木葉下金山跡 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]
2022年12月中旬、茨城に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
林道をちょっと歩いていく・・・
あったー。
木葉下金山跡。
木葉下の金山跡:
木葉下の金山は、金山開発に熱心であった佐竹氏の時代に
開かれた金山の一つで、産出された金は豊臣政権下におい
て重要な資金源でした。佐竹領から豊臣政権へ納められた
金の量は、上杉・伊達領に次いで第三位を誇ったといわれ
全国屈指のものでした。その後、徳川時代に至っても採掘
は続きましたが、いつ頃まで金が産出されていたのかは明
らかではありません。現在も金山地区には坑口の跡が散在
しており、その数は30とも40ともいわれています。近くに
は、鉱石から金粒を選別した弁天池が残っています。
こっちにも、もう少し詳しい説明が。
佐竹氏の時代に開かれ水戸藩の初期まで採掘した金山の跡
であってそのもとは豊臣秀吉の鉱山政策にあった。佐竹氏
は領内金山の産金額の十分の一を運上として秀吉に納めた
が、その額は全国でも上位にあったと言われる。水戸藩も
永田勘右衛門(円水)に採掘させたが採金量はしだいに減少
した。今もその坑口と鉱石を洗った弁天池が残っている。
この穴の奥には・・・・・・
今でも、もしかしたらこんな風に
金が眠っているのかも。
一発当てたらZ900RSも金ぴかにできるのに。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
林道をちょっと歩いていく・・・
あったー。
木葉下金山跡。
木葉下の金山跡:
木葉下の金山は、金山開発に熱心であった佐竹氏の時代に
開かれた金山の一つで、産出された金は豊臣政権下におい
て重要な資金源でした。佐竹領から豊臣政権へ納められた
金の量は、上杉・伊達領に次いで第三位を誇ったといわれ
全国屈指のものでした。その後、徳川時代に至っても採掘
は続きましたが、いつ頃まで金が産出されていたのかは明
らかではありません。現在も金山地区には坑口の跡が散在
しており、その数は30とも40ともいわれています。近くに
は、鉱石から金粒を選別した弁天池が残っています。
こっちにも、もう少し詳しい説明が。
佐竹氏の時代に開かれ水戸藩の初期まで採掘した金山の跡
であってそのもとは豊臣秀吉の鉱山政策にあった。佐竹氏
は領内金山の産金額の十分の一を運上として秀吉に納めた
が、その額は全国でも上位にあったと言われる。水戸藩も
永田勘右衛門(円水)に採掘させたが採金量はしだいに減少
した。今もその坑口と鉱石を洗った弁天池が残っている。
この穴の奥には・・・・・・
今でも、もしかしたらこんな風に
金が眠っているのかも。
一発当てたらZ900RSも金ぴかにできるのに。
と思いつつ見学完了。