場所に駐車。
尚、この先は・・・・

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通行止め。

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天狗党の墓に到着。

天狗党って幕末史だと良く名前が出てくる
メジャーな存在だけど、お墓はかなり
マイナーな場所に。

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天狗党の墓:
元治元年(1864)太平組と称する天狗党一隊八百人
余りが宮中へ屯集した。この一隊は幕府追討軍に
追われ鹿島へ集まったもので、旅館や寺院などに
宿陣したが、川股茂七郎以下八十人ほどを殿軍と
して大船津から延方へと渡って行った。
この時、川股勢と幕府軍との間に砲戦があり、
大船津は兵火に焼かれる。

幕府軍は江戸から府中・玉造・鉾田を経て
鹿島へ到着し残党を探索した。
捕縛された二十三人は下生の石橋外で
打ち首にされ、大掾辺田の馬捨て場に
埋められた。

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打ち首、二十三人分のお墓。
ヘルメットは含まない・・・・

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こちらにもお墓が。

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馬捨て場、さらに打ち首とライダーには非常に
縁起が悪い場所だけど、きっと天狗党の志士が
事故から守ってくれる。と思いつつ見学完了。
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鎌足神社境内地 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

鹿島市指定文化財。

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ちょっと無理矢理駐車。

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由来:
鎌足神社境内地は、古来より藤原鎌足の
誕生の地とする伝承が残っている。
藤原鎌足の生誕地には、当地と奈良県
橿原市の二つの説がある。いつごろ
建てられたか不明であるが、江戸時代から
明治にかけ「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の
項に「鎌足社」があり、当地が鎌足の生誕地で
あると言う説が紹介されている。

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橿原の説はここになるのかな?

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境内へ。
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井戸が。

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橿原の方は産湯の井戸だったけど
こっちも災害用の前は産湯の井戸
だったのかも。

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"645(無事故)で帰ろう パーフェクト下道。"
と語呂合わせをし、見学完了。
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ウチワサボテン群生地 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

茨城県指定天然記念物。

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説明:
ウチワサボテンがいつどのようにこの地に
運ばれたかは不明ですが、100年は経過
しているのではないかと推定されます。

外来種になるのかな?

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停められそうな所へ。

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名前並みにサボテンの林。

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サボテンの花、きれい。

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サボテンのつぼみ。
こっちは花と違って毒々しいかも。

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ヒマワリ並みに黄色いので、サボテン迷路
とかも面白そう。と思いつつ見学完了。
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鶴枝ヒメハルゼミ発生地 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

夏と言えば、セミ ヌード

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駐車場に到着。

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神社もある、ヒメハルゼミ発生地へ。

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鶴枝ヒメハルゼミ発生地:
国指定天然記念物。
ヒメハルゼミは南方系のセミで、体長36mmの小型のセミ。
ヒメハルゼミは本州・四国・九州に分布し、当市は新潟県
能生町、茨城県笠間市と共に北限産地として指定されている。

発生時期は、6/25頃から1ヶ月ほどで、地上での生命は
二週間ほどである。高い所に止まってなかなか見る事が
難しいが、鳴く時も単独では泣かず一斉に鳴くのが特徴
である。

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これがヒメハルゼミ。
行った日は6/13なので、早かった・・・・
しかも超望遠がないと厳しそう。

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気を取り直して八幡神社の本殿へ。

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到着。

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ご本尊様。蝉では無かった・・・・
「二週間以上、パンクしませんように!」
「二週間以上、バッテリーがあがりませんように!」

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出羽三山の石碑。
近くに成田山があるけど出羽三山。

遠くの物に憧れるのは今も昔も
変わらないのかも。

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外出自粛1ヵ月となると、セミにとっては
地獄なのでは。と思いつつ見学完了。
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服部農園 あじさい屋敷 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

こりん星 千葉県茂原市。

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バイクの駐車場はここと案内され入場。

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おっ、あじさいと思って
山の方を見ると・・・・

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なんじゃこりゃ。
四方八方、アジサイだらけ。

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山頂にスポットがと歩いたけど見つけられず。

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でも途中のアジサイが凄い。

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アジサイの魔法の国や。

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こりん星 茂原市侮れない・・・
と思いつつ見学完了。

茂原良い所なのになんでこりん星にしたんだろう?
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三島湖の手掘りトンネル [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

君津市の山奥、清和県民の森。

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駐車場に到着。

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駐車場からちょっと行った所。
ここから(右奥)トンネル方面へ。

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トンネル到着。

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おおー。見事な手彫り感。
しかもこのトンネル

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直角に曲がる。
路面も結構滑る。

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続いて第二トンネルへ。

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横への抜け穴が。

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トンネルを抜けると・・・・・・

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お堂であった。

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ご本尊様。
「パンクしませんように!」
「バッテリーあがりませんように!」

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第二トンネルも完走。

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トンネル会社(法人)は良くないけど
手掘りトンネルは良いものだ。
と思いつつ見学完了。
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