猿鼻宿通過諸大名 [Z900RSと300km超]
7月下旬、山形に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
早速、羽前街道の旧道を登っていく。
旧羽前街道保存地区
羽前街道の歴史
古来、東北地方は、中央を走る奥羽山脈によって
東の陸奥・西の出羽に分けられてきました。
それゆえ、古くから両地域を往来する峠道がいく
つも開かれました。そのひとつが笹谷峠越えの道
です。現在の蔵王町宮から、永野~四方峠〜川崎
~笹谷峠へと続く道は、笹谷峠越えの道の中でも
とりわけ古く、平安時代にはすでに使われていま
した。道筋の周辺には数々の城館跡が残されてい
ることから、鎌倉~戦国時代には戦略的に重要な
道であったことがうかがえます。
江戸時代になると、この道は仙台を中心とした
藩内の街道網のひとつとして整備されました。
宮宿から四方峠の間に永野宿・猿鼻宿が作られた
のもこの頃で、主に、商荷や出羽三山参りの人々
が往来しました。
現在でも沿線に多くの文化財や伝説が残る
わが町の歴史を形作ってきた古道です。
旧羽前街道保存地区について
現在でも、羽前街道はほぼ昔のままの道筋で利用
されていますが、ほとんどの部分で舗装や拡幅と
いった改良がなされています。しかし、四方峠に
至る約1kmの山道は、隣接して新道が作られた
ために昔ながらの峠道が残されています。
旧道は幅5mほどの溝状で、蛇行しつつ峠へと
続いています。
頂上の四方峠は、「四方すべてが見渡せる」こと
から名付けられたとおり、円田盆地が一望できます。
この旧道部分は、地元住民の手によって
歴史散策路として保存活用が図られています。
平安時代からある旧道を登っていくと・・・
通行手形 吟味処。
通行手形は、生憎持ち合わせていないけど通過していく。
東屋が。
猿鼻宿通過諸大名
市川家の文事による
秋田二十万五千石 佐竹右京大夫 様
鶴岡十三万石 酒井左衛門 様
弘前十万石 津軽越中守 様
新庄六万八千石 戸澤大和守 様
山形六万石 秋元但馬守 様
天童二万石 織田若狭守 様
本荘二万石 六郷兵庫頭 樣
新たに通過大名を追加っ!
宇都宮が一番格上だった。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
早速、羽前街道の旧道を登っていく。
旧羽前街道保存地区
羽前街道の歴史
古来、東北地方は、中央を走る奥羽山脈によって
東の陸奥・西の出羽に分けられてきました。
それゆえ、古くから両地域を往来する峠道がいく
つも開かれました。そのひとつが笹谷峠越えの道
です。現在の蔵王町宮から、永野~四方峠〜川崎
~笹谷峠へと続く道は、笹谷峠越えの道の中でも
とりわけ古く、平安時代にはすでに使われていま
した。道筋の周辺には数々の城館跡が残されてい
ることから、鎌倉~戦国時代には戦略的に重要な
道であったことがうかがえます。
江戸時代になると、この道は仙台を中心とした
藩内の街道網のひとつとして整備されました。
宮宿から四方峠の間に永野宿・猿鼻宿が作られた
のもこの頃で、主に、商荷や出羽三山参りの人々
が往来しました。
現在でも沿線に多くの文化財や伝説が残る
わが町の歴史を形作ってきた古道です。
旧羽前街道保存地区について
現在でも、羽前街道はほぼ昔のままの道筋で利用
されていますが、ほとんどの部分で舗装や拡幅と
いった改良がなされています。しかし、四方峠に
至る約1kmの山道は、隣接して新道が作られた
ために昔ながらの峠道が残されています。
旧道は幅5mほどの溝状で、蛇行しつつ峠へと
続いています。
頂上の四方峠は、「四方すべてが見渡せる」こと
から名付けられたとおり、円田盆地が一望できます。
この旧道部分は、地元住民の手によって
歴史散策路として保存活用が図られています。
平安時代からある旧道を登っていくと・・・
通行手形 吟味処。
通行手形は、生憎持ち合わせていないけど通過していく。
東屋が。
猿鼻宿通過諸大名
市川家の文事による
秋田二十万五千石 佐竹右京大夫 様
鶴岡十三万石 酒井左衛門 様
弘前十万石 津軽越中守 様
新庄六万八千石 戸澤大和守 様
山形六万石 秋元但馬守 様
天童二万石 織田若狭守 様
本荘二万石 六郷兵庫頭 樣
新たに通過大名を追加っ!
宇都宮が一番格上だった。
と思いつつ見学完了。