ひまわり広場(津南町) [千葉からZ900RSと300km超]
アスファルト・スポット [千葉からZ900RSと300km超]
涼しさを求め新潟の高い所へ [ルート記録、小ネタ]
でも、関東より新潟の方が暑かった・・・
今回のルート。
燃費も良かったけど、新潟
行ったのに帰宅はこの時間。
早いと楽~。
そして・・・・
パーフェクト下道。
=====夏だ!ロックだ!=====
深夜の苗場。
苗場と言えば、夏3大音楽フェスの一つ
FUJI ROCK。
先週終わったけど。
残り2つの「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」
の開催はいづれも千葉市。
FUJI ROCK終わった後の朝焼けは
こんな感じだったんだろうな。
=====夏の花=====
とっても、花満開な大沢山トンネル。
クレオメ(西洋風蝶草とも)。
蝶が飛び回っていそうだけど
実際は(多分)虻。
=====苗場山麓ジオパーク=====
長野と新潟に跨っている~。
とってもたかーい。
もう少し空が青かったら最高だったかも・・・
=====新三国トンネル=====
今年3月に開通した新トンネル。
昨年まで利用していた旧トンネルは通行止め。
いずれ埋められるのかな・・・
今回のルート。
燃費も良かったけど、新潟
行ったのに帰宅はこの時間。
早いと楽~。
そして・・・・
パーフェクト下道。
=====夏だ!ロックだ!=====
深夜の苗場。
苗場と言えば、夏3大音楽フェスの一つ
FUJI ROCK。
先週終わったけど。
残り2つの「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」
の開催はいづれも千葉市。
FUJI ROCK終わった後の朝焼けは
こんな感じだったんだろうな。
=====夏の花=====
とっても、花満開な大沢山トンネル。
クレオメ(西洋風蝶草とも)。
蝶が飛び回っていそうだけど
実際は(多分)虻。
=====苗場山麓ジオパーク=====
長野と新潟に跨っている~。
とってもたかーい。
もう少し空が青かったら最高だったかも・・・
=====新三国トンネル=====
今年3月に開通した新トンネル。
昨年まで利用していた旧トンネルは通行止め。
いずれ埋められるのかな・・・
日輪神社 [千葉からZ900RSと600km超]
6月下旬、岐阜に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ。
早速、階段を登って行く・・・・・・・
はぁ、はぁ、はぁ、到着。
日輪神社:
当社は創立年代は不祥であるが山そのものが
御神体として崇敬が厚く第百二代後花園天皇
の永享年間(西暦一四二九~一四四〇)小八賀
郷の領主斯波氏が再興し、社嶺を奉献した。
中古以来「日輪」を称し、寛永元年再建し、
宝暦四年には現本殿を再営した。
明治四十年には区内の稲荷・天満・荒神の
三社を合祀した。
確かに、本殿の登る途中、こんな景色を
目の当たりにしたら山そのものを御神体
として崇めたくなるかも。
本殿。
有形文化財。
なんとご自由に中に入れるっ!
ご本尊様に御祈願。
「追突されませんように!」
山を下り見学完了。
日輪な名前なだけに、途中、この
岩が2つに割れていたら炭治郎な
聖地となっていたかも・・・・・
停められそうな場所へ。
早速、階段を登って行く・・・・・・・
はぁ、はぁ、はぁ、到着。
日輪神社:
当社は創立年代は不祥であるが山そのものが
御神体として崇敬が厚く第百二代後花園天皇
の永享年間(西暦一四二九~一四四〇)小八賀
郷の領主斯波氏が再興し、社嶺を奉献した。
中古以来「日輪」を称し、寛永元年再建し、
宝暦四年には現本殿を再営した。
明治四十年には区内の稲荷・天満・荒神の
三社を合祀した。
確かに、本殿の登る途中、こんな景色を
目の当たりにしたら山そのものを御神体
として崇めたくなるかも。
本殿。
有形文化財。
なんとご自由に中に入れるっ!
ご本尊様に御祈願。
「追突されませんように!」
山を下り見学完了。
日輪な名前なだけに、途中、この
岩が2つに割れていたら炭治郎な
聖地となっていたかも・・・・・
宗本寺 [千葉からZ900RSと300km超]
5月下旬、群馬に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ。
早速、階段を登って行く
お寺さんだけど鳥居っぽいのを抜けて行く。
さらに、階段・坂道・・・・・・・
はぁはぁはぁはぁはぁはぁ。
宗本寺到着。
近くに駐車場あったー。
浄土宗 揚水山 舞台院 宗本寺。
この国宝の持ち主。
無病息災 宗本寺。
過去と相手は変えられないが
未来と自分は変えられる。
うーむ、深い。
本堂の方へ。
宗本寺本堂の欄間:
当寺は、浄土宗芝増上寺の末寺で、創建は応元(一三九四)年
とされています。棟札から現在の本堂は、当寺十八世高誉の
代に当たる寛延三(一七五〇)年に建てられたことがわかります。
大工棟梁は群馬郡和田山村(現箕郷町和田山)の松本吉右衛門です。
欄間彫刻の裏側には、当寺十九世哲誉と二十世性誉の代に当たる
享和元(一八〇一)年と文化四(一八〇七)年・天保十三(一八四二)年
の銘が見られます。これによって、この欄間彫刻は後からはめ
込んだもので、製作年代が違うことがわかります。また、これ
らの銘には彫刻師として、花輪村(勢多郡東村花輪)の高瀬忠七、
米野(富士見村米野)の萩原平蔵・定運と書かれています。
本堂の欄間に彫刻をはめ込むのは、近世寺院本堂建築の特色で
あり、時代につれて、欄間彫刻の数が増し、彫刻は平面的で質
素なものから、立体的で豪華なものへと変化します。
この欄間には先祖供養のために寄進した人の名が記されており
完成までに四十一年もかかりました。彫刻の題材は、本尊を守
る動物や平和を表す花や子どもの遊びで、中国の物語やことわ
ざを表した人物(唐子・天女)、想像の動物(唐獅子・飛龍・鳳凰)
実在する象・犀・馬・鶴・鶏・牡丹の花などです。
文化財の欄間。すげー。
こちらも群馬県指定文化財、宝篋印塔。
宝篋印塔は仏塔の一種で、インドのアショカ王が仏舎利を
分けて八万四千の塔をたてた故事にならったものといわれ
宝篋印陀羅尼経を納めたものである。この塔は、匂欄付き
異型で吾妻川沿岸にしか見られない珍しいものである。
一基は康永三年(一三四四)卯月上旬銘があり六十九文字が
刻まれている。他の一基は康永二二年(四年と同じ)卯月十
九日の銘がある。銘文から河戸村の内、山田の住人四郎
二郎入道という者が父母の追蕃供養ため建てたもので、
南北朝時代にはこのあたりまで河戸村であったことが
わかる貴重なものである。
過去は変えられないけど、相手はまだ
募集中っ!と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
早速、階段を登って行く
お寺さんだけど鳥居っぽいのを抜けて行く。
さらに、階段・坂道・・・・・・・
はぁはぁはぁはぁはぁはぁ。
宗本寺到着。
近くに駐車場あったー。
浄土宗 揚水山 舞台院 宗本寺。
この国宝の持ち主。
無病息災 宗本寺。
過去と相手は変えられないが
未来と自分は変えられる。
うーむ、深い。
本堂の方へ。
宗本寺本堂の欄間:
当寺は、浄土宗芝増上寺の末寺で、創建は応元(一三九四)年
とされています。棟札から現在の本堂は、当寺十八世高誉の
代に当たる寛延三(一七五〇)年に建てられたことがわかります。
大工棟梁は群馬郡和田山村(現箕郷町和田山)の松本吉右衛門です。
欄間彫刻の裏側には、当寺十九世哲誉と二十世性誉の代に当たる
享和元(一八〇一)年と文化四(一八〇七)年・天保十三(一八四二)年
の銘が見られます。これによって、この欄間彫刻は後からはめ
込んだもので、製作年代が違うことがわかります。また、これ
らの銘には彫刻師として、花輪村(勢多郡東村花輪)の高瀬忠七、
米野(富士見村米野)の萩原平蔵・定運と書かれています。
本堂の欄間に彫刻をはめ込むのは、近世寺院本堂建築の特色で
あり、時代につれて、欄間彫刻の数が増し、彫刻は平面的で質
素なものから、立体的で豪華なものへと変化します。
この欄間には先祖供養のために寄進した人の名が記されており
完成までに四十一年もかかりました。彫刻の題材は、本尊を守
る動物や平和を表す花や子どもの遊びで、中国の物語やことわ
ざを表した人物(唐子・天女)、想像の動物(唐獅子・飛龍・鳳凰)
実在する象・犀・馬・鶴・鶏・牡丹の花などです。
文化財の欄間。すげー。
こちらも群馬県指定文化財、宝篋印塔。
宝篋印塔は仏塔の一種で、インドのアショカ王が仏舎利を
分けて八万四千の塔をたてた故事にならったものといわれ
宝篋印陀羅尼経を納めたものである。この塔は、匂欄付き
異型で吾妻川沿岸にしか見られない珍しいものである。
一基は康永三年(一三四四)卯月上旬銘があり六十九文字が
刻まれている。他の一基は康永二二年(四年と同じ)卯月十
九日の銘がある。銘文から河戸村の内、山田の住人四郎
二郎入道という者が父母の追蕃供養ため建てたもので、
南北朝時代にはこのあたりまで河戸村であったことが
わかる貴重なものである。
過去は変えられないけど、相手はまだ
募集中っ!と思いつつ見学完了。
中郷流宮岩 [千葉からZ900RSと600km超]
采女神社 [千葉からZ900RSと300km超]
6月中旬、福島に行った際に立ち寄った場所。
駐車場へ。
郡山市の山ノ井公園にある神社。
安積采女(春姫)の由来:
およそ千三百年前、陸奥安積の郷(里)は、数年に及ぶ旱天凶作が
続き年貢を滞納しておりました。奈良の都から、按察使として
葛城王(後の左大臣 橘諸兄)がこの地に派遣され村里の状況を視察
中、里人達は窮状を訴え、王を歓待する宴を盛大に催し、懸命に
もてなしましたが、王の機嫌は悪くなるばかりでした。そこで国
司は一計を案じ里の眉目麗しい"春姫"を召し出しました。春姫は
満座の中、里人を救おうと王の前に進み出て盃に清水を注ぎ
「安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心を 我が思わなくに」(万葉集)
と詠み王に捧げました。和歌にすぐれた王は、「都の花を今 雛に
見る」とことのほか喜ばれ怒りも解け、春姫を帝の采女として召し
出す事を条件に、さらに三年間の年貢を免除することを約束しま
した。里人達は王に感謝し、笹原川まで見送りました。春姫には、
次郎という夫がおりましたが、村里の窮状を救うためとやむなく
別れ都に上がりました。帝の寵愛を受けていた春姫でしたが、次郎
や里人への思いが募るばかりでした。猿沢の池の畔で月見の宴が
開かれた中秋の名月の夜、宴席を離れ柳の木に衣を掛け、池に身を
投げたように見せかけて、一路安積の郷をめざしました。身も心も
疲れ果てようやくの思いで村里へたどり着いた春姫は、次郎の死を
知り悲観にくれ、里人達の温情もかなわず、"山の井清水"の端の桜
の枝に、衣を掛けて清水に身を沈めこの世を去ったと言う。里人達
は、これを悲しみ地形山に葬り供養したと伝えられています。
やがて春が訪れ清水の辺り一面に薄紫の可憐な花"ハナカツミ"が咲
き乱れました。二人の永遠の愛が清水で結ばれ、この花になったと
言われています。
こちらが春姫の御本尊かな?
「追突されませんように!」
と御祈願後、山の方を見ると・・・・
階段が!登ってみる。
おっ、なんかあるぞ~。
采女神社。
こっちが本物かー。
郵便口から覗いてみる・・・・・
春姫様ご本尊。御祈願を
「追突されませんように!」
今さらジロー、好きだとジロー
実は采女さんは小柳ルミ子?
と思いつつ見学完了。
うーむ、昭和ネタ。
駐車場へ。
郡山市の山ノ井公園にある神社。
安積采女(春姫)の由来:
およそ千三百年前、陸奥安積の郷(里)は、数年に及ぶ旱天凶作が
続き年貢を滞納しておりました。奈良の都から、按察使として
葛城王(後の左大臣 橘諸兄)がこの地に派遣され村里の状況を視察
中、里人達は窮状を訴え、王を歓待する宴を盛大に催し、懸命に
もてなしましたが、王の機嫌は悪くなるばかりでした。そこで国
司は一計を案じ里の眉目麗しい"春姫"を召し出しました。春姫は
満座の中、里人を救おうと王の前に進み出て盃に清水を注ぎ
「安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心を 我が思わなくに」(万葉集)
と詠み王に捧げました。和歌にすぐれた王は、「都の花を今 雛に
見る」とことのほか喜ばれ怒りも解け、春姫を帝の采女として召し
出す事を条件に、さらに三年間の年貢を免除することを約束しま
した。里人達は王に感謝し、笹原川まで見送りました。春姫には、
次郎という夫がおりましたが、村里の窮状を救うためとやむなく
別れ都に上がりました。帝の寵愛を受けていた春姫でしたが、次郎
や里人への思いが募るばかりでした。猿沢の池の畔で月見の宴が
開かれた中秋の名月の夜、宴席を離れ柳の木に衣を掛け、池に身を
投げたように見せかけて、一路安積の郷をめざしました。身も心も
疲れ果てようやくの思いで村里へたどり着いた春姫は、次郎の死を
知り悲観にくれ、里人達の温情もかなわず、"山の井清水"の端の桜
の枝に、衣を掛けて清水に身を沈めこの世を去ったと言う。里人達
は、これを悲しみ地形山に葬り供養したと伝えられています。
やがて春が訪れ清水の辺り一面に薄紫の可憐な花"ハナカツミ"が咲
き乱れました。二人の永遠の愛が清水で結ばれ、この花になったと
言われています。
こちらが春姫の御本尊かな?
「追突されませんように!」
と御祈願後、山の方を見ると・・・・
階段が!登ってみる。
おっ、なんかあるぞ~。
采女神社。
こっちが本物かー。
郵便口から覗いてみる・・・・・
春姫様ご本尊。御祈願を
「追突されませんように!」
今さらジロー、好きだとジロー
実は采女さんは小柳ルミ子?
と思いつつ見学完了。
うーむ、昭和ネタ。