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鬼死骸八幡神社 [Z900RSと600km超]

7月中旬、岩手に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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早速、境内へ。

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鬼死骸八幡神社:
康平5年(1062年)源頼義が勘請した。鬼の神社
(真柴に鎮座、東北歴史博物館)社脇に、馬櫪神
金毘羅大権現の石碑があり、蒲沢地内の中程の
平地にある。

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鳥居がリンボーダンスができる
くらい低いっ。

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本殿に到着。

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狛鬼じゃなく狛犬。

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ちょっと薄暗い本殿。

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中から鬼が・・・ではなく見えないっ。
でも、御祈願
「タイヤが一年間持ちますように!」

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タイヤに鬼が宿ったかも・・・
と思いつつ見学完了。
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供中口古戦場 [Z900RSと300km超]

6月中旬、福島に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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下に降りると・・・・

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千人供養碑が。

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千人供養碑:
この碑は、安政四年(一、八五七)十月、当山十八世日弘
上人が十万石領下の名主、篤志家、工事の棟梁等、その
協力奉仕により、水死、処刑、飢餓倒死の諸精霊を合祀
し施餓鬼供養を執行
、題目二百万遍を書籍奉納し、併せ
天下泰平、国家安全、広宣流布を祈願したものであります。
当時、奥州第一の供養塔と称され、世人の耳目を驚嘆さ
せたと伝えられております。
此処に、謹んで開祖日什上人六百御遠忌報恩供養として
結縁の大衆と共に皆共成佛道を祈念するものであります。

日蓮聖人のお言葉:
利根にてもあれ、鈍根にてもあれ、持戒にてもあれ、
破戒にてもあれ、貴くもあれ、賎しくもあれ、
一切の菩薩、凡夫、二乗は法華経にて成佛すべし。

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続いて、供中口古戦場へ。

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供中口古戦場:
ここは、戊辰戦役の供中口古戦場であり、又、二本松藩の
農兵司令士三浦権太夫義彰戦士の地である。
義彰は戊辰戦役に老兵、農兵されに少年隊の一部を率いて
阿武隈川をはさんで対陣したが、もとより王政復古を念じ
る義彰は、弓矢の鏃を取り捨て狩衣姿で出陣した。
西軍ではこの矢を見て、東軍にも「勤王の士」がいること
がわかった。勝敗の帰結は早かった。義彰は味方の農兵達
を退去させ、「あす散るも色は変わらじ山桜」と辞世の一
句を残して、独り壮烈な自刃をとげたのである。
霊は安達ヶ原観世寺に眠り、のち大正八年五月十七日
正五位を贈られている。

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三浦権太夫義彰の墓っ。

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念仏の石碑が・・・・・
南無阿弥陀仏。

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南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏が同じ地で共存。
と思いつつ見学完了。
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つぶて石 [Z900RSと300km超]

5月下旬、山形に行った際に立ち寄った所。

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石の説明石碑の前に駐車っ。

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つぶて石の物語
はるか長い間に渡って人から人へと語り継がれてきた。
人々は心の奥深くに染み込ませ遠くへの夢を見てこの
地への想いを深く刻んできた。

つぶて石
それは鎌倉時代初期の物語だ。勇壮無比の坂東武者
朝比奈三郎義秀が、朝日岳の頂上から左手で投げた
石が、山々を軽々と越えてこの河原に落ちた。大きい
手形はその時のものだという。余りにも飛ばないので
右手で投げたら白鷹山を越えて山形市の礫石まで飛ん
だという。

物語のつぶて石と大河最上川
それははるかなる古からこの地の人々の暮らしの原
風景だ。子供たちはつべて石と川の大自然に丸裸で
入り込み、はるかを望見し創造し忘却することのな
い生きて来し姿をつぶて石に重ねて見続けて来た。
そのつぶて石は、人々の情念を道連れに忽然とその
姿を水中深くに没してしまった。浪漫に満ちた故郷
が良いにきまっている。物語のつぶて石が蘇りつぶて
石と最上川で戯れる子供らは、きっと心優しく大きい
夢を描き、この地に限りない愛着を抱いた人になる
だろう。
この想いを抱いた大勢の人々が行動を起し、水中深く
没したつぶて石を元の佇まいに蘇らせたのだ。黙して
語らぬつぶて石は、人々に何を語りかけているのだ
ろうか。

若干ポエムっぽいかな?

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掠れているけど周辺には色々な観光資源が。

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大河、最上川を見ながらちょっと歩くと・・・・

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つぶて石。

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さらに近づいてみる。

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でかーい。すごい迫力。

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手形っぽいものが!
坂東武者 朝比奈三郎義秀のもの。

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朝日岳から左手で投げたら最上川で
右手で投げたら山形市。
右投げ、左投げの二刀流もできそう。
と思いつつ見学完了。
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恐竜街道 [Z900RSと1000km超]

5月上旬、山口に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所へ。

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恐竜の壁画っ。

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恐竜街道にかかる橋はさいせいたんばし。
橋の絵は恐竜じゃなく"毘沙門の鼻"。

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スマホ台にベンチもあるけど
ここの前で停まったのは自分だけ・・・・

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吉母海岸産出 恐竜足跡化石:
平成5年(1993年)吉母海岸で恐竜の足跡化石が発見されました。
当時、これまでに国内で見つかった恐竜の骨・歯・足跡などの
化石は、中世代白亜紀のものでしたが、中世代ジュラ紀の地層
から発見されたことから【国内最古の恐竜足跡化石」として
話題になりました。

ん!?あれっ。新生代にチバニアン(超重要)がないぞ?

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恐竜の壁画の前には、地元の方の
作品っぽい恐竜絵画が。

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ご当地イグアノドンの絵がない・・・・・・・

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・・・・と思ったらあったー。

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こんな感じでこの辺りの恐竜達も
滅んでいったのかも。
と思いつつ見学完了。
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天下の号外屋翁の墓 [Z900RSと1000km超]

8月中旬、北海道に行った際に立ち寄った所。

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函館山の墓地のところ。

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ひときわ赤いお墓が。

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天下の号外屋翁の墓:
信濃助治は、明治27年(1894年)6月、衣類・コート・帽子
・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。
同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民
にまいて"天下の号外屋" と称して売り出し、「赤服」と呼
ばれていた。
「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして
すべて赤色を用いたことである。日清戦争終結後は、戦勝
記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人
だったので、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されて
いる。

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前から横からとても真っ赤なお墓。

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まさに函館の赤い彗星。

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「天下の号外屋」でも真っ赤な嘘があったのかも。
と思いつつ見学完了。
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