SSブログ

補陀洛山寺 [千葉からZ900RSと1000km超]

2022年11月上旬、和歌山に行った際に立ち寄った所。

DSC01144.JPG
DSC01121.JPG
駐車場へ。
ここは裏口っぽいので参道の方へ。

DSC01124.JPG
DSC01127.JPG
浜ノ宮の大楠。樹齢800年。

DSC01130.JPG
浜ノ宮王子社跡:
藤原宗忠の日記、『中右記』天仁二年(一一〇九)十月二十七日
条に、「浜宮王子」とみえ、白砂の補陀落浜からこの王子に
参拝した宗忠は、南の海に向かう地形がたいへんすばらしいと
記しています。『平家物語』には、平維盛がここから入水した
と記されていますように、補陀落浄土(観音の浄土)に渡海する
場所でした。那智参詣曼荼羅には、浜の宮王子の景観とともに
この補陀落渡海の様子が描かれています。また、浜の宮王子で
は、岩代王子(みなべ町)と同様に、「連書」の風習がありまし
た。連書とは、熊野御幸に随行した人々が、官位・姓名と参詣
の回数を板に書いて社殿に打ち付けることです。応永三十四年
(一四二七)の足方義満の側室・北野殿の参詣では、十月一日に
「はまの宮」に奉幣し、神楽を奉納したのち、帯や本結(紐)を
投げると、神子女(巫女)たちが、争って拾った様子を、先達を
つとめた僧実意が記しています。
三所権現あるいは渚宮と呼ばれていましたが、現在は熊野三所
大神社と称しています。なお、隣の補陀洛山寺は千手堂あるい
は補陀洛寺と呼ばれ、本来はこの王子社と一体のものでした。


DSC01138.JPG
こちらが本殿。

DSC01139.JPG
DSC_1372.jpg
ハート。[揺れるハート]

DSC01133.JPG
隣の補陀洛山寺へ。

DSC01152.JPG
補陀洛山寺:
補陀洛山寺は、白砂の浜の向こうに広がる太平洋に面して
建てられた天台宗の寺院です。この寺は、南海の彼方にあ
ると信じられていた観音浄土を生きながらにして目指す
「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことでも
知られています。


DSC01154.JPG
こちらがご本尊。御祈祷を
「追突されませんように!」

DSC01145.JPG
そして、このお寺と言えば補陀落渡海の船。

DSC01148.JPG
補陀落山渡海とは:
生きながらに南海の観音浄土(補陀洛浄土)を
めざして行われた一種の捨身行である。
平安時代から江戸時代まで20数回にわたり、
那智の海岸から当寺の住僧達が渡海した。

この渡海船は那智参詣曼荼羅を「もとに平成5年
熊野新聞社社主、寺本静生氏によって復元された
もので、入母屋作りの帆船で四方に発心門、修行
門、菩提門、涅槃門の殯の鳥居がある。

DSC01149.JPG
捨身行と言うぐらいだったので帰還者は・・・・
スワンボートで外海に出るぐらい無謀だったと。

DSC01159.JPG
もしかしたら、補陀落山渡海に参加した僧の
子孫がグアムやサモアにいるのかも。
と思いつつ見学完了。
nice!(23)  コメント(7) 
共通テーマ:バイク