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ドン山 [千葉からZ900RSと600km超]

欽ドン!じゃないよ。
昭和な人じゃないと分からないと言う。

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近くの停められそうな場所へ。

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階段を登ると・・・・

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大砲が!

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ドン山の由来:(要約)
時計が現在のように普及していなかった明治・大正時代に
新潟では大砲で空砲を打ち、人々に正午を知らせていました。
これは明治6年から大正13年までの52年間続きました。
明治6年以前の新潟の人々は、現在の第四銀行本店の所に
あった町会所の中の和時計をもとに二時間ごとに打ち鳴ら
す鐘を聞いて時を知りました。
時計の無かった当時としては、明け六つの鐘、暮れ六つの鐘
などと呼ばれ人々にとって重要なものでした。

明治6年、旧暦から新暦に改められたことを契機に、同年6月15日
から寄居砂山の白御影石を積んで木柵をめぐらした小高い丘の上
に、六角形の白い番小屋と車輪のない大砲を据え付け空砲をうって
正午を知らせました。

この大砲の音は、風向きによっては遠く新発田まで聞こえるほど
大きな音であったため、新潟の人々はもちろん近郊の村々でも
正午を知ることができ、重宝がられドン山といわれて人々に
親しまれていました。

大正13年、午砲廃止となる。

明治6年から明治38年まで車輪のない大砲を使用し、明治39年には
八木朋直氏の寄贈による車輪のある大砲に取り替えられ、廃止される
大正13年まで仕様されたということです。

廃止後、初代・二代目共に移設・保存されていたが、
両方とも戦争でその姿を消してしまったとの事。

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車輪がついているので二代目。

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大砲について(要約):
大砲は、明治初期、陸軍で使用していたもので
フランス製の大砲を模して国内で制作したと推測。

確かに、ちょっとセシールっぽい感じがするかも。

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防災無線の正午の曲ではなく、大砲の音の方が運動会開催の
花火ぽくて良いかも。と思いつつ見学完了。
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