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供中口古戦場 [Z900RSと300km超]

6月中旬、福島に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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下に降りると・・・・

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千人供養碑が。

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千人供養碑:
この碑は、安政四年(一、八五七)十月、当山十八世日弘
上人が十万石領下の名主、篤志家、工事の棟梁等、その
協力奉仕により、水死、処刑、飢餓倒死の諸精霊を合祀
し施餓鬼供養を執行
、題目二百万遍を書籍奉納し、併せ
天下泰平、国家安全、広宣流布を祈願したものであります。
当時、奥州第一の供養塔と称され、世人の耳目を驚嘆さ
せたと伝えられております。
此処に、謹んで開祖日什上人六百御遠忌報恩供養として
結縁の大衆と共に皆共成佛道を祈念するものであります。

日蓮聖人のお言葉:
利根にてもあれ、鈍根にてもあれ、持戒にてもあれ、
破戒にてもあれ、貴くもあれ、賎しくもあれ、
一切の菩薩、凡夫、二乗は法華経にて成佛すべし。

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続いて、供中口古戦場へ。

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供中口古戦場:
ここは、戊辰戦役の供中口古戦場であり、又、二本松藩の
農兵司令士三浦権太夫義彰戦士の地である。
義彰は戊辰戦役に老兵、農兵されに少年隊の一部を率いて
阿武隈川をはさんで対陣したが、もとより王政復古を念じ
る義彰は、弓矢の鏃を取り捨て狩衣姿で出陣した。
西軍ではこの矢を見て、東軍にも「勤王の士」がいること
がわかった。勝敗の帰結は早かった。義彰は味方の農兵達
を退去させ、「あす散るも色は変わらじ山桜」と辞世の一
句を残して、独り壮烈な自刃をとげたのである。
霊は安達ヶ原観世寺に眠り、のち大正八年五月十七日
正五位を贈られている。

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三浦権太夫義彰の墓っ。

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念仏の石碑が・・・・・
南無阿弥陀仏。

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南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏が同じ地で共存。
と思いつつ見学完了。
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