斜陽館 [Z900RSと1000km超]
9月中旬、青森に行った際に立ち寄った所。
駐車場へ。
斜陽館。600円払い中へ。
小説家・太宰治の生家:
国指定重要文化!・太宰治記念館「斜陽館」は、小説「斜陽」
「人間失格」「津軽」など多くの作品を残した、近代日本を
代表する小説家・太宰治(本名・津島修治)の生家です。
1907年(明治40年)、太辛が生まれる2年前に、地主で
ある太宰の父・津島源右衛門によって建てられました。
設計は、当時洋風建築の第一人者で、弘前市にある青森銀行
記念館を設計した名匠・堀江佐吉。和洋折衷・入母屋造りの
建物は、日本三大美林「青森ひば」を使用した豪邸です。
1階11室、2階8室庭園、土蔵3合わせて 総面積約 2250㎡
(680坪)、総工費4万円。現在の7~8億円に相当します。
1948年(昭和23年)、農地改革などにより太宰の生家は
津島家の手を離れましたが、1950年(昭和25年)からは
旅館「斜陽館」としてファンに愛され、1998年(平成10年)
太宰治記念館として公開を始めました。
太宰がこの家に住んでいたのは、青森中学に進むまでの13年間。
幼少期の太宰が、家の商売や自らの立場を感じ親代わりの叔母
きゑ、子守のタケと出逢い、別れを経験し成長していった邸宅。
ここは、その頃の太宰に出逢える貴重な場所です。
時を超え読み継がれている太宰の作品は、現在30カ国以上で
翻訳されています。
太宰治は二重回しのマントを
好んで着用していました。
マントと言うとこんなイメージが。
素朴な調度品。
・・・と言っても車一台買えそうなお値段な気も。
うおおおおおおおおおおおおお。金ピカー。
津島家御仏壇:
大広間の仏間にある津島家御仏壇は、1907年
(明治40年)6月の津島邸竣工に合わせ、太宰
の父・源右衛門が京都の仏理店に特別注文した
ものです。高さ189cm、幅115cmの三方開き
で、左右各4枚の扉をすべて開けると幅は4mに
もなります。
二重の瓦屋根から内部の彫刻まで素晴らしく、
引き出しには輪島塗の時絵と、細工が施されて
います。
津島家の宗派は「浄土真宗東本願寺(大谷派)」
菩提寺は旧金木町にある「南寺」です
ご祈願を
「タイヤがパンクしませんように!」
二階へ。
西側和室:
一般の来客や、議員のお付きの人々が通された部屋です。
春夏秋冬の風景が描かれた襖絵は、幕末から明治にかけ
て活躍した浮世絵師、日本画家河鍋暁斎の門下・真野晩亭
の作です。となりの部屋では、津島家に仕えた行儀見習い
の使用人たちが、茶道や華道のお稽古をしていました。
議員の秘書さんとかは
この部屋で待機していたのか。
キックバックの受け取りとか。
そして、議員さんはこの部屋でパーティ。
例え名家でも傾くと止まらない・・・・
と思いつつ見学完了。
駐車場へ。
斜陽館。600円払い中へ。
小説家・太宰治の生家:
国指定重要文化!・太宰治記念館「斜陽館」は、小説「斜陽」
「人間失格」「津軽」など多くの作品を残した、近代日本を
代表する小説家・太宰治(本名・津島修治)の生家です。
1907年(明治40年)、太辛が生まれる2年前に、地主で
ある太宰の父・津島源右衛門によって建てられました。
設計は、当時洋風建築の第一人者で、弘前市にある青森銀行
記念館を設計した名匠・堀江佐吉。和洋折衷・入母屋造りの
建物は、日本三大美林「青森ひば」を使用した豪邸です。
1階11室、2階8室庭園、土蔵3合わせて 総面積約 2250㎡
(680坪)、総工費4万円。現在の7~8億円に相当します。
1948年(昭和23年)、農地改革などにより太宰の生家は
津島家の手を離れましたが、1950年(昭和25年)からは
旅館「斜陽館」としてファンに愛され、1998年(平成10年)
太宰治記念館として公開を始めました。
太宰がこの家に住んでいたのは、青森中学に進むまでの13年間。
幼少期の太宰が、家の商売や自らの立場を感じ親代わりの叔母
きゑ、子守のタケと出逢い、別れを経験し成長していった邸宅。
ここは、その頃の太宰に出逢える貴重な場所です。
時を超え読み継がれている太宰の作品は、現在30カ国以上で
翻訳されています。
太宰治は二重回しのマントを
好んで着用していました。
マントと言うとこんなイメージが。
素朴な調度品。
・・・と言っても車一台買えそうなお値段な気も。
うおおおおおおおおおおおおお。金ピカー。
津島家御仏壇:
大広間の仏間にある津島家御仏壇は、1907年
(明治40年)6月の津島邸竣工に合わせ、太宰
の父・源右衛門が京都の仏理店に特別注文した
ものです。高さ189cm、幅115cmの三方開き
で、左右各4枚の扉をすべて開けると幅は4mに
もなります。
二重の瓦屋根から内部の彫刻まで素晴らしく、
引き出しには輪島塗の時絵と、細工が施されて
います。
津島家の宗派は「浄土真宗東本願寺(大谷派)」
菩提寺は旧金木町にある「南寺」です
ご祈願を
「タイヤがパンクしませんように!」
二階へ。
西側和室:
一般の来客や、議員のお付きの人々が通された部屋です。
春夏秋冬の風景が描かれた襖絵は、幕末から明治にかけ
て活躍した浮世絵師、日本画家河鍋暁斎の門下・真野晩亭
の作です。となりの部屋では、津島家に仕えた行儀見習い
の使用人たちが、茶道や華道のお稽古をしていました。
議員の秘書さんとかは
この部屋で待機していたのか。
キックバックの受け取りとか。
そして、議員さんはこの部屋でパーティ。
例え名家でも傾くと止まらない・・・・
と思いつつ見学完了。
豪邸とかお屋敷といった言葉では言い表せないスケールの大きさですね。
by いっぷく (2023-12-26 00:46)
『斜陽』からの命名はセンスがあるな(^_^;) 何だかんだ言っても、
平成研を率いたぐらいだから津島雄二も金はあったのかな(@_@;)
by middrinn (2023-12-26 05:29)
走れZRS !
by 爛漫亭 (2023-12-26 10:54)
こんにちは。
>この部屋で待機していたのか。
コネクティングルームとか...
https://bunshun.jp/articles/-/67844
by HIRO (2023-12-26 20:21)
青森県も竜飛岬や大間、尻屋は行ったことあるけど
まだまだ行ったことの無い場所がたくさんありますね(^^♪
by ごろすけ (2023-12-26 21:11)
皆様コメントありがとうございます。
>いっぷくさん
この辺り一帯の名家なので土地もたくさんありそう。
>middrinnさん
農地改革でどのくらい没取されたのか。でも金はあったと。
>爛漫亭さん
セリヌンティウスの様に力尽きるまでバイクで走ると(笑)。
>HIROさん
女性秘書官とたぶん、コネクティングしていたと(笑)。
>ごろすけさん
岩木山や白神山地もおすすめ。私も行ったことがないっ。
by tai-yama (2023-12-26 23:27)
金ピカーはちょっと御利益増しそうですね(笑)
掛け軸の裏側には隠し通路があるはず!
by yamatonosuke (2023-12-27 00:37)
こんにちは。
>コネクティングしていた
総理大臣をメザシていたみたいですが、新コロの初期にTVカメラに向かって「国民の行いが悪いから...」と言わんばかりのミエを切ったのを良く覚えています>>まあ、ロクな...
by HIRO (2023-12-27 20:30)
>yamatonosukeさん
コメントありがとうございます。
ここまで立派な金ピカ仏壇はなかなか見ないので貴重っ。
ハマスの様な地下トンネルが掛軸の裏にあったり(笑)。
>HIROさん
コメントありがとうございます。
そもそも、総理大臣になるほど人気や人望があるのかと
言うと・・・。今回の件で総理の目はなくなったと。
by tai-yama (2023-12-27 23:08)