瑞祥庵 [千葉からZ900RSと600km超]
越後のミケランジェロこと、石川雲蝶の作品があるお寺。
駐車場へ。
彫刻 仁王尊 二体:
曹洞宗瑞祥庵楼門の西側に安置されている仁王尊二体は
幕末から明治初年に越後で才腕を振るった三条市の石川
雲蝶の作品である。雲蝶は文化11年(1814)江戸雑司ヶ谷
で生まれ、姓を石川、名を正照、雲蝶と号した。越後に
来てから三条市四ノ町酒井弥助に見込まれて養子になっ
た。一般では三条の安兵衛と呼ばれていた。
雲蝶の作品は、越後各地はもとより魚沼郡内に多くの作
品を残している。小出町大浦の西福寺開山堂、堀之内町
根古屋の永林寺欄間、塩沢町鈴木屋の薄荷圓看板、湯沢
町中里の瑞祥庵仁王尊一対などは、魚沼に残した雲蝶の
代表作であろう。瑞祥庵の仁王尊は、いつ頃刻まれたの
か明らかではないが、楼門が再建されたのが弘化4年で
それから数ヶ月後であると伝えられているから安政以後
ではないかと推定される。
まず、お堂の方へ。
ご本尊かな?
「立ちごけしませんように!」
続いて楼門。
三界萬霊塔。
欲界・色界・無色界の楼門なのかも。
仁王尊。おおーすごい。
ダビデ像に見えなくもないかも。
石川雲蝶がヨーロッパで認識されていたら
ルーブルに仁王尊も展示されていたかも。
と思いつつ見学完了。
駐車場へ。
彫刻 仁王尊 二体:
曹洞宗瑞祥庵楼門の西側に安置されている仁王尊二体は
幕末から明治初年に越後で才腕を振るった三条市の石川
雲蝶の作品である。雲蝶は文化11年(1814)江戸雑司ヶ谷
で生まれ、姓を石川、名を正照、雲蝶と号した。越後に
来てから三条市四ノ町酒井弥助に見込まれて養子になっ
た。一般では三条の安兵衛と呼ばれていた。
雲蝶の作品は、越後各地はもとより魚沼郡内に多くの作
品を残している。小出町大浦の西福寺開山堂、堀之内町
根古屋の永林寺欄間、塩沢町鈴木屋の薄荷圓看板、湯沢
町中里の瑞祥庵仁王尊一対などは、魚沼に残した雲蝶の
代表作であろう。瑞祥庵の仁王尊は、いつ頃刻まれたの
か明らかではないが、楼門が再建されたのが弘化4年で
それから数ヶ月後であると伝えられているから安政以後
ではないかと推定される。
まず、お堂の方へ。
ご本尊かな?
「立ちごけしませんように!」
続いて楼門。
三界萬霊塔。
欲界・色界・無色界の楼門なのかも。
仁王尊。おおーすごい。
ダビデ像に見えなくもないかも。
石川雲蝶がヨーロッパで認識されていたら
ルーブルに仁王尊も展示されていたかも。
と思いつつ見学完了。
彩色されている仁王像はあまり見たことがありません。
by いっぷく (2021-05-24 23:00)
まさに侵入者を防ぐたくましい仁王尊ですね。
夜に見たらおしっこちびりそうです(笑)
by yamatonosuke (2021-05-25 03:02)
むしろダビデと対峙するゴリアテの方ではないかと(^_^;)
by middrinn (2021-05-25 08:22)
こんにちは。
ゴリアテに1票
欧州のダビデ像とかは彩色されてない筈だし...
by HIRO (2021-05-25 20:19)
皆様コメントありがとうございます。
>いっぷくさん
タイの仏像さん並みにカラフルだったり。
>yamatonosukeさん
夜訪れた時、もしかしたら動いているかも(笑)。
>middrinnさん
173-183cmなのでゴリアテよりちょっと小さかったり。
>HIROさん
昔の人は、仁王様が勇敢な若者に見えたのかも。
by tai-yama (2021-05-25 23:00)
仁王門の二に王様はどこか昔の農民っぽいお顔ですね。
カラフルってだけでも貴重でしょう。
by 響 (2021-05-27 12:45)
>響さん
コメントありがとうございます。
ある意味、当時の人が感じていた色をそのまま見られていると
言うことだったり。モデルは近くの農家の方なのかも(笑)。
by tai-yama (2021-05-28 00:33)
よく見るとひげがしっかりなのですね(笑)
お顔の雰囲気は歌舞伎なような感じもします
若干お腹もぽっこりな??
by kokoro (2021-06-03 07:45)
>kokoroさん
コメントありがとうございます。
ミケランジェロなだけあって、細かい所の再現度はかなり高いと。
江戸後期な人で、さらに江戸出身なだけあって、歌舞伎は身近
だったのかもしれませんね。お腹ポッコリなのは、今も昔も
日本人の中年の体形は変わっていないかと(笑)。
by tai-yama (2021-06-03 23:34)