SSブログ

平重衡卿首塚 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

祇園精舎の鐘の音が聞こえるかもしれない。

DSC08912.jpg
DSC08900.jpg
神社内にあった公民館の前に駐車。

DSC08905.jpg
併設されている駒形神社。

DSC08907.jpg
御縁起(歴史):
当地は、児玉党蛭川氏の本貫地とされ「児玉党系図」では摂津
一ノ谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重が蛭河太郎を称
している。当地の中央やや北東寄りの小名東廓で、蛭川氏の館
の周囲を巡っていたと伝わる堀跡が確認されている。応永二十
五年(一四一八)の「足利持氏御判御教書」には「児玉郡蛭河郷」
と見える。
当社の創建については「児玉郡誌」に「当社は延喜年中(九〇一
-九二三)有道宿祢氏道、牧宰惟継、旧宇宮田(現在鳥居)の地に勧
進する所にして延久年間たるを以て良馬蕃殖を本社に祈り、社
殿を修理し神田若干を寄附す。(中略)天文(一五三二-五五)の末、
北条氏康平井上杉氏と合戦の時兵火に罹り 烏有に帰したるに依
り、現今の地即ち宇坊畑に仮営を営む。(後略)」と載せられて
いる。
蛭川氏の館跡から見て北東にかつて金鑚神社があり、南西には
当社が鎮座することから、あるいは蛭川氏によって館の鬼門に
祀られたのが金鑚神社で、裏鬼門に祀られたのが当社であった
とも推測される。
「風土記稿」蛭川村の項には「駒形権現社 村の鎮守、能淵寺持」
とある。別当の能淵寺は真言宗の寺院で、開山等は不明である。
当社は、明治初年の神仏分離により能淵寺から離れ、後に村社
となった。明治四十年には、金鑚神社をはじめ地内の六社を合祀
した。

御祭神と御神徳
・駒形神・・・馬を保護し、その病を癒す

DSC08908.jpg
奉納画はお米豊作。いい絵だ~。

神社となりには神社だけど墓地が。
その墓地の一角に

DSC08911.jpg
平重衡卿首塚。

DSC08917.jpg

為本三位中将 平重衡卿



定重が、曝されていた首をここに持ってきたとかなんとか

DSC08915.jpg
平重衡卿のパワーをヘルメットに。

DSC08922.jpg
馬(鉄馬=バイク)に縁起の良い、駒形神社にもお参り。
「タイヤがパンクしませんように!」

DSC08924.jpg
ひとへに風の前の塵に同じ にならない
よう安全運転をしていかないと。
と思いつつ見学完了。
nice!(24)  コメント(5) 
共通テーマ:バイク

nice! 24

コメント 5

yamatonosuke

ヘルメットがここまで飛ばされないよう安全運転で!
この世はすべて諸行無常でございます(意味分かってない)
by yamatonosuke (2022-02-23 00:41) 

middrinn

wikiには「妻の輔子はうち捨てられていた重衡の遺骸を引き取り、
南都大衆(だいしゅ)から首も貰い受けて荼毘に付し、日野に墓を
建てた。現在、この墓は京都市伏見区の団地の中に残っている。」
とあるけど、その前に定重は首を盗んできたとするのかな(^_^;)
by middrinn (2022-02-23 07:58) 

爛漫亭

 「鳥」有に帰す→「烏」かと?
by 爛漫亭 (2022-02-23 15:02) 

HIRO

こんにちは。
 >平重衡卿のパワーを
夜な夜なさめざめと泣いて居たり(怖)
by HIRO (2022-02-23 20:13) 

tai-yama

皆様コメントありがとうございます。

>yamatonosukeさん
ヘルメットがすっとんでしまったら終わりですね(笑)。

>middrinnさん
日野のは違う説も。もしくは首だけ持ってきたとかだったり。

>爛漫亭さん
間違えておりました。私の知識では補足できず・・・(悲)。

>HIROさん
基本、深夜出発なのでヘルメットから鳴き声が聞こえたり(怖)。
by tai-yama (2022-02-23 23:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。