岩井堂洞くつ [千葉からZ900RSと1000km超]
2021年、9月下旬秋田に行った際に立ち寄った場所。
国指定重要文化財。
国指定なだけあって駐車場完備。
文部省設置の石碑。
岩井堂洞くつ:
岩井堂洞くつは秋田県と山形県に近い雄物川の上流右岸に
所属する縄文時代の洞くつ遺跡です。史跡指定地は東西
150m、南北40mです。洞くつは約80mに及ぶ凝灰岩の露頭
に大小4ヶ所(第1~第4洞くつ)が並んでおり、いずれも縄文
時代に住居として利用されており、各洞くつと前庭部に遺
物包含層が形成されています。
中でも第4洞くつは埋没していた洞くつで、この遺跡の中で
最も多くの遺物を層位的に出土した重要な遺跡です。
洞くつは奥行き3m、間口約4mあり、前庭部は広い平坦面を
もっていたことが推測されます。
発掘調査は地表下8mまでおこなわれ、第14層まで確認され
ています。そのうち、遺物包含層は第2・3・5・7・9・11・
13層の7層あり、第7層以下は、縄文時代初期のものです。
最下層の第13層からは押型文土器などが出土し、学術上貴
重な資料となっています。また、この発掘調査は昭和39年
~昭和51年まで下記の通り8次にわたって実施されました。
第1次調査 昭和39年(1964) 8月15日~20日
第2次調査 昭和40年(1965) 8月1日~4日、8月20日~25日
第3次調査 昭和41年(1966) 8月1日~10日
第4次調査 昭和42年(1967) 8月1日~10日
第5次調査 昭和43年(1968) 7月25日~8月3日
第6次調査 昭和44年(1969) 7月22日~8月3日
第7次調査 昭和45年(1970) 7月27日~8月5日
第8次調査 昭和51年(1976) 8月1日~10月
第1・第2洞くつへ。
入口には狛犬が!
スギ林を登ると・・・・
第1・第2 洞くつ到着。
当時の洞くつ内での生活。
は、は、裸だ~。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・
洞くつ内にはお社が。
ぬぐだ丸。これは旨そうだ。
続いて、貴重な第4洞くつへ。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・埋まっとる。
洞くつを保護する目的で埋め戻したとの事。
人骨が出てきていたら、きっと秋田原人
として教科書に載っていたかも。
と思いつつ見学完了。
国指定重要文化財。
国指定なだけあって駐車場完備。
文部省設置の石碑。
岩井堂洞くつ:
岩井堂洞くつは秋田県と山形県に近い雄物川の上流右岸に
所属する縄文時代の洞くつ遺跡です。史跡指定地は東西
150m、南北40mです。洞くつは約80mに及ぶ凝灰岩の露頭
に大小4ヶ所(第1~第4洞くつ)が並んでおり、いずれも縄文
時代に住居として利用されており、各洞くつと前庭部に遺
物包含層が形成されています。
中でも第4洞くつは埋没していた洞くつで、この遺跡の中で
最も多くの遺物を層位的に出土した重要な遺跡です。
洞くつは奥行き3m、間口約4mあり、前庭部は広い平坦面を
もっていたことが推測されます。
発掘調査は地表下8mまでおこなわれ、第14層まで確認され
ています。そのうち、遺物包含層は第2・3・5・7・9・11・
13層の7層あり、第7層以下は、縄文時代初期のものです。
最下層の第13層からは押型文土器などが出土し、学術上貴
重な資料となっています。また、この発掘調査は昭和39年
~昭和51年まで下記の通り8次にわたって実施されました。
第1次調査 昭和39年(1964) 8月15日~20日
第2次調査 昭和40年(1965) 8月1日~4日、8月20日~25日
第3次調査 昭和41年(1966) 8月1日~10日
第4次調査 昭和42年(1967) 8月1日~10日
第5次調査 昭和43年(1968) 7月25日~8月3日
第6次調査 昭和44年(1969) 7月22日~8月3日
第7次調査 昭和45年(1970) 7月27日~8月5日
第8次調査 昭和51年(1976) 8月1日~10月
第1・第2洞くつへ。
入口には狛犬が!
スギ林を登ると・・・・
第1・第2 洞くつ到着。
当時の洞くつ内での生活。
は、は、裸だ~。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・
洞くつ内にはお社が。
ぬぐだ丸。これは旨そうだ。
続いて、貴重な第4洞くつへ。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・埋まっとる。
洞くつを保護する目的で埋め戻したとの事。
人骨が出てきていたら、きっと秋田原人
として教科書に載っていたかも。
と思いつつ見学完了。