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木曽の桟 [千葉からZ900RSと600km超]

長野県史跡。

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駐車場に到着。

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明治天皇の聖蹟が。
明治天皇も、私と同じ様にここで立ち止まったのかも。

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かけはしやあぶない処に山つつじ 子規
桟や水にとどかず五月雨 子規

むかしたれ雲のゆききのあとつけて
わたしそめけん木曽のかけはし 子規

また、正岡子規に出会った(前回はこちら)。

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木曽桟跡:
桟は、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので
木曽桟は歌枕にもなっていると共に、県歌「信濃の国」に歌
いこまれており、寝覚の床とともに木曽路の旅情をあたため
たことでその名が高い。
昔はかわしい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた
桟であったが、正保四年(一六四七)にこれが通行人の松明で
焼失した。


最近、空気が乾燥しているので火の用心。

そこで尾張藩は翌慶安元年(一六四八)に長さ五十六間(一〇二
メートル)中央に八間(一四・五メートル)の木橋をかけた石積
みを完成した。このことが、今も大岩壁と石垣に銘記されて
いる。寛保元年(一七四一)の大改修と、明治十三年(一八八〇)
の改修と、二度にわたる改修で、木橋下の空間はすべて石積
となり、残されていた木橋も、明治四十四年(一九一一)には、
国鉄中央線工事のため取り除かれてしまった。現在、石垣積
みの部分は、国道一九号線の下になっているが、ほぼその全
ぼうが完全な姿で残されていることが判る。
この史跡は、慶安年間に築造された石垣を根幹とし、その後
いく度か改修されて遺構をほぼ完全な姿で留め、往時の木曽
路の桟を偲ばせる貴重なものである。

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駐車場近くにあるこの橋も"かけはし"
だけど、これではないっ!

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木曽の桟展望場所へ。

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到着っ!

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木曽の桟イメージ図。

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こちらが木曽の桟。

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お城の様な石垣。

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さらに上には明治四十三年製のトンネル。
すげー。こっちも近くで見たいっ!

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人は城、人は石垣、人は堀、人は桟。
と武田信玄の言葉を思い浮かべながら
見学完了。
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コメント 5

middrinn

和歌の「木曾のかけはし」はこーゆー字を書くんだ( ̄◇ ̄;)
石垣も凄い(^^) 女性との間に「桟」があればいいね(^_^;)
by middrinn (2022-10-26 16:13) 

HIRO

こんにちは。
 >武田信玄
偉大すぎる親父が亡くなると、織田勢に負けて四分五裂の上に裏切りで...
by HIRO (2022-10-26 20:52) 

tai-yama

>middrinnさん
コメントありがとうございます。
私と女性との間にある桟は不審火により焼失(泣)。

>HIROさん
コメントありがとうございます。
信玄は後継者指導をさぼったと言う面もあったり。
by tai-yama (2022-10-26 23:50) 

yamatonosuke

たしかにこれは明治遺産ですね☆
紅葉の時期もいい感じになりそう(^^♪
by yamatonosuke (2022-10-27 01:10) 

tai-yama

>yamatonosukeさん
コメントありがとうございます。
桟の上のトンネルも観光資源になりそうなのに・・・
紅葉に埋め尽くされるトンネルと桟はキレイかも。
by tai-yama (2022-10-27 22:42) 

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