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宮谷懸廳碑 [千葉からZ900RSとちょっとその辺]

1月上旬、千葉に行った際に立ち寄った所。

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本国寺の駐車場へ。

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イノシシに注意しながら県庁碑へ。

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宮谷懸廳碑。

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明治~昭和初期の碑に良く記載されている
漢文カナカナ文字説明文。
これ非常に読みにくい・・・・

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今風の説明碑が。

宮谷県庁跡
明治2年(1869)、新政府により、本国寺を県庁とする宮谷県
が設置されました。宮谷県の範囲は、安房、上総をはじめ
常陸の一部も含んでいました。
明治4年、安房と上総の全域
が木更津県として統合され、宮谷県は廃止されました。
明治6年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に
近い千葉県が誕生しました。

「ちばらき」(千葉+茨城)と言われることが
あるけど、このことだったのかー。

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県庁のあった本国寺へ。

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春のはじめの御悦びは月のみつるがごとく
なんか縁起の良さそうなお言葉。

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本国寺にある指定文化財。

木造日蓮上人座像:
本像は、本國寺に伝わった裸形着装形式の日蓮聖人像
である。折雨の霊験あらたかなので「雨乞いのお祖師
さま」
と呼ばれていた。
平成修理の際に、像内から墨書銘が発見され、天文十五年
(一五四六)四月八日に造立され、「大檀那酒井小太郎」
「大願主板倉右衛門尉」ほか多くの酒井氏一族の名が
記されている。
本堂に向かって左側に、文政四年(一八二一)と昭和八年
(一九三三)の雨乞いの報恩碑が立っている。前者は結願
の日に大雨が降ったこと。後者は昭和八年の大干魃の時
の雨乞いの報恩の思いを伝えている。
なお、本像は通常非公開である。

くぅ、「雨乞いのお祖師さま」みたかった・・・・・

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この後ろにあるのが、雨乞い報恩の碑。

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本堂でご祈願を。
「追突されませんように!」

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1月4日だったけど蝋梅が。
マスク越しでもわかるいい香り。

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バイクなので雨乞いの効果は不要っ!
と思いつつ見学完了。
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