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諏方神社 [千葉からZ900RSと600km超]

西会津町にある神社。

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無理矢理停めて中へ。

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鉄火の裁き:
元和五年(一六一九)藩主蒲生家の時代、松尾村と綱澤村の間で
山の利用権をめぐって争いになり刃傷沙汰へ発展したため、
藩庁が間に入って調停しようとしましたが、理・非の裁断が
できず、両村ともまったく引かなかったため、「鉄火」に
よる決着を行うことになりました。
すなわち、両村から代表者が出て、鉄火(真っ赤に焼いた鉄の
棒)をつかみ、先に落とした方が負けという勝負です。この勝
負は負ければ「御成敗」、勝っても重傷の大傷を負うという
苛烈きわまりない裁判です。
綱澤村の代表になる決意をした
次郎右衛門は今後農耕不能になるため、自家の農事の補償を
村に約束させました。一方、松尾村の代表は屈強な清左衛門。
同年八月二十一日。双方礼服を着用して手に熊野牛王(ごおう)
の護符をささげながら神前にすすみ、役人が炎火の中から取り
出した鉄火を受け取りました。次郎右衛門は三度までおし戴い
て傍らの三方の上に置いたのですが、清左衛門は受け取るとす
ぐに護符が燃え上がり、鉄火を投げ出して斃れてしまい、決着
はつきました。
清左衛門はその場で御成敗、その遺骸を頭部、胴部、脚部に
三分割し、両村の「山界」を示す三か所に埋め、境塚を築き
ました。

松尾では現在、村の犠牲となった清左衛門の塚に碑をたて、
真福寺の境内に墓碑を建てて故人を厚く供養している
そうです。

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喧嘩両成敗な判決。

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鉄火の裁きがあった本殿。

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ご本尊様はお神輿。

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お参りを・・・・・
「タイヤがパンクしませんように!」

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HERO Blu-ray BOX (2014年7月放送)






凄腕弁護士が居たら、清左衛門も三分割
されなかったかもしれない・・・・
と思いつつ見学完了。
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