西行戻り橋 [Z900RSと300km超]
歌人として名高い西行法師ゆかりの橋。
停められそうな場所へ。
これが西行戻り橋。
欄干は低い。
滝付きの小さい川が。
西行戻り橋 由来:
歌人として名高い西行法師は、源頼朝と初めて会った時
「もとは佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえのじょうのり
きょ よ)今は出家遁世して西行と号する者」と名のってい
ます。この西行が寄居町未野にやって来たのは、秩父へ
歌の修行に向う途中だった。未野を流れる逆川にかかる
土橋まで来ると子供がショイコを背に嫌 鎌を振り振り渡っ
てきます。そこで西行は「小僧、どこへ行く」と問いか
けました。すると子供は「冬ぼきの夏枯草(麦)を刈り
に行く」と無造作に答えた。西行は「冬ぼきの夏枯草」
とは何んのことかわからず、困ってしまった。
子供は西行の困った顔をよそにさっさと行ってしまった。
またこの時、橋のたもとのあばらやで、美しい小娘がハタ
を織っている姿に西行はうっとりとみとれているうちに、
急にその絹がほしくなり、「その絹を売るか」とたずねま
した。すると娘は「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」
とまるで禅問答のようにいうのです。
そこで西行は秩父路では、少年も少女もむずかしい歌を
たやすく作る。自分は恥かしいといってこの橋から戻っ
てしまいました。今もこの橋を「西行戻り橋」と呼んで
いるのはそのためです。
「西行 come back」
な風景を思いついたけど全然違った・・・・
無知でも現代サラリーマンは
前に進むしかないっ。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
これが西行戻り橋。
欄干は低い。
滝付きの小さい川が。
西行戻り橋 由来:
歌人として名高い西行法師は、源頼朝と初めて会った時
「もとは佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえのじょうのり
き
ます。この西行が寄居町未野にやって来たのは、秩父へ
歌の修行に向う途中だった。未野を流れる逆川にかかる
土橋まで来ると子供がショイコを背に
てきます。そこで西行は「小僧、どこへ行く」と問いか
けました。すると子供は「冬ぼきの夏枯草(麦)を刈り
に行く」と無造作に答えた。西行は「冬ぼきの夏枯草」
とは何んのことかわからず、困ってしまった。
子供は西行の困った顔をよそにさっさと行ってしまった。
またこの時、橋のたもとのあばらやで、美しい小娘がハタ
を織っている姿に西行はうっとりとみとれているうちに、
急にその絹がほしくなり、「その絹を売るか」とたずねま
した。すると娘は「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」
とまるで禅問答のようにいうのです。
そこで西行は秩父路では、少年も少女もむずかしい歌を
たやすく作る。自分は恥かしいといってこの橋から戻っ
てしまいました。今もこの橋を「西行戻り橋」と呼んで
いるのはそのためです。
「西行 come back」
な風景を思いついたけど全然違った・・・・
無知でも現代サラリーマンは
前に進むしかないっ。
と思いつつ見学完了。
娘は絹を売りたくなかったということでしょうか。それにしても欄干が低いので渡るのが怖いです。
by いっぷく (2024-04-01 23:18)
「のりきょ」→「のりきよ」、「嫌を振り振り」→「鎌を振り振り」の誤植(^_^;)
『後鳥羽院御口伝』で「生得の歌人」と評された西行が「歌の修行」とはね(^_^;)
by middrinn (2024-04-02 06:21)
西行はいろんな所に伝説が残っていますね。記憶に
残る天然の人だったのでしょうかね?
by 爛漫亭 (2024-04-02 11:43)
こんにちは
>ショイコを背に
薪でも背負って本を読んでたら金次郎さんw
by HIRO (2024-04-02 20:09)
皆様コメントありがとうございます。
>いっぷくさん
今風の娘なら「じじいキモイ」と(笑)。
>middrinnさん
天才は99%の修行と1%のひらめきっ。
>爛漫亭さん
歌の多さに全国を周ったと思われているのかも。
>HIROさん
スマホ見ながら歩いていたガキだったり(笑)。
by tai-yama (2024-04-02 22:29)
時代背景があるような橋とは思えない風貌(≧◇≦)
バイク同様にバックギアはついてない(笑)
by yamatonosuke (2024-04-03 00:49)
>yamatonosukeさん
コメントありがとうございます。
橋自体はどうみても最近作られたコンクリートの橋っ。
説明の絵にあるような橋はどうみても丸太な一本橋(笑)。
by tai-yama (2024-04-03 23:18)