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百体観音堂さざえ堂 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

旧児玉町(現本庄市)にある史跡。

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駐車場へ。

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お魚くわえたどらネコを追っかけて
辿り着いた訳ではない・・・

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管理事務所で300円払い

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さざえ堂へ。

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到着っ!

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百体観音堂:
百体観音堂は、外から見ると二階建てですが、内部は三階に
なっていて、一階に秩父三十四観音、二階に坂東三十三観音
三階に西国三十三観音、合わせて百体の観音さまをお祀りし
ています。順路を進むと、中央本尊に聖観音さまの周りを三
巡りする仏教でも最も丁寧な礼拝ができ、同時に三霊場のお
参りができるようになっています。造りが巻貝に似ているの
で「さざえ堂」とも呼ばれています。
百体観音は、天明三年(一七八三)夏におきた、浅間山大噴火
の犠牲者供養のために建てられました。
大噴火による火砕流と岩屑なだれは、麓の村を一呑みにし、
吾妻川に流れこむと大泥流となって吾妻川・利根川沿いの
村々を襲いました。死者千五百人といいます。
成身院隠居の元真は、死者の供養のために利根川の岸辺に壇
を建て、近くの寺の僧侶と「法華経一万部真読」を始めまし
た。しかし天明五年、元真は弟子の元映に真読成就と百体観
音造立を遺言して亡くなりました。
元映は、真読を達成すると、江戸に上って護摩修行や法要・
伝授を行いました。元映の加持祈祷は江戸中の評判になり、
百体観音造立のことが知られると次々に寄進する人があらわ
れて、その数は六十体にもなりました。
寛政四年(一七九二)には百体の観音像が揃い、三年後に観音
堂が完成しました。しかし、この観音堂は、明治二十一年
(一八八八)に焼失してしまいました。
現在のお堂は、明治四十三年(一九一〇)に再建されたものです。

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銅鑼みたいな鈴緒。
すごい音がする。

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側面にある扉から中へ。

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監視カメラ付き。

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螺旋な廊下の壁際にそって仏像様が。

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階段はかなり急。

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天井絵キレイ~。

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立派な仏像様をゼロ距離で見学可能。
これはすごい。

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電気を消して、退出。

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サザエ、みさえ、早苗なら
みさえが一番良いな~
と思いつつ見学完了。
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