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赤谷川の河童地蔵 [千葉からZ900RSと300km超]

猿ヶ京温泉のちょっとはずれ。

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雨の中到着。

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東京発電赤谷川 第三発電所近く。

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雨の中広場を歩いて行くと・・・・

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河童地蔵に到着。

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子河童もいるよ。

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スタンプ置き場。
河童ではなく、何故かドラゴン。

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赤谷川の河童地蔵の由来:
むかしむかし今の新治村の赤谷湖のあたりは猿ヶ京村
相俣村と四ぼれていました。西川と赤谷川が合流する
あたりには河童が住んでいて村の胡瓜畑が荒らされたり
馬を水浴びさせていると馬の足にとびついて馬を驚かせ
たりしていたので村の人々は「河童には困ったもんだ。
懲らしめのためひっ捕らえてくれべえ。」
と言って、毎日赤谷川の岸辺で胡瓜を釣り竿に付けて
村の誰か一人が交代で河童釣りをする事になりました。
ところが、頭のいい河童達はそんな事では捕まりません。
ある日、相俣村の小野屋のお婆さんが赤谷川で小豆を
洗っていたら、ざるに河童がひっ掛かってきました。
お婆は「お前が悪戯ばかりするから村の衆のところへ
連れて行くぞ」というと、河童が「どうか助けて下さい。
助けてくれれば何にでも効く膏薬のつくり方を教えます」
というので、河童を逃がしてやる事にしてお婆は河童に
草の根や葉の調合を教えてもらいました。それからと
いうもの村の衆はお婆の作る膏薬のお蔭でずいぶんと
助かったんだそうです。ところがお婆は河童との約束を
守って誰にも膏薬の作り方を教えなかったのでお婆が
死んでしまうと困ってしまいました。村が賑やかになって
来るにつれて河童は山の奥深く引っ越してしまったのか
姿を見る事がなくなり村の衆は河童を懐かしむように
なりました。そのうち河童の公約で命を救ってもらった
村人達は川のほとりに河童地蔵さまを祭り大好きな胡瓜
を上げて供養しました。不思議な事にそれからは河童地蔵
の頭のお皿に水をかけてお願いしながらその水を体の
悪い所にかけると自然となおってしまうそうです。
時を経て今でも村人は祭りの日になると胡瓜をもって
河童地蔵にお願しょかけに行く人はあとを絶たないそうです。

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過疎化が進んで人が居なくなったら
山奥から(クマと一緒に)河童が降りて
来るかも。と思いつつ見学完了。
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