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梶取崎 [千葉からZ900RSと1000km超]

11月上旬、和歌山に行った際に立ち寄った場所。
落合博満野球記念館の近く。

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駐車場へ。

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早速、歩いて梶取崎の方へ。

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ん!?これは?

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くじら供養碑。

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わが町の先人あちは古くから捕鯨業を営み更にこれを継承して
今日に至っている。為に町は栄わが国捕鯨発祥の地として観光
的にも広くその名を博している。
鯨はまた国民生活をも支え国家の発展にも貢献している。その
恩恵は誠に大きい。ここにくじらの供養碑を建立して鯨魂の永
く鎮りますことを祈るものである。
建設にあたり町出身の捕鯨
関係者有志のご協力に深く感謝し鯨と共に生きる太地町の発展
を切に祈念するものである。

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鯨は生の方が良いな・・・・

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供養碑の台座は船。しゃれてる~。
更に進むと

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夫婦いぶき(イブキビャクシン):
木の幹周りが、一本は3.3メートル、もう一本も3.2メートル
である。とても古い木なので、江戸自体に海を見張っていた
遠見番所の人が植えたものかもしれない。今も熊野灘の強い
潮風に負けず生き続けるこの夫婦いぶきは、梶取崎の象徴と
して大切にされている。

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チッ!。カップルか。

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ベンチも2つありやがる・・・・・

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続いて梶取埼灯台。

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梶取埼(かんとりさき)灯台:
梶取埼は、昔、沖の船がこの岬が見えると梶を取って転針した
ことから名付けられたといわれています。
この岬の北端に小さく突き出た灯明崎には、寛永13年にあんど
ん式の灯明台が紀州藩によって設置され、我国捕鯨産業の発祥
の地大地村を基地とする捕鯨船に取って欠かせない存在であっ
たといわれています。
熊野灘の豪快な男性的な海岸美を一望するこの梶取埼に、沿岸
標識としての重責を担って近代的洋式灯台が建設あれたのは明
治32年11月でした。

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今でも現役っ。

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灯台からさらに先に進んで・・・・

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木をくぐると

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梶取崎の最先端に到着っ!

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男性的な海岸美を見て、駐車場へ。

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男性的な熊野灘には漢一人が良く似合うっ!
と思いつつ見学完了。
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middrinn

「かじ」と読むんじゃないんだ( ̄◇ ̄;)
「あち」という先人がいたのかと(^_^;)
他にも誤植散見オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2022-12-24 19:14) 

HIRO

こんにちは。
 >寛永13年にあんどん式の灯明台が紀州藩によって設置
ろくろっ首が油を舐めるアレでしょうか?
by HIRO (2022-12-24 20:07) 

tai-yama

>middrinnさん
コメントありがとうございます。
「かんとり」では梶取の字は出てこないと言う(笑)。

>HIROさん
コメントありがとうございます。
形があんどん式であって、油は魚油ではないのかも。
by tai-yama (2022-12-25 22:44) 

yamatonosuke

くじら供養碑はまるで生きているみたい(≧◇≦)
いつか熊野灘を通り紀伊半島を巡りたい(漢一人)
by yamatonosuke (2022-12-26 01:09) 

tai-yama

>yamatonosukeさん
コメントありがとうございます。
紀伊半島一周とか良さそうですね。奈良からだったら、レンタル
バイクでも行き易そうですし・・・・
太地町に行ったら是非くじらとイルカを(笑)。
by tai-yama (2022-12-26 23:23) 

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