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東家渡場大常夜燈籠 [千葉からZ900RSと1000km超]

2020年11月中旬、和歌山に行った際に立ち寄った場所。

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近くに駐車。

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紀の川と橋本川の境目。

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東家渡場大常夜燈籠。

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旧高野街道 東家渡場大常夜燈籠:
高野街道は京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で
古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。その後、御幸辻から
南下して当地に至り、紀の川を渡って学史路から高野山へ登ってい
く道が開かれ、室町時代後期にはもっぱらこの道が用いられるよう
になった。橋本の地名の由来となった橋は、天正15年(1587)に応
其上人によって架けられたが、3年後に紀の川の増水により流失し、
舟による横渡が行われるようになった。その紀の川北岸渡場に建て
られたのがこの大常夜燈籠である。
この石燈籠が建てられたのは
文化11年(1814)で、長く「無銭横渡」の渡場を伝えてきたが、その
後、河川改修のために現在地に移築された。元は同型の燈籠2基が
相対して建てられていたが、うち1基は紀の川の洪水におり流失し
た。台座四面の銘文によると、阿波国藍商人の連中をはじめ、京都
難波、堺の商人および和歌山の川舟仲間ほか多人数の講社、信者な
どの浄財によって建てられたもので、
当時の弘法大師信仰の広がり
と、かつての紀の川渡場の賑わいを今に伝えている。

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これは大阪の講社のモノっぽい。
今風に書くと"大阪 若岩参上" な感じかな?

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大常夜燈籠向いには歯痛地蔵尊。

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歯は痛くないけどお参り。
「立ちごけしませんように!」

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橋本市の由来の橋は流失するし、大常夜燈籠の1基も
流失しているし、紀の川は相当な暴れ川だったのかも。
(弘法大師のお力でも無理か・・・)
と思いつつ見学完了。
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