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徐福公園 [千葉からZ900RSと1000km超]

2022年11月上旬、和歌山に行った際に立ち寄った所。

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駐車場へ。
係の人から「1時間以内ならタダだよ」
と言うことで無料っ!

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チャイナな建物。すごい立派。

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ちなみにこっちは7年前、青森で行った
徐福の里。比べると立派さが・・・・

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お約束な顔出しパネル~。

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徐福墓畔とその界隈:
中国・秦の時代始皇帝の命で渡来したとされる徐福は
熊野の地に、捕鯨を始めたなど、多くの起源伝承を残
している。実在したとされる徐福の渡来伝承は、全国
に点在するが、何せ紀元前の話。江戸時代紀州初代藩
主徳川頼宜頼宣の命で建てられた徐福の墓は、墓として存
在するのは全国でここだけ。徐福墓畔も栄枯盛衰を重
ねるが、新宮鉄道が開設され、新宮駅ができると、こ
の界隈も大正中期から次第に新開地となってゆく。
佐藤春夫の父がこの界隈に家を建て、春夫の姪がここ
から新宮高等女学校に通い始め、春夫もここで過ごし
たり、執筆したりすることも増えてくる。春夫に「若
草の妻とこもるや徐福町」の句があり、春夫の中学時
代以来の友人奥栄一など文学仲間のたまり場にもなる。

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徐福像。

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徐福像は青森の方が立派。

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そして、徐福の墓。

新宮市指定文化財 徐福の墓:
紀ノ川流域で算出する緑色片岩の自然石に「秦徐福之墓」
と刻まれている。この墓碑は、初代紀州藩主徳川頼宜頼宣が
建立を企て、儒臣李梅渓に書かせたもの、との伝えがあ
る。「熊野年譜」には「天文元年(1736)楠藪へ秦徐福の
石塔立」とあり、約100年後に建立が実現した。
かたわらの「徐福顕彰碑」は天保5年(1834)藩の儒臣仁井
田好古の撰書により建立されるものであったが、和歌山
より運搬の途中海難にあい実現しなかった。現在の碑は
残されていた書によって昭和15年(1940)に建てられたも
のである。

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これが徐福の墓。
この下に徐福さんが・・・・

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こっちは徐福の碑。
全部、漢字表記っ!

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徐福さんに挨拶も終わったので
一時間いないに退出っ。

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紀元前、大陸から日本まで船で無事到着
できたぐらいの旅運を貰えたかも。
と思いつつ見学完了。
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