山武市指定文化財 石仏 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]
杉林の中にある石仏。
停められそうな場所へ。
ここから約260mぐらい歩くと・・・・
真行寺廃寺跡の看板が。
本廃寺跡は、昭和56年~58年に発掘調査が実施され
南北2基の基壇をはじめいくつかの遺跡が確認され
ました。2基の基壇は、南側基壇が金堂跡、北側を
講堂跡と想定されています。
発見された出土土器には墨で書かれた土器が確認され
寺院関係の墨書銘には「武射寺」「大寺」「仏工舎」
があります。「武射寺」の墨書銘が出土したことに
より、本寺跡が武射郡の郡名寺院であったことが判断
されます。創建年代は、出土瓦から7世紀末から8世紀
前半代には創建されたものと推定されています。
お目当ての石仏はここにはなく、さらに奥へ。
矢印の方向へ進んでいく
分岐が現れたら右のほうへ。
しばらくするとこの看板が右手に
見えるのでそのまま道なり。
ちょっと行くと、この分岐が。
最初、分岐とは思わず先に進んでしまった・・・
分岐には見えないけど。
右側にはこんなのが。
倒木が鳥居っぽく見えなくもないっ!
この看板が見えたらすぐ。
なんかちょっと怖いけど。
山武市指定文化財 石仏、到着。
石仏:
この石仏は、真行寺廃寺から北東へ300mほど離れた
真行寺古墳群が所在する台地で、方墳の中腹に位置
しています。
石仏の高さは1mほどで、材質は金剛地層が固結し砂
岩層となったものです。浪切不動尊及び柴原地区等
に見られる岩石と同種です。岩石は加工しやすく、
石仏の表情は素朴で仏的な顔が彫られています。
作者や造立年代は不明で、方墳築造後の後世に立て
られたことは間違いなく、真行寺廃寺との関連性が
指摘されていますが、判然としません。
横から見るとこんな感じ。
意外に厚みがある~。
石仏様にご祈願を
「追突されませんように!」
モアイっぽく見えるので、もしかしたら
イースター島と何か関連ありそう・・・
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
ここから約260mぐらい歩くと・・・・
真行寺廃寺跡の看板が。
本廃寺跡は、昭和56年~58年に発掘調査が実施され
南北2基の基壇をはじめいくつかの遺跡が確認され
ました。2基の基壇は、南側基壇が金堂跡、北側を
講堂跡と想定されています。
発見された出土土器には墨で書かれた土器が確認され
寺院関係の墨書銘には「武射寺」「大寺」「仏工舎」
があります。「武射寺」の墨書銘が出土したことに
より、本寺跡が武射郡の郡名寺院であったことが判断
されます。創建年代は、出土瓦から7世紀末から8世紀
前半代には創建されたものと推定されています。
お目当ての石仏はここにはなく、さらに奥へ。
矢印の方向へ進んでいく
分岐が現れたら右のほうへ。
しばらくするとこの看板が右手に
見えるのでそのまま道なり。
ちょっと行くと、この分岐が。
最初、分岐とは思わず先に進んでしまった・・・
分岐には見えないけど。
右側にはこんなのが。
倒木が鳥居っぽく見えなくもないっ!
この看板が見えたらすぐ。
なんかちょっと怖いけど。
山武市指定文化財 石仏、到着。
石仏:
この石仏は、真行寺廃寺から北東へ300mほど離れた
真行寺古墳群が所在する台地で、方墳の中腹に位置
しています。
石仏の高さは1mほどで、材質は金剛地層が固結し砂
岩層となったものです。浪切不動尊及び柴原地区等
に見られる岩石と同種です。岩石は加工しやすく、
石仏の表情は素朴で仏的な顔が彫られています。
作者や造立年代は不明で、方墳築造後の後世に立て
られたことは間違いなく、真行寺廃寺との関連性が
指摘されていますが、判然としません。
横から見るとこんな感じ。
意外に厚みがある~。
石仏様にご祈願を
「追突されませんように!」
モアイっぽく見えるので、もしかしたら
イースター島と何か関連ありそう・・・
と思いつつ見学完了。