荒雄川神社 [千葉からZ900RSと600km超]
2020年7月下旬、宮城に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ。
左は宝物殿、右は本殿。
木彫「金華山号」:
鳴子町指定文化財。明治三十四年神馬金華山号肖像木型
制作発起人当神社社掌高橋盛喜氏の依頼により、当時馬
の彫刻家で知られた帝国技芸員初代後藤貞行氏によって
明治三十四年鬼首の地で制作されたものである。
「金華山号」は、明治二年四月当時の栗原郡鬼首村で生まれ
幼名は「起漲(きちょう)」という名で明治九年七月、明治天皇
の奥羽地方御巡幸の折、その非凡さが認められて宮内省が買い
上げ、後に名を「金華山号」と改められた。
明治十三年より二十六年まで明治天皇の側に長く使えた名馬である。
宝物殿にはこんなボタンが。
(上の説明が流れていた)
金華山号。
「バッテリーあがりませんよに!」
「パンクしませんように!」
続いて本殿。
金華山号にちなんだ物が!
ポスター。
御朱印を他人に譲ることはやめましょう
御朱印はお参りされてから受けましょう
Yah○○オクやメル〇リで購入なんて以ての外。
売却なんで論外。
御朱印っ!
本殿の中はこんな感じ。
「バッテリーあがりませんよに!」
「パンクしませんように!」
私の金華山号も13年乗り続けることができるかな?
(できないかもしれない)
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
左は宝物殿、右は本殿。
木彫「金華山号」:
鳴子町指定文化財。明治三十四年神馬金華山号肖像木型
制作発起人当神社社掌高橋盛喜氏の依頼により、当時馬
の彫刻家で知られた帝国技芸員初代後藤貞行氏によって
明治三十四年鬼首の地で制作されたものである。
「金華山号」は、明治二年四月当時の栗原郡鬼首村で生まれ
幼名は「起漲(きちょう)」という名で明治九年七月、明治天皇
の奥羽地方御巡幸の折、その非凡さが認められて宮内省が買い
上げ、後に名を「金華山号」と改められた。
明治十三年より二十六年まで明治天皇の側に長く使えた名馬である。
宝物殿にはこんなボタンが。
(上の説明が流れていた)
金華山号。
「バッテリーあがりませんよに!」
「パンクしませんように!」
続いて本殿。
金華山号にちなんだ物が!
ポスター。
御朱印を他人に譲ることはやめましょう
御朱印はお参りされてから受けましょう
Yah○○オクやメル〇リで購入なんて以ての外。
売却なんで論外。
御朱印っ!
本殿の中はこんな感じ。
「バッテリーあがりませんよに!」
「パンクしませんように!」
私の金華山号も13年乗り続けることができるかな?
(できないかもしれない)
と思いつつ見学完了。