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実方中将の墓 [千葉からZ900RSと600km超]

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり はせを

10月上旬、宮城に行った際に立ち寄った場所。

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駐車場付き。

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実方橋を渡ってお墓へ。

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藤原実方朝臣について。
◆美貌と風流とを兼ね備えた貴公子◆
ちっ、くそっ。リア充め。

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ん!?なんだこれ。

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元禄二年(一六八九年)漂泊の俳人松尾芭蕉は
門人曽良とともにみちのくへ旅し悲運の歌人
藤原実方朝臣の塚を訪ねようと名取の群に入
る。折り悪しく日没と五月雨の悪路に阻まれ
目的を果たせぬままこの地に無念の一句を残
し通り過ぎる。

笠島はいづこさ月のぬかり道 はせを



意訳すると

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あと一時間、出発が早ければ
余裕で着いたのに・・・・

(この日(10/1)の出発時間)

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ちなみに、こんなのもあったり。

朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて
枯野のすすき形見にぞみる

西行法師が歌った"かたみのすすき"との事。


歩るくこと1-2分。

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百代の過客、松尾芭蕉でも辿り着けなかった
実方中将の墓に到着っ!

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藤原実方朝臣(実方中将)の墓:
藤原実方朝臣は中古三十六歌仙の一人で一条天皇につかえ
左近衛中将であったが、藤原行成卿との争いがもとで長徳
元年(九九五)陸奥守に左遷され、はるばるとみちのくに下
った。長徳四年(九九八)冬、笠島道祖神社の前を乗り打ち
して奇禍にあい、そればもとで、この地に薨り、その命日
は、里人によって「国司祭」とよばれたという。
実方は、能因、西行にさきがけて、いわばみちのく歌枕散
歩に先鞭をつけた人というべきであろう。星移り年変って
西行がみちのくを訪れた時、野の中に立つ由緒ありげな塚
をみて、これが実方の墓と知った彼は、折から霜枯れのす
すきに心をよせ「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて
枯野のすすき形見にぞみる」の一首を残した。実方、西行
にゆかりのあるこの地は芭蕉の詩情と遊心とをかき立てる
憧憬の地であったにちがいなかったと思われる。しかし、
芭蕉は遂にその願いを断念せざるを得なかった。
「笠島はいづこさ月のぬかり道」の一句は彼の万斛の思い
をこめた絶唱である。芭蕉の門人天野桃隣は先師の心をく
んでか元禄九年(一六九六)はるばるとこの地に杖をひいた
が、実方の墓はさらに風雪にあって様子をかえ「五輪(塔)
折崩でなのみばかり」であったと、その荒廃ぶりを紀行文
「陸奥鵆」に書きとどめた。
今はその五輪塔さえ失われ、わずかに墳丘をとどめるばか
りで、墓の畔りには、西行の歌を刻んだ標石のほか、実方
朝臣の「桜狩り」の歌碑があり、また西行の歌にゆかりの
ある一叢の薄の中に松洞馬年の句碑がある。

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ん!?これか?

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中将實方朝臣之墳と書いて有るので本物。

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芭蕉先生の代理でお参り
「タイヤがパンクしませんように!」

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笠島へ ぬかり道でも パンクぜず。
と一句詠みつつ見学完了。
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