法印の首塚 [Z900RSと300km超]
2023年12月下旬、神奈川に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
ちょっと坂を下ると・・・・
法印の首塚:
戦国争乱の世、上洛し、天下に覇をなさんとの野望に燃える
甲斐の武田信玄は、諸将に大軍を引きつれ小田原に北條氏を
攻めた後、相模川治いに北上し三増峠(愛川町と津久井町と
の境)を突破せんとする時、北條方もこれに大軍を備えて迎
え撃ち、数しい戦闘が展開された。時は永禄十二年十月八日
世に言う三増合戦である。山岳戦になれた武田軍は堅固なる
北條方の陣営を突破して山王の瀬を渡り、甲府に無事帰還し
たのである。
この日小田原北條氏の配下にあった日向薬師の山伏の一団は
甲州軍の一支隊の退路を遮断せんとして、ここ駒入原にて戦
闘を交えたが、奮戦も空しく日向薬師八大坊の、前大先達権
大僧都快法印を始めとしてこの地において討死をしたのである。
村の人達は、討死した人達の霊を弔うべく若宮八幡宮として
祀ったと伝えられている。八幡社は以前は離れた山の上にあ
ったが、明治年間に諏訪神社の境内に安置されたといわれて
いる。日向山伏の修験はかなり古くより行れており、その経
路として記録されているものは次のどおりである。
日向薬師ー白山社ー湯尾権現ー地蔵平ー観音の峰ー山の神(大山の嶺)
ー問答口ー山王権現ー表尾根ー尊仏ー行者缶ー塔の峰ー龍が馬場
ー弥陀が原ー蔵王権現ー不動尊ー仙人の岩ー釈迦が岳ー水呑の小屋
ー青根ー青野原ー鳥谷ー煤ヶ谷ー七沢日向ー日向薬師
法印の首塚。
首塚には由来が。白文っ。
ヘルメットを置き、法印さんの供養。
「タイヤが一年間持ちますように!」
北條軍に山伏(僧兵?)が居たんだ。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
ちょっと坂を下ると・・・・
法印の首塚:
戦国争乱の世、上洛し、天下に覇をなさんとの野望に燃える
甲斐の武田信玄は、諸将に大軍を引きつれ小田原に北條氏を
攻めた後、相模川治いに北上し三増峠(愛川町と津久井町と
の境)を突破せんとする時、北條方もこれに大軍を備えて迎
え撃ち、数しい戦闘が展開された。時は永禄十二年十月八日
世に言う三増合戦である。山岳戦になれた武田軍は堅固なる
北條方の陣営を突破して山王の瀬を渡り、甲府に無事帰還し
たのである。
この日小田原北條氏の配下にあった日向薬師の山伏の一団は
甲州軍の一支隊の退路を遮断せんとして、ここ駒入原にて戦
闘を交えたが、奮戦も空しく日向薬師八大坊の、前大先達権
大僧都快法印を始めとしてこの地において討死をしたのである。
村の人達は、討死した人達の霊を弔うべく若宮八幡宮として
祀ったと伝えられている。八幡社は以前は離れた山の上にあ
ったが、明治年間に諏訪神社の境内に安置されたといわれて
いる。日向山伏の修験はかなり古くより行れており、その経
路として記録されているものは次のどおりである。
日向薬師ー白山社ー湯尾権現ー地蔵平ー観音の峰ー山の神(大山の嶺)
ー問答口ー山王権現ー表尾根ー尊仏ー行者缶ー塔の峰ー龍が馬場
ー弥陀が原ー蔵王権現ー不動尊ー仙人の岩ー釈迦が岳ー水呑の小屋
ー青根ー青野原ー鳥谷ー煤ヶ谷ー七沢日向ー日向薬師
法印の首塚。
首塚には由来が。白文っ。
ヘルメットを置き、法印さんの供養。
「タイヤが一年間持ちますように!」
北條軍に山伏(僧兵?)が居たんだ。
と思いつつ見学完了。