安養寺 [Z900RSと300km超]
2023年11月中旬、福島に行った際に立ち寄った所。
停められそうな場所へ。
早速、説明板が。
福島県指定重要文化財
木造法燈国師坐像:
指定年月日 昭和四十二年四月四日
この像は、寄木造り、彫眼、黒漆の彫像で、ややいびつでは
あるが後頭部の発達した頭、きわめて高く秀でた大きな鼻、
静かに澄んだ眼、意思的に引き締まった厚い唇、額や頬に深
く刻まれたしわが、よくこの高僧の面影をとらえています。
鎌倉彫刻の写実性は、高僧の精神的内容を表現しようとする
頂相彫刻にその極数を示すといわれますが、その点この像は
一応その個性を描写するのに成功しています。
法燈国師は鎌倉時代の僧侶で、承元元年(一二〇七)信州神林村
(現在の長野県松本市)に生まれました。江戸時代後期の白河
藩主で時の幕府老中松平定信が文化二年(一八〇五)に編纂さ
せた「白河風土記」には彼が現在の須賀川市長沼にあった会沼
近くで生まれた猟師とあります。十九歳で剃髪し、奈良の東大
寺や和歌山の高野山で僧侶としての修行をしてのち、鎌倉、京
都、上野国(現在の群馬県)、甲斐国(現在の山梨県)などの
各地の禅の名僧を訪ねて研鑽を積み、建長元年(一二四九)、
四十九歳の春、中国に仏教留学します。
何年かののち、日本へ帰る際、みそ、醤油の製法を伝えると共
に、尺八を吹く虚無僧を一緒に伴ってきました。その後紀州由
良(現在の和歌山県由良町)に臨済宗法燈派の興国寺を創建し、
永仁六年(一二九八)九十二歳の天寿を全うし、死後、後醍醐
天皇から僧侶の最高の位である国師号を贈られました。
こちらが国師様の像。
この坐像は古くから国師自ら彫ったと
伝えられ赤ん坊の夜泣きを治す
「ほっとこさま」として現在も近郷近
在からの子連れの参拝者が絶えません。
当日は、私しかいなかった・・・・・
早速、境内へ。
味わい深い石仏。
本堂に到着。
ここから木造法燈国師坐像が覗けるっ。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・・
・・・・微妙に国師様が見える(気がする)。
ご祈願を
「タイヤが一年間持ちますように!」
ゴダイゴ天皇から国師号をもらった
ぐらいなので天竺(ガンダーラ)まで
行ったことにすれば良かったのに。
(They say it was in India.)
と思いつつ見学完了。
昭和生まれでないとわからないオチ・・・・・
停められそうな場所へ。
早速、説明板が。
福島県指定重要文化財
木造法燈国師坐像:
指定年月日 昭和四十二年四月四日
この像は、寄木造り、彫眼、黒漆の彫像で、ややいびつでは
あるが後頭部の発達した頭、きわめて高く秀でた大きな鼻、
静かに澄んだ眼、意思的に引き締まった厚い唇、額や頬に深
く刻まれたしわが、よくこの高僧の面影をとらえています。
鎌倉彫刻の写実性は、高僧の精神的内容を表現しようとする
頂相彫刻にその極数を示すといわれますが、その点この像は
一応その個性を描写するのに成功しています。
法燈国師は鎌倉時代の僧侶で、承元元年(一二〇七)信州神林村
(現在の長野県松本市)に生まれました。江戸時代後期の白河
藩主で時の幕府老中松平定信が文化二年(一八〇五)に編纂さ
せた「白河風土記」には彼が現在の須賀川市長沼にあった会沼
近くで生まれた猟師とあります。十九歳で剃髪し、奈良の東大
寺や和歌山の高野山で僧侶としての修行をしてのち、鎌倉、京
都、上野国(現在の群馬県)、甲斐国(現在の山梨県)などの
各地の禅の名僧を訪ねて研鑽を積み、建長元年(一二四九)、
四十九歳の春、中国に仏教留学します。
何年かののち、日本へ帰る際、みそ、醤油の製法を伝えると共
に、尺八を吹く虚無僧を一緒に伴ってきました。その後紀州由
良(現在の和歌山県由良町)に臨済宗法燈派の興国寺を創建し、
永仁六年(一二九八)九十二歳の天寿を全うし、死後、後醍醐
天皇から僧侶の最高の位である国師号を贈られました。
こちらが国師様の像。
この坐像は古くから国師自ら彫ったと
伝えられ赤ん坊の夜泣きを治す
「ほっとこさま」として現在も近郷近
在からの子連れの参拝者が絶えません。
当日は、私しかいなかった・・・・・
早速、境内へ。
味わい深い石仏。
本堂に到着。
ここから木造法燈国師坐像が覗けるっ。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・・
・・・・微妙に国師様が見える(気がする)。
ご祈願を
「タイヤが一年間持ちますように!」
ゴダイゴ天皇から国師号をもらった
ぐらいなので天竺(ガンダーラ)まで
行ったことにすれば良かったのに。
(They say it was in India.)
と思いつつ見学完了。
昭和生まれでないとわからないオチ・・・・・
49歳で留学は現在でもなかなかできることではありません。
by いっぷく (2024-01-17 00:54)
49歳で留学は誤りだろ(^_^;) 「承元元年(一二〇七)・・・に生まれ・・・
建長元年(一二四九)四十九歳の春、中国に仏教留学・・・」とあるから、
1249-1207=42となり、数え年でも「四十九歳」にはならない(^_^;)
by middrinn (2024-01-17 07:48)
和歌山県由良の興国痔は虚無僧の寺として知られて
います。最近は虚無僧が門付に来るのは見かけませんね。
by 爛漫亭 (2024-01-17 10:44)
こんにちは。
>天竺(ガンダーラ)まで
一帯一路(c)ぷーさんですな
by HIRO (2024-01-17 21:11)
皆様コメントありがとうございます。
>いっぷくさん
仕事を投げ打って留学はできないかも・・・
>middrinnさん
42歳だったけど見た目が49歳だった可能性も(笑)。
>爛漫亭さん
由良の興国寺の説明板と見比べてみたい気も。
>HIROさん
習近平さんは愛の国ガンダーラを作る気だったり(笑)。
by tai-yama (2024-01-17 22:35)
なかなか良き雰囲気の本堂ですね(^-^;
そして思わずガンダーラを口ずさむ(笑)
by yamatonosuke (2024-01-18 00:46)
>yamatonosukeさん
コメントありがとうございます。
お寺さんなのですが、本堂はこれしかなかったと言う(笑)。
ウルトラマン80の主題歌を歌っていたのはゴタイゴじゃないっ
と言ってみたり(昭和ネタ)。
by tai-yama (2024-01-18 23:43)