源義賢の墓 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]
5月中旬、埼玉に行った際に立ち寄った場所。
駐車場。
早速、向かい側にある源義賢の墓へ。
源義賢の墓、到着。
源義賢の墓:
義賢は、源為義の次子(長子は義朝)で、近衛天皇が
東宮の時に仕え、帯刀の長となったので、帯刀先生
と称され、その後東国に下り、上野国多胡館(群馬県
多野郡吉井町)を本拠地としたので、多胡先生とも称
される。
更にその後、この地(大蔵館)に移住、武蔵国や上野国
に勢力を振るったが、久壽二年(一一五五年八月十六日)
大蔵館で義朝の長子である甥の悪源太(源義平)と合戦
して討たれた。
なお、木曽義仲は、義賢の次子である。
源義賢の墓とつたえられるこの五輪塔は、数度の火災
にあったためか、やや赤く変色している。県内では、
最古の部類に属するものである。
大正十三年三月三十一日に県指定史跡に指定される。
源義賢公の墓と伝えられる五輪塔。
賽銭箱は無いけど多数のお供え物が。
もちろんご祈祷。
「追突されませんように!」
駐車場側にも関連史跡。
ん!
こ、こ・・・これは
ゼーレの会議体。
碇 ゲンドウな気分に。
さらに、政治家の揮毫。
埼玉ゆかりの政治家は、実は源氏の血筋
だったのかも。と思いつつ見学完了。
駐車場。
早速、向かい側にある源義賢の墓へ。
源義賢の墓、到着。
源義賢の墓:
義賢は、源為義の次子(長子は義朝)で、近衛天皇が
東宮の時に仕え、帯刀の長となったので、帯刀先生
と称され、その後東国に下り、上野国多胡館(群馬県
多野郡吉井町)を本拠地としたので、多胡先生とも称
される。
更にその後、この地(大蔵館)に移住、武蔵国や上野国
に勢力を振るったが、久壽二年(一一五五年八月十六日)
大蔵館で義朝の長子である甥の悪源太(源義平)と合戦
して討たれた。
なお、木曽義仲は、義賢の次子である。
源義賢の墓とつたえられるこの五輪塔は、数度の火災
にあったためか、やや赤く変色している。県内では、
最古の部類に属するものである。
大正十三年三月三十一日に県指定史跡に指定される。
源義賢公の墓と伝えられる五輪塔。
賽銭箱は無いけど多数のお供え物が。
もちろんご祈祷。
「追突されませんように!」
駐車場側にも関連史跡。
ん!
こ、こ・・・これは
ゼーレの会議体。
碇 ゲンドウな気分に。
さらに、政治家の揮毫。
埼玉ゆかりの政治家は、実は源氏の血筋
だったのかも。と思いつつ見学完了。