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加藤景廉一族の墓 [Z900RSと300km超]

1月下旬、静岡に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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こんな場所。

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頼朝重臣 加藤景廉一族の墓(五輪塔):
景廉は、源頼朝による源氏旗揚げの挙兵に加わり、
大野(伊豆市)の堀藤次親家とともに山木(現伊豆
の国市)判官の平兼隆を討ち、石橋山(現 小田原市)
の合戦でも活躍するなど、鎌倉幕府を創り上げた功労
者の一人です。頼朝は手柄をたくた 立てた景廉に牧之郷を始
め各地に領地を与えました 美濃国遠山庄(現岐阜県
恵那市岩村町付近)では、日本三大山城一つとして有
名な岩村城を築き、この地を長男の景朝に譲り渡した
後、景朝は遠山の姓を名乗り、美濃遠山氏の発展の基
礎をつくりました。子孫の中には、北条早雲の第一の
重臣であった遠山直景や、江戸時代の町奉行「遠山の
金さん」こと、遠山左衛門尉(金四郎)景元などがい
ました。

建保七年(一二一九)一月、鎌倉幕府の三代将軍源実
朝が脂殺 刺殺された際の警備最高責任者であった景廉は実
朝の霊を弔うため出家覚蓮房妙法と号しました。
承久三年(一二二二)五月、鎌倉から牧之郷に帰った
景廉は、再び地頭職に就きましたが、八月三日に没し、
この地に葬られました。この五輪塔は、狩野川台風に
よって流され、散乱したものを住民がここに集め、流
失部分を補完して祀ったものです。
昔、この付近に金剛寺という大きな寺があったといわ
れ、天明五年(一七八五)この墓の下から、景廉の孫
である善願上人の蔵骨器(舎利瓶)が発見されました。
この舎利瓶は県指定文化財に指定され、現在修善寺郷
土資料館に展示されています。

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金剛寺跡も兼ねている〜。

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鎌倉名将景廉公
翕目牧卿輪塔中
物换呈移垂八百
豆州奉(?)仰武功雄

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狩野川台風で流された五輪塔。

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「よっく見やがれ!」
春には桜も満開っ。

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帰りの準備中、電車が。

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幻日のヨハネ。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ

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修善寺へ去っていった。

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鎌倉、江戸、そして令和まで多様な
変化と文化を持つ街、沼津周辺っ。
と思いつつ見学完了。
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