横瀬八幡神社 [Z900RSと300km超]
1月下旬、静岡に行った際に立ち寄った所。
駐車場。
早速、境内へ。
杉の木に囲まれた本殿。
八幡神社:
当社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇
されている神社で、相殿は鎌倉二代将軍源賴家公で
ある。当所はここより、二百メートル東側の月見ケ
丘に在り、二体の古像が祀られた旧祠であったが、
後に当所へ社殿を建立し、賴家公来帯(正装の立像
を作り、神を引いて賴家公の廟(みたまや)とし、
八幡と称した。社殿は現在も両扉となっており旧規
を残している。右側の本社には賴家公の母北條政子
悪病平癒の伝説をもつ「乳門石」又は「玉門石」と
呼ばれる陰石が祀られている。昔修禅寺の総門が当
地横瀬の大門(字名)これより二〜三百メートル下
がった附近にあった時代に、仁王像があったが、総
門がこわれてしまった時(徳川時代)当社に移され、
さらにある老婆の夢枕にこのに仁王像が現われて、
修禅寺に帰りたいと云うので、頼家公にゆがりのあ
る指月殿に納めたという。この指月殿は、政子が非
業の最後を遂げた、我が子の冥福を祈って建立した
ものである。祭礼日は毎年十月十九日となっている
が、最近は近くの日曜日に行なわれる。
又昭和五十年迄は三番叟が奉納されていたが現在は
後継者が少く、行なわれていない。
狛犬はちょっと平べったい。
ご本尊様。
ご祈願を
「タイヤが一年間持ちます様に!」
北條政子由来の孔門石。
北條政子タンの陰石。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・
政子が「非業の最後を遂げた、我が子の
冥福を祈って建立した」が本当なのかは・・・・
と思いつつ見学完了。
駐車場。
早速、境内へ。
杉の木に囲まれた本殿。
八幡神社:
当社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇
されている神社で、相殿は鎌倉二代将軍源賴家公で
ある。当所はここより、二百メートル東側の月見ケ
丘に在り、二体の古像が祀られた旧祠であったが、
後に当所へ社殿を建立し、賴家公来帯(正装の立像
を作り、神を引いて賴家公の廟(みたまや)とし、
八幡と称した。社殿は現在も両扉となっており旧規
を残している。右側の本社には賴家公の母北條政子
悪病平癒の伝説をもつ「乳門石」又は「玉門石」と
呼ばれる陰石が祀られている。昔修禅寺の総門が当
地横瀬の大門(字名)これより二〜三百メートル下
がった附近にあった時代に、仁王像があったが、総
門がこわれてしまった時(徳川時代)当社に移され、
さらにある老婆の夢枕にこのに仁王像が現われて、
修禅寺に帰りたいと云うので、頼家公にゆがりのあ
る指月殿に納めたという。この指月殿は、政子が非
業の最後を遂げた、我が子の冥福を祈って建立した
ものである。祭礼日は毎年十月十九日となっている
が、最近は近くの日曜日に行なわれる。
又昭和五十年迄は三番叟が奉納されていたが現在は
後継者が少く、行なわれていない。
狛犬はちょっと平べったい。
ご本尊様。
ご祈願を
「タイヤが一年間持ちます様に!」
北條政子由来の孔門石。
北條政子タンの陰石。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・
政子が「非業の最後を遂げた、我が子の
冥福を祈って建立した」が本当なのかは・・・・
と思いつつ見学完了。