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篠原古戦場 首洗池 [Z900RSと1000km超]

10月上旬、石川に行った際に立ち寄った所。

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手塚山公園の・・・・

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駐車場へ。

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篠原古戦場首洗池:
寿永2年(1183年)、倶利伽羅の戦いで木曽義仲(源義仲)
軍に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、篠原の地
(現在の加賀市篠原町付近)で陣を立て直し、義仲との
決戦を図りました。
しかし勢いづいた義仲軍を阻止することはできず、この
とき敗走する平家軍で、ただ一騎踏みとどまって戦った
のが斎藤別実盛でした。
実盛は木曽義仲幼少時代の命の恩人でしたが、これを秘し
73歳という老齢の身を侮られぬよう白髪を黒く染め、
名乗りもあげず戦いました。
しかし、奮戦むなしく手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的
な最期を遂げています。
討ち取った首を樋口次郎兼光がこの池で洗ってみると、
黒髪はたちまち白髪に変わりました。
それはまがいもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛
の首でした。
この物語は『源平盛衰記』などに記されており江戸時代
から人口に膾炙されていました。
ここ首洗池の周辺には、奮戦むなしく討ち取られた実盛
のなきがらを葬ったと伝えられている実盛塚(ここから
北西方向に1.4km、加賀市篠原町)や、実盛が髪を染め
る際に用いた鏡を安置したと伝えられる鏡の池
(ここから西方向に約6.0km、加賀市深田町)など、
実盛の伝説にまつわる場所があります。

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芭蕉の句が。

むざんやな甲の下のきりぎりす
斎藤別当実盛は、寿永2年(一一八三)、加賀の地
で木曽義仲軍に討ち取られました。実盛が着用した
甲冑を、木曽義仲が多太神社(小松市)に奉納した
と伝えられています。この句は元禄2年(一六八九)
芭蕉が『おくのほそ道』の行脚の途中に多太神社に
立ち寄り、実盛が使ったとされる兜によせて詠んだ
句です。

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これが首洗池。
そして、池の前には・・・・

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首を洗った後の様子が!

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斎藤実盛 源平武勇伝の2Dアニメが。
早速、スマホでQRコードを読み込む

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再生ボタンをタップ。

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ビカビカビカ・・・タイムスリップ。

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終了っ!
何も、再生されない・・・・・

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首洗後の像を見てみる。

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ヘルメットだけ源平の世界にタイムスリップ。

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公園の上の方へ登ってみる。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ。

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ここにもQRコードが!

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斎藤実盛もしくは手塚光盛が選択可能。

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斎藤実盛登場。

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首を洗った後はこっち。

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手塚光盛もダウンロード。

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昔の人も白髪な髪を黒く染めたい
ぐらい若造したかったのかな?
と思いつつ見学完了。

髪があるだけ贅沢っ。とも言われたり。
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