美豆の小島 [千葉からZ900RSと600km超]
7月下旬、宮城に行った際に立ち寄った場所。
駐車場に到着。
美豆の小島:
美豆の小島は水の小島、みづの小島とも書き
10世紀初めに作られた古今和歌集や13世紀初め
の続古今和歌集にも出てくる歌枕の名所です。
松尾芭蕉が門人の河合曽良と共にここを通った
のは1689年7月1日、尿前の関に向かう途中の事
でした。それまで多くの歌に詠まれてきた美豆
の小島でしたが、その場所をここと特定したのは
この時の曽良の日記が初めてのものです。
曽良の日記によると、川中に岩の島あり、松が
三本、そのほか小木が生え、この時は江合川右岸
と川原続きになっていた様です。
さらに以前は中州であったとの書かれています。
美豆の小島は川の流れによってその形や場所を
少しづつ変えていましたが、1890年の洪水で、
荒廃してしまいました。現在の鳥居は大正時代に
建てられたものです。
をぐろ崎みつのこじまの人ならば
都のつとにいざといはましを
美豆の小島へ。
草の中を進んでいくと・・・・
美豆の小島。
確かに松が三本、他の小木が。
島に上陸。
鳥居の先には祠が。
この川は江合川かな?
あれっ、そう言えば芭蕉の句が無いぞ。
と思いつつ見学完了。
駐車場に到着。
美豆の小島:
美豆の小島は水の小島、みづの小島とも書き
10世紀初めに作られた古今和歌集や13世紀初め
の続古今和歌集にも出てくる歌枕の名所です。
松尾芭蕉が門人の河合曽良と共にここを通った
のは1689年7月1日、尿前の関に向かう途中の事
でした。それまで多くの歌に詠まれてきた美豆
の小島でしたが、その場所をここと特定したのは
この時の曽良の日記が初めてのものです。
曽良の日記によると、川中に岩の島あり、松が
三本、そのほか小木が生え、この時は江合川右岸
と川原続きになっていた様です。
さらに以前は中州であったとの書かれています。
美豆の小島は川の流れによってその形や場所を
少しづつ変えていましたが、1890年の洪水で、
荒廃してしまいました。現在の鳥居は大正時代に
建てられたものです。
をぐろ崎みつのこじまの人ならば
都のつとにいざといはましを
美豆の小島へ。
草の中を進んでいくと・・・・
美豆の小島。
確かに松が三本、他の小木が。
島に上陸。
鳥居の先には祠が。
この川は江合川かな?
あれっ、そう言えば芭蕉の句が無いぞ。
と思いつつ見学完了。