常夜灯 [BounceTECH]
5/9 行徳富士を見に帰った際に立ち寄った場所。
BounceTECHで到着。
旧江戸川沿い。
昔、行徳河岸があったと言う。
行徳河岸:
貨物専用の河岸。元禄三年(1690)にこの辺りに移設。
銚子などからの魚、スイカ、ウリ、前栽、大根、薪
塩、米その他の産物が馬で運ばれてきて積みだされ
ていました。
昭和の初めは葛西より下肥が運ばれてきて小型の
肥し舟に移して内匠堀に入り水田に運ばれました。
常夜灯に到着。
文化九年三月建立。
市川市指定有形文化財 常夜灯:
この常夜灯は文化九年(1812)、江戸日本橋の成田講中
が航路安全を祈願して建てたと推察されます。
江戸時代、成田山新勝寺には江戸から多くの人々が
参詣しました。行徳は江戸から成田にかけて重要な
中継地点でした。
この地から江戸に向けて船が行き交っていました。
一般に、この船は行徳船と呼ばれ、新川・小名木川
を経由し、日本橋小網町まで就航していました。
常夜灯をあとに・・・・
5/9 当時はこんな時期だったので
川の向こう側が汚染地域に
見えてしまったり・・・
そして今週から川の向こうに出勤。
まぁ正直、狭い日本、県単位でコロナ自粛しても
あまり意味ないのではとも思ってしまったり。
BounceTECHで到着。
旧江戸川沿い。
昔、行徳河岸があったと言う。
行徳河岸:
貨物専用の河岸。元禄三年(1690)にこの辺りに移設。
銚子などからの魚、スイカ、ウリ、前栽、大根、薪
塩、米その他の産物が馬で運ばれてきて積みだされ
ていました。
昭和の初めは葛西より下肥が運ばれてきて小型の
肥し舟に移して内匠堀に入り水田に運ばれました。
常夜灯に到着。
文化九年三月建立。
市川市指定有形文化財 常夜灯:
この常夜灯は文化九年(1812)、江戸日本橋の成田講中
が航路安全を祈願して建てたと推察されます。
江戸時代、成田山新勝寺には江戸から多くの人々が
参詣しました。行徳は江戸から成田にかけて重要な
中継地点でした。
この地から江戸に向けて船が行き交っていました。
一般に、この船は行徳船と呼ばれ、新川・小名木川
を経由し、日本橋小網町まで就航していました。
常夜灯をあとに・・・・
5/9 当時はこんな時期だったので
川の向こう側が汚染地域に
見えてしまったり・・・
そして今週から川の向こうに出勤。
まぁ正直、狭い日本、県単位でコロナ自粛しても
あまり意味ないのではとも思ってしまったり。