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寶珠花神社 [Z900RSとちょっとその辺]

春日部市の神社。

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停められそうな場所へ。

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早速、境内へ。

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江戸川と西宝珠花:
江戸川は、江戸時代の寛永年間(一六二四~一六四四年)に
下総台地を切り開いてつくられた人工の河川である。
この江戸川の開削によって、中世以降の宝珠花郷は、東西に
分断され、西宝珠花村が誕生した。
江戸川の舟運により、西宝珠花は河岸場としてにぎわいをみ
せた。明治時代になると、蒸気船による貨客輸送が開始され
河岸場の周辺には、酒屋、料理店、旅館、呉服問屋などが建
ち並び、江戸川流域でも有数の寄航地として繁栄した。

その後、昭和二十二年に発生したカスリーン台風の被害によ
り、江戸川堤防の改修工事が計画され、村の大部分が移転の
対象となった。この大規模な移転事業は昭和二十六年に始ま
り、昭和二十八年に完了した。移転には、「家」という手法
が用いられ、二百五十戸の住宅や役場、学校、寺社などの多
くが、そのままの状態で移動した。
こうして西宝珠花の町並みは、現在の地へと移った。

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昔、江戸川にこんな蒸気船が運行していたとは。

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本殿。

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ご本尊様へご祈願。
「タイヤが1年間持ちますように!」

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でも、この神社のハイライトは
こっちの富士塚。

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宝珠花神社扁額:
宝珠花神社に伝わる点滅で、寸法は続九ーセンチ・横五六
センチです。銅版製で、表に「三國㐧一山」、裏に「武州
粕壁住鋳懸師/駒田文吉恐惶謹造/天保四年発巳正月吉日
/不二登山一百二十一度/営所氏子中/行者禄行三志書」
とあります。
これにより、この扁額は天保四年(一八三三)西宝珠花の
人々が富士登山一二一回を記念して奉納したもので、
「三國㐧一山」は富士山を意味し、行者禄行三志の書体を
柏壁の鋳掛師が鋳造したものであることが分かります。
禄行三志は、近世後期鳩ヶ谷宿出身の不二道指導者
小谷三志(一七六五~一八四一)の行名です。
富士塚と共に当地域の富士信仰の隆盛を示しており
著名な民間仰の指導者との関連を示す貴重な文化財です。

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この扁額も何気に文化財。

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富士塚登頂へ。

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はぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・
何気に途中クマに遭遇するくらい険しい。

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山頂に到着っ。

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すごい。見晴らしがいいー。
「見ろ。車がゴミのようだ!!」

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富士塚を下山すると御百度石が。

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さるー。

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「一富士二鷹三茄子」
きっと2024年度はいいことがあるかも。
と思いつつ見学完了。
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