田子の震洋格納庫 [千葉からZ900RSと300km超]
西伊豆 大田子海水浴場の近く。
停められそうな場所へ。
船を隠すなら、もってこいな場所。
早速、格納庫へ。
この洞窟は、大東亜戦争末期の昭和20年(1945)軍司令部は
本土決戦を予期して、敵艦隊に魚雷を抱いて体当たりする
「ベニヤ板の特攻艇震洋」を格納するために3月から第1岡
崎航空隊(予科練生第12期生「六期会」第24期生「八期会」)
及び陸軍の暁部隊を派遣して掘削した洞窟である。
竹之浦は「八期会」が15番から36番まで22本を掘削された。
戦後、道路建設のためにその多くは崩壊したが残った洞窟は
西伊豆町の史跡として保存されている。
ここに格納予定の特攻艇「震洋」
艇の前に炸薬を積込体当たりする戦法の震洋。
通称「青蛙」と言われた体当たりモーターボート。
立体化するとこんな感じ。
これだけの洞窟が掘られた。
手彫りっぽい感じの洞窟。
震洋はここから出撃する予定だったのかも。
戦艦や空母に(魚雷搭載の)ベニヤ板震洋が
当たっても効果の信用度は・・・・
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
船を隠すなら、もってこいな場所。
早速、格納庫へ。
この洞窟は、大東亜戦争末期の昭和20年(1945)軍司令部は
本土決戦を予期して、敵艦隊に魚雷を抱いて体当たりする
「ベニヤ板の特攻艇震洋」を格納するために3月から第1岡
崎航空隊(予科練生第12期生「六期会」第24期生「八期会」)
及び陸軍の暁部隊を派遣して掘削した洞窟である。
竹之浦は「八期会」が15番から36番まで22本を掘削された。
戦後、道路建設のためにその多くは崩壊したが残った洞窟は
西伊豆町の史跡として保存されている。
ここに格納予定の特攻艇「震洋」
艇の前に炸薬を積込体当たりする戦法の震洋。
通称「青蛙」と言われた体当たりモーターボート。
立体化するとこんな感じ。
これだけの洞窟が掘られた。
手彫りっぽい感じの洞窟。
震洋はここから出撃する予定だったのかも。
戦艦や空母に(魚雷搭載の)ベニヤ板震洋が
当たっても効果の信用度は・・・・
と思いつつ見学完了。