旧陸軍 観的所(トーチカ) [千葉からZ900RSと300km超]
浜岡砂丘の近く。
停められそうな場所へ。
ここを進んで行くと・・・・
トーチカ(точка)。
ロシア語なのね。
旧陸軍 観的所(トーチカ):
昭和十五年(一九四〇)七月東京陸軍遣兵隊により、旧大東町
浜野から池新田の海岸開拓地に、陸軍の試射場が建設された。
その後、佐倉、白羽の海岸にて射場が建設される予定であっ
たが、工事の途中で終戦を迎えることとなった。
射場とは、大砲などの発射突験を行う施設で、火薬の量を
調節し、どの位の距離を飛ぶかを観測した場所である。
試射地点の浜野には、重要施設も集中していたが、大砲は
戦争に使われることはなかった。
原点砲列から三千メートル地点までは、五百メートル毎に
それ以東は千メートル毎に、着弾地を確認する観的所を設け
た。七千メートルと一万メートルの地点には、望楼を設け着
弾距離を測定し、司令部に報告していた。
戦争の終わり頃、アメリカ軍の上陸以前に、大砲は千葉県の
房総に運ばれ、戦後は米軍が上陸し射場整理が行われた。
浜野ではこの施設を射場と呼ぶのに対して、それ以東では
トーチカ(観的所)と呼んでいる。施設の役割が異なっている
ためだった。
二度と戦争が起きないように、私達は残されたトーチカに
世界平和を願わずにはいられません。
外観。82年前のコンクリート建造物。
中にも入れるよ!
「おじゃまします」
※画像は合成。実際は、誰も居ない。
天井。爆撃を受けたのかな?
柱の跡かな?それとも大砲の基礎かなんかかな?
ここから望遠鏡をのぞいて
着弾点を観測していたのかも。
戦争遺跡として・・・・
二度と再利用されることがない様に。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
ここを進んで行くと・・・・
トーチカ(точка)。
ロシア語なのね。
旧陸軍 観的所(トーチカ):
昭和十五年(一九四〇)七月東京陸軍遣兵隊により、旧大東町
浜野から池新田の海岸開拓地に、陸軍の試射場が建設された。
その後、佐倉、白羽の海岸にて射場が建設される予定であっ
たが、工事の途中で終戦を迎えることとなった。
射場とは、大砲などの発射突験を行う施設で、火薬の量を
調節し、どの位の距離を飛ぶかを観測した場所である。
試射地点の浜野には、重要施設も集中していたが、大砲は
戦争に使われることはなかった。
原点砲列から三千メートル地点までは、五百メートル毎に
それ以東は千メートル毎に、着弾地を確認する観的所を設け
た。七千メートルと一万メートルの地点には、望楼を設け着
弾距離を測定し、司令部に報告していた。
戦争の終わり頃、アメリカ軍の上陸以前に、大砲は千葉県の
房総に運ばれ、戦後は米軍が上陸し射場整理が行われた。
浜野ではこの施設を射場と呼ぶのに対して、それ以東では
トーチカ(観的所)と呼んでいる。施設の役割が異なっている
ためだった。
二度と戦争が起きないように、私達は残されたトーチカに
世界平和を願わずにはいられません。
外観。82年前のコンクリート建造物。
中にも入れるよ!
「おじゃまします」
※画像は合成。実際は、誰も居ない。
天井。爆撃を受けたのかな?
柱の跡かな?それとも大砲の基礎かなんかかな?
ここから望遠鏡をのぞいて
着弾点を観測していたのかも。
戦争遺跡として・・・・
二度と再利用されることがない様に。
と思いつつ見学完了。