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実盛塚 [Z900RSと1000km超]

2023年10月上旬、石川に行った際に立ち寄った所。

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駐車場へ。

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案内板を頼りに実盛塚へ。

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案内板の近くにあった、こっち
の道は間違い・・・・・

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正解はこっち。

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実盛塚到着。

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実盛塚:

この一帯は源平争乱の舞台「篠原古戦場」です。
寿永2年5月(1183年)、倶利伽羅の合戦の大勝の
余勢をかって攻めたてる木曽義仲(源義仲)軍を相手
に、敗走する平家軍の中で、ただ一騎、踏みとどま
って戦ったのが斉藤別当実盛でした。実盛は木曽義仲
幼少代の命の恩人でしたがこれを秘し、73歳という
老齢の身を侮られぬよう髪を黒く染め、名乗りのあ
げず戦いました。しかし、奮戦むなしく手塚太郎光盛
に討ち取られ、劇的な最期を遂げてしまいます。
そのなきがらを素ったと伝えられているのが、ここ
「実盛塚」です。伝説では、応永21年(1414年)
に時宗14世遊行上人が篠原の地を巡錫中(実盛の亡霊
があらわれ救いを求めたので、上人が回向したらたちま
ち成仏したといわれ、世阿弥作の謡曲「実盛」でひろ
く世に知れ渡っています。
ここ「実盛塚」の周辺には、討ち取られた実盛の首を
洗ったとされる「首洗池」(ここから東方向に約1.4km
加賀市手塚町)や、実盛が髪を染める際に用いた鏡を
安置したと伝えられる「鏡の池」(ここから西方に
約4.5km、加賀市深田町)など、実盛の伝説にまつわる
場所があります。また、隣の小松市には、実盛の死を
深くあわれんだ義仲が実盛着用の兜などを奉納し、
その(判別不能)を依頼した「多太神社」があります。

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実盛の塚は立派に成長。

「首洗池」(参照)でダウンロードしたARを使うと・・・・

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実盛公が登場。

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義仲軍を攻撃っ。

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諸葛亮孔明の様に軍師の役割もしていたのかも。

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実盛公もZ900RSヨシムラに騎乗して
いたら義仲軍に勝っていたかも・・・
と思いつつ見学完了。
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