第二海軍技術廠牛尾実験所 [千葉からZ900RSと600km超]
2022年12月下旬、静岡に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
大井川沿いの長閑な場所。
平成の大改修の碑が。
その近くに・・・・・
第二海軍技術廠牛尾実験所についての看板。
第二海軍技術廠牛尾実験所:
牛尾実験所は、1945(昭和20)年2月から、牛尾山鼻地区に第二海軍
技術廠島田実験所(現 新東海製紙(株)島田工場敷地内)の疎開先とし
て建設されました。島田実験所では、当時一線で活躍していた科学
者仁科芳雄(理化学研究所)、菊池正士(大阪大教授)が関わり、渡辺寧
(東北大教授)、朝永振一郎(東京文理大教授)、小谷正雄(東京大教授)
渡瀬譲(大阪大助教授)などが従事し、日本で唯一「Z研究(Z兵器、
のちの勢号兵器)」と呼ばれるマグネトロン(磁電管)を使ったマイクロ
波利用兵器の開発が行われていました。湯川秀樹(京大教授)も実験所
を訪れています。
牛尾実験所の施設については、防衛省防衛研究所戦史研究センターに
残る「引渡目録」によれば、牛尾山台地上に発振室や電源室、変電室
石炭瓦斯発生室等の施設が存在し、その東側平地には、事務室や宿舎
研究室や倉庫など12施設が設置されていました。しかし、建設途中に
電源室のアーチ型屋根が倒壊する事故がおこり、そのまま終戦を迎え
ます。
その後、2012(平成24)年9月から実施された国土交通省の大井川牛尾
地区河道拡幅工事がきっかけとなり、2013(平成25)年には「第二海軍
技術廠牛尾実験所跡遺跡」として工事区内を対象とした発掘調査が行
われました。その結果、電源室、発振室の基礎部分が明らかになり、
直径10メートルほどのパラボラ反射鏡の架台の存在も確認できました。
これら施設の発見から、牛尾実験所はマイクロ波電波起爆装置「A装置」
の実用化施設だっと考えられています。
発掘調査終了後これらの施設は、河道拡幅工事のため取り壊されてしま
いましたが、変電室や石炭瓦斯発生室は現存しています。
マイクロ波と言えば電子レンジ・・・・・
しかも、ノーベル賞を取った2人の大科学者が
関わっていたとは!
日本海軍の技術力は凄かった。
Z兵器は実用化されなかったけど、最終兵器な
Zかわいいアイドルが同じ静岡で誕生っ!
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
大井川沿いの長閑な場所。
平成の大改修の碑が。
その近くに・・・・・
第二海軍技術廠牛尾実験所についての看板。
第二海軍技術廠牛尾実験所:
牛尾実験所は、1945(昭和20)年2月から、牛尾山鼻地区に第二海軍
技術廠島田実験所(現 新東海製紙(株)島田工場敷地内)の疎開先とし
て建設されました。島田実験所では、当時一線で活躍していた科学
者仁科芳雄(理化学研究所)、菊池正士(大阪大教授)が関わり、渡辺寧
(東北大教授)、朝永振一郎(東京文理大教授)、小谷正雄(東京大教授)
渡瀬譲(大阪大助教授)などが従事し、日本で唯一「Z研究(Z兵器、
のちの勢号兵器)」と呼ばれるマグネトロン(磁電管)を使ったマイクロ
波利用兵器の開発が行われていました。湯川秀樹(京大教授)も実験所
を訪れています。
牛尾実験所の施設については、防衛省防衛研究所戦史研究センターに
残る「引渡目録」によれば、牛尾山台地上に発振室や電源室、変電室
石炭瓦斯発生室等の施設が存在し、その東側平地には、事務室や宿舎
研究室や倉庫など12施設が設置されていました。しかし、建設途中に
電源室のアーチ型屋根が倒壊する事故がおこり、そのまま終戦を迎え
ます。
その後、2012(平成24)年9月から実施された国土交通省の大井川牛尾
地区河道拡幅工事がきっかけとなり、2013(平成25)年には「第二海軍
技術廠牛尾実験所跡遺跡」として工事区内を対象とした発掘調査が行
われました。その結果、電源室、発振室の基礎部分が明らかになり、
直径10メートルほどのパラボラ反射鏡の架台の存在も確認できました。
これら施設の発見から、牛尾実験所はマイクロ波電波起爆装置「A装置」
の実用化施設だっと考えられています。
発掘調査終了後これらの施設は、河道拡幅工事のため取り壊されてしま
いましたが、変電室や石炭瓦斯発生室は現存しています。
マイクロ波と言えば電子レンジ・・・・・
しかも、ノーベル賞を取った2人の大科学者が
関わっていたとは!
日本海軍の技術力は凄かった。
Z兵器は実用化されなかったけど、最終兵器な
Zかわいいアイドルが同じ静岡で誕生っ!
と思いつつ見学完了。