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吉幾三コレクションミュージアム [Z900RSと1000km超]

五所川原駅近く。

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受付の人にバイク停められますか?
と聞いたら、表のスペースのところ
に停めて良いですよ。と言うことで
ここへ。

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JAF割、720円にて入館。

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衣装。
はでな衣装は後ろの観客席の人に
見えるための心遣いなのかー。

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吉さんの書。字、うめー。

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贅沢は敵だ 昔を思い想い出せ

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紅白やザ・ベストテンの台本。
と言うか歌番組に台本あったのかー。

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レコード大賞。作曲賞。
すげー。本物だ。

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作曲家でもあるのでギターやドラム。

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「ギターも無ぇ」
あれっ、ギターあるじゃん。

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ラジオカーのミニカー。
いすゞ 117クーペかっけー。

この車の中で番組をやっていた
と言う話もすげー。

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酒よのポスター。し、しぶい。

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「俺(お)ら東京さ行ぐだ」に再起をかけた吉幾三は、以前の
事務所の仲間や飲み友達で、不動産会社勤務で同郷(鶴田町
出身)の神秀俊(現吉プロ常務)を誘って自分のプロダクション
設立に動いた。神はそのころ独立して友達と不動産会社をつ
くろうと思っていたという。そんな矢先、吉から「ウチに
来てオレのマネジャーやってくれ」と、頼まれた。
神は「プロをどこからかスカウトした方がいいんじゃない」
と断ろうとしたが、「素人の方がいい。分からないことは
教えるから」と吉の誘いは強引だった。
自分が決めた歌で勝負できる事務所が、吉の構想だった。
迷った末、神も事務所づくりに加わった。
しかし、妻のへそくりまでかき集めたりしたが、思うよう
に金は集まらず、正式な吉プロモーション発足は一年以上
たった一九八四年四月となった。
すっと温めていた「俺ら東京さ行ぐだ」を売り出す機は熟
し、なけなしの金をはたいてデモテープを作ったものの、
どこのレコード会社も乗ってこなかった。
古巣クラウンにも話を持って行ったが「俺はぜったい!
プレスリー」が売れてすぐビクター移籍という一件もあり
「二度と敷居をまたぐな」と、けんもほろろだった。
またまた苦境に陥った吉に救いの手をさしのべたのが
千昌夫だった。
千とは前から付き合いがあった。一緒に酒を飲んだりする
仲だが、それ以上に千は作詞作曲家としての吉の才能を
高く買っていた。
千なら何とかしてくれるのではないかという思いもあった
が、自分たちでつくった事務所の初仕事ということで、
かなり意地になっていた。しかし、万策尽き果て、千に頼
み込むことになったという次第だ。

初めて吉から聞かされたとき、千は腹を抱えて笑い転げた
という。ばかりか、千はひそかに、自らレコーディングし
たいと思っていた。結局、周囲の反対で断念したが、発売
すればヒットする思いはあった。
千のキャッツタウン・レコードが原盤を作って、千が所属
する徳間ジャパンに供給、徳間が販売するという形式が
決まった。
レコード発売は八四年十一月二十五日、くしくも七年前の
「俺はぜったい!プレスリー」発売と同じ日だった。

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酒の飲み友達も大事っ!
と思いつつ見学完了。
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