川倉地蔵尊 [Z900RSと1000km超]
9月中旬、青森に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
下車して、早速地蔵尊へ。
町指定文化財(史跡)
川倉賽の河原地蔵尊
昭和五十七年八月十日 指定
貴賤貧富を問わず、陸続と団子上げの参拝者
が足を運ぶところ、ここ川倉賽の河原。
慈覚大師の開創と伝えられる点、恐山と同様
であるが天空からお燈明が降り、掘ると一軀
の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始
まりともいう。星空の美しきに呼応する伝説
として残る。
境内は標高三十米の特殊な地形にあり、急峻
な坂道は、山麓古街道随一の離所であったに
違いない。慶長時代の手植えとおぼしい黒松
が面白く配置され、樹齢既に三百年を越す。
過酷な労働の田の草取りが終わるや、家族は
はじめて一息つき納涼にでる。老若男女が
ここに集まり、唄に踊りに一夜を明かす景観
は、まきに夏祭の濫觴というべきであった。
ちなみに、一年の中で最も暑くて暗い晩を奇
しくも祭典日(旧六月二十三日)とするとこ
ろに、民間信仰のメッカとして支えられ、
大衆から親しまれる秘訣が存するように思う。
特に有名な巫女(イタコ)の霊媒は、漆黒の
闇の中においてこそ効験が多いといわれよう。
ちょっと長いので要約。
川倉賽野川原地蔵尊:
ここ川倉の貴野川原は慈覚大師の開創と伝え
られる点は下北の恐山と同様であるが、天空
からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が
出土、これを安置したのがその始まりともいう。
文化、文政の頃から参詣人が増えたということ
から、およそ170年も前から民間信仰のメッカ
として支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より
24日まで)には多くの参拝者で賑わう。
特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)
の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。
慶長時代から植えられている黒松。
樹齢500年とのこと。
本堂へ。
ご本尊様。ストーブしか見えない・・・
至る所にお地蔵様。
お賽銭箱ここにあったのでご祈願。
「タイヤが1年間持ちますように!」
風車が!
お地蔵様と風車の欲張りセット。
秋らしくきのこも生えている〜。
ヒメコナカブリツルダケ。
なお、食べたらそのまま賽の河原へ直行っ。
漆黒のバイクなのでイタコの効験が多い
霊場でパンク除け祈願は効果高し。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
下車して、早速地蔵尊へ。
町指定文化財(史跡)
川倉賽の河原地蔵尊
昭和五十七年八月十日 指定
貴賤貧富を問わず、陸続と団子上げの参拝者
が足を運ぶところ、ここ川倉賽の河原。
慈覚大師の開創と伝えられる点、恐山と同様
であるが天空からお燈明が降り、掘ると一軀
の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始
まりともいう。星空の美しきに呼応する伝説
として残る。
境内は標高三十米の特殊な地形にあり、急峻
な坂道は、山麓古街道随一の離所であったに
違いない。慶長時代の手植えとおぼしい黒松
が面白く配置され、樹齢既に三百年を越す。
過酷な労働の田の草取りが終わるや、家族は
はじめて一息つき納涼にでる。老若男女が
ここに集まり、唄に踊りに一夜を明かす景観
は、まきに夏祭の濫觴というべきであった。
ちなみに、一年の中で最も暑くて暗い晩を奇
しくも祭典日(旧六月二十三日)とするとこ
ろに、民間信仰のメッカとして支えられ、
大衆から親しまれる秘訣が存するように思う。
特に有名な巫女(イタコ)の霊媒は、漆黒の
闇の中においてこそ効験が多いといわれよう。
ちょっと長いので要約。
川倉賽野川原地蔵尊:
ここ川倉の貴野川原は慈覚大師の開創と伝え
られる点は下北の恐山と同様であるが、天空
からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が
出土、これを安置したのがその始まりともいう。
文化、文政の頃から参詣人が増えたということ
から、およそ170年も前から民間信仰のメッカ
として支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より
24日まで)には多くの参拝者で賑わう。
特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)
の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。
慶長時代から植えられている黒松。
樹齢500年とのこと。
本堂へ。
ご本尊様。ストーブしか見えない・・・
至る所にお地蔵様。
お賽銭箱ここにあったのでご祈願。
「タイヤが1年間持ちますように!」
風車が!
お地蔵様と風車の欲張りセット。
秋らしくきのこも生えている〜。
ヒメコナカブリツルダケ。
なお、食べたらそのまま賽の河原へ直行っ。
漆黒のバイクなのでイタコの効験が多い
霊場でパンク除け祈願は効果高し。
と思いつつ見学完了。