鏡沼跡 [千葉からZ900RSと300km超]
2020年10月下旬、福島に行った際に立ち寄った場所。
朝早いだけで、心霊スポットではないっ!
駐車場に到着。
鏡沼跡:
建保元年(1213)信濃源氏の泉親衡による北条討伐の
謀反が発覚し加害者は捕らえられた。和田平太胤長
もこれに参加した為、岩瀬郡稲村に配流され五月九
日誅(処刑)された。夫の身を案じた妻は、鎌倉より
この地に至り里人に夫の死を知らされ、鏡をいただ
き沼に入水し果てた。以来この沼を「鏡沼」という
と伝える。
天保十三年鏡沼村の恒松菊畦が「魔光編」を著し
夫婦を顕彰した。
芭蕉の奥の細道に「かげ沼と云所を行に、今日は
空曇りて物陰うつらず。」とあるは、この地は
一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩く
如くみゆることで有名であった。
この大きさだと鏡をもって入水なんて
できないのでは?と思ったりもするが・・・
昔は、沼の真ん中に島があるくらい
大きかったとの事。
曽良と芭蕉さんも居るよ!
もしかしたら、この沼の底には「真実の姿」
を映す、ラーの鏡が眠っているのかも。
と思いつつ見学完了。
朝早いだけで、心霊スポットではないっ!
駐車場に到着。
鏡沼跡:
建保元年(1213)信濃源氏の泉親衡による北条討伐の
謀反が発覚し加害者は捕らえられた。和田平太胤長
もこれに参加した為、岩瀬郡稲村に配流され五月九
日誅(処刑)された。夫の身を案じた妻は、鎌倉より
この地に至り里人に夫の死を知らされ、鏡をいただ
き沼に入水し果てた。以来この沼を「鏡沼」という
と伝える。
天保十三年鏡沼村の恒松菊畦が「魔光編」を著し
夫婦を顕彰した。
芭蕉の奥の細道に「かげ沼と云所を行に、今日は
空曇りて物陰うつらず。」とあるは、この地は
一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩く
如くみゆることで有名であった。
この大きさだと鏡をもって入水なんて
できないのでは?と思ったりもするが・・・
昔は、沼の真ん中に島があるくらい
大きかったとの事。
曽良と芭蕉さんも居るよ!
もしかしたら、この沼の底には「真実の姿」
を映す、ラーの鏡が眠っているのかも。
と思いつつ見学完了。